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映画『NOPE/ノープ』を見たので色々まとめ ※ネタバレ注意

『NOPE/ノープ』はかなり面白い映画で、「見れるうちに映画館で見てくださいませ」とまず言っておきたい。謎として意味深長なシーンを提示し、その怪現象、怪物の正体が解き明かされていくどこか謎解き都市伝説的な面白さがある。ついでに結構スペクタクルなシーンもある。IMAXのカメラで撮影されただけあって画面も相当の迫力がある。そうしたエンタメとしてワクワクドキドキできる。またジョーダンピール作品に共通する「被差別者としての黒人の歴史」、あるいは「そもそも映画とは何か?」というサブテクストを意識すればかなり深い映画としても見れる。

この映画には「見る/見られる」という二項対立は、この映画のあちらこちらに見られる。例えば本作に登場する化け物だが、その目?を「見た」人間は問答無用で化け物に喰われてしまう。

その化け物を「撮影」して一攫千金と名誉を狙うのが主人公たちで、しかしそれが一筋縄ではいかない。よほど恥ずかしがり屋というか臆病なのか、巧妙に偽装した雲の中に姿を隠している。たまに姿を現してそれを監視カメラで収めようとしても予期せぬ邪魔が入ったりして、なかなかうまくいかないのでこちらもやきもきしてしまう。ちなみに、彼が隠れている雲は半年たっても位置や形が変わらない為、あっけなく見つかってしまうとんだドジっ子だったりする。

その化け物君の造形も、最初はUFOっぽい硬質な物体なのだが、徐々に巨大な布のような何とも名状しがたい奇妙な物体であることが明らかになる。強いて言えば現代のカメラの始祖、遮光用の暗幕をつけたカメラ・オブスクラに似ている。ネットの感想を漁ってみると「内部構造がカメラのレンズに酷似している」と指摘する人もいる。

この映画じたいがそもそも、かつてのハリウッド映画における、見る者と見られる者の権力構造(白人→見て消費する者、黒人→見られて消費される者)を換骨奪胎した映画である、ともとれる。その内容に関しては下記記事に詳しい。北村先生、いつも重要な示唆をくださり、ありがとうございます。

「オールド・タウン・ロード」をSFホラー映画にするとしたら?~『NOPE/ノープ』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus (hatenablog.com)

見ていて私が感じたのは、いつの時代でもそうだが、「見る者」が持つ圧倒的な力、というより不条理で一方的な暴力の前にはなすすべもないという事だ。その現実が、モンスター映画の中に落とし込まれている。上記の北村先生の記事でも触れられているが、かつて黒人差別があたり前の時代、黒人たちがうまく生き残る為には、支配階級たる白人たちをやり過ごす、つまりなるべく彼らの関心を引かないようにしていた筈なのだ。つまりとりもなおさず、彼らを見ないというのが、賢い生き残り方だった。例えばお互いが目を見てするコミュニケーションというのは、間違いなく対等な関係性の中でしか成立しないし、人間格下の人間からはっきり目をみられたら「こいつ舐めくさってるな」と反感を買われかねない。また、明らかに犯罪や悪事を働く白人たちの横暴を「見て見ぬふり」することで難を逃れる、という残酷な生存戦略も存在していたはずだ。

翻って、暗黒時代のアメリカから現代のわれわれに視点をずらせば、やはり「見る」側の力に怯えて「見ない」ことを選択することでやり過ごそうとする臆病な人たちで溢れているような気もする。ここで一々書くのは割愛するが、明らかに目の前で分かっていながらも権力に阿って支離滅裂な弁解をしたり、色々忖度して書類や統計調査を改ざんしたりとか……まぁここでは一々書かないけど。つまり本作『NOPE/ノープ』は、『それまでのハリウッド映画のお約束をちゃぶ台返しした』的な「わかる人にはわかる」通なテーマを内包する映画でもあると同時に、けっこう現代的な警句を孕んでいるのだ。見ないふりをしているうちは、何にも状況は変わりませんよ、という。そもそも、この化け物は空から下界を見下ろして好きな時に人間を食い物にしている訳だから、このモチーフは色々な現実の何かを反映して造形されたとも考えられる。独裁者でもレイシストでもいじめっ子でもパワハラ上司でもなんでもいい。世界共通の、大なり小なりの権力者の象徴して、あの怪物は生み出されたのだ。

そういう意味でいえば『NOPE/ノープ』は、これはあの『クワイエットプレイス』の類質同像的な映画でもある。『クワイエットプレイス』では宇宙から飛来したエイリアンに「声」を奪われた人たちが生き残る映画だった。権力者がまず嫌うのは、兎に角、声を上げられることだ。異議申し立てやデモといった行為を封じることで、自らの汚点を、ひいては国民の声を無かったことにする、というのはしばしば見受けられることだ。デモ活動でも「共産主義者」「左翼の人たち」と嘲笑されたりするのをためにネットなどで見ることはないだろうか。私はそういう批判に対し、「左翼」の何が悪いのかさっぱり理解できない人間だが、兎に角それをレッテルであると一方的にとらえ恰も「悪いこと」のように言う人は絶えない。どこかの政党の党首のように反対の声に対して「代案を出せ」の一点張りで、それがもっともに有効な反論であるかのようにふるまう始末だ。そんな簡単に代案出せたら苦労はしないし、代案がなければ反対してはならないという法はどこにもないのにだ。

そうした反論が無くなった世界はどうなってしまうのか。例えばそれはかつての黒人たちが置かれていた状況だったのではないか。本作は中盤まではそうした不条理な世界を「被差別者」の視点で追体験させる映画なのだ。反対の声をあげるどころか見ることすら禁じられた地獄のような状況。それはとりもなおさず、映画で描かれているように、一度目をつけられたら嫌がらせのように付きまとわれ、最悪死ねと言われたら問答無用で死ななければならない世界だ。プロット上『NOPE/ノープ』の主人公達は経済的に苦しんでおり、この人食い化け物を前にしてもどういう訳か怯まず、逃げもしない。おまけになんと一発逆転を狙って化け物の映画を撮ろうとするのでかなり唐突な印象をうける。なので、表面上こそは「化け物vs欲深い人間」みたいな不思議な対立構造のもとお話は進むので、かなり違和感がある(例えば同じパニック映画の『ジョーズ』のように、人命の為にサメを退治するぜ、みたいなヒロイックな大義名分が『ノープ』には無いのだ。なのでお金の為とはいえ「この人たちはなんでこんなに命かけてるのだろうか…」という気分にしばしばなった)。しかしその裏には、古くから続く血生臭い階級闘争、権力闘争ものとしての側面が巧妙に隠されている。

映画に話を戻せば、『アス』や『ゲットアウト』のように、ホラー映画でありながらも明らかに我々を笑かしにくるシーンが『NOPE/ノープ』ないので、その点は少々物足りない。アレクサが空気を読まずにNWAのファックザポリスを流したり、行方不明になった友人の捜索願を出すときに「彼は裕福な白人の家で軟禁され、性奴隷にされている!」などとポルノまがいの妄想をポリスメンに垂れ流すオモシロ黒人とか、そういうのが無かったのが残念だった。が、ラストのバイクシーンで唐突にAKIRAパロ(金田バイクのあれ)を登場した時は流石にちょっと笑った。クライマックスのめちゃくちゃ真面目なシーンでぶっこんでくる辺り、流石コメディの世界で鍛えられた監督さんだけあると関心してしまった。


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