小説や漫画原作、学術書も書きたい理由

人生、何かに集中していかないと一等の仕事はできないと思います。私の自叙伝は英語で書くつもりで準備してます。私は真ん中に映画作りを据えていますが、小説や漫画原作、学術書も書きたいと思っています、ペンネームを使い分けてでも。それはそれぞれの発表の形式にそれぞれの長所と短所があるからです。小説は表現が柔軟でコントロールがほぼ100%書き手にありますが、漫画ほど社会への浸透力がない。漫画にあるチームワークの妙、ぶつかり合いというものもない。実はそもそも「小さくても勝てます」も経営コンサルタントのスキルを持った人を主人公にした漫画を作りたかったけれど、最初にその原作となる小説を書かなければ漫画原作者にしてもらえないし、経営コンサルタントのアドバイスの切れ味を証明する必要があったので、実際に助け、それをベースに書く必要があった。そして、その登場人物には独自の社会理論を持たせる必要があったので、新しい理論を作り、「社会原理序説」を書きました。映画は一つを作るのに時間と労力、なによりも資金がかかります。題材によってそこまで資源を投下できないけれども物語として世に出す必要があるものもあります。同じ物語でも漫画の方が適した題材もあります。学術書を書けるぐらいのリサーチもすること多いのでそれをちゃんと世に役立てようとすると書いた方がいい。じゃあ、どうしてペンネームを使い分けるのかというと単に流通の問題なんです。本屋さんの端末を見て、仕入れ、書店の棚に配架してもらう、その時に「この名前はこの棚だ」とわかりやすくしておく必要あります。だから、今、発音だと、「Sakahara,Atsushi」の名義で「さかはらあつし」「阪原 淳」「酒原 温」の三つを用意しています。それだけのことなんです。で、どうして色んなジャンルで表現するかというと、私のスタイルでは、ジャンルのエキスパートではなく、イイタイコトからドライブされる作家だということだと思います。(743)

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