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降格、退任、交代、そしてベガルタ仙台の未来へ

2021年11月20日。ベガルタ仙台のJ2降格が決まった。

降格が決まった瞬間、自分の心を襲ったのは悔しさではなかった。

「決まってしまったか、がんばったけどな」というな冷静な目線と
「やっと終わった」という安堵感。

29節の清水戦から31節の柏戦の残留のライバルとの直接対決3試合で1分2敗という結果を受けて、諦めの境地に至っていたことも影響していたであろう。数字上ではその時点では自力残留の可能性も残っていたが、そこまでロマンチストではなかった。

『まだ降格が決まったわけではない』『サポーターが諦めるな』という声がSNSで多く挙がっていたが、自分はその時点で心が折れていた。もちろん奇跡は信じていたし、諦めない気持ちを持っている方々を嘲笑するわけではない。

表面上は諦めてなかったが、内面では諦めていたというほうが近かった。
そして、そう思うようになってからは心が少しづつ楽になっていった。それまではライブ観戦できなかった試合は情報シャットアウトでディレイで見ることを徹底していた。SNSもYahooニュースも見ない。スマホに触る時間を極力減らす。徹底して情報をシャットアウトをして、当日の夜や翌日に試合を見て1日遅れで一喜一憂していたのに、31節以降はそれをやめた。
試合時間にTwitterやスポナビなどでチェックしながら試合結果を追うようになった。

 「もともと去年落ちてたチームだし、今年はボーナスステージみたいなもんだから」

友人や同僚からベガルタのことを聞かれると、こんな言葉で自分を守るようになっていた。

 無関心

一言で表すと、ベガルタに対する思いはこれに近かった。勝てなくなったこともあるが、希望が見えなくなったことに起因する。チームとしての戦い方が見えなくなっていた。

 ベガルタの過去を自分の思いと共に少し振り返ってみようと思う。

2016年~2018年までの渡邉晋体制のベガルタ仙台は非常に誇らしいものだった。欧州でトレンドとなっていたポジショナルナルサッカーを戦術に取り入れ、Jリーグのサポーター界隈で『ベガルタ仙台のサッカーは面白い』『先進的な戦い方』などと話題となっていた。

 「どうだ、おれたちのチームはすごいだろ」

と胸を張って歩いていた。
優秀な指揮官がいれば、渡邉晋がいれば、俺たちは札束で選手を集めてるようなタレント集団に勝つことだってできるんだ、と信じていた。

 ある種の優越感。

先進的なサッカースタイルを使っていることで、相手にマウントを取っていたのだと思う。試合に負けても、戦い方はどこのチームよりも優れているからな、という捨て台詞に近い思いを持っていた時期だと思う。
『震災ジャッジ』とか古くは『けさい』、などとネタにしていた他サポに対して見返してやる、みたいなところもあったのかもしれない。とにかく、この時期はベガルタ仙台というチームに誇りを持っていた。

そして2018年12月、我々は天皇杯決勝という舞台にまで辿り着いた。結果は負けてしまったが渡邉晋と歩んできたサッカーでタイトルまで本当にあと一歩というところまできた。いよいよ、近い将来、我々はタイトルホルダーになれると信じていた。

しかし2019年、事態は一変する。

それまで歩んできた道は幻だったのかと思うようにチームは苦しんでいた。開幕から勝利が遠く、初勝利を手にしたのは第6節だった。主力選手が抜かれることは恒例行事だったし、それでも時間の経過とともにスタイルが浸透し、立て直してきたチームが何か様子が違う。

 「個の能力が足りなくても戦術が優っていれば勝てるんじゃなかったのか、話が違うぞ」

自分の都合のいいように解釈していた妄想が崩れていった。
なんてことはない、指揮官の標榜するサッカーをするには必要な選手はいて、その選手がいなくなれば、やりたいことは実現できないということ。戦術に当てはまればだれでも輝かすことができるマジシャンみたいな監督はいない。いま考えれば当たり前だが、当時はそう思えなかった。

序盤苦しんだチームだったが、途中でポジショナルサッカーを諦め、堅守速攻スタイルに戻したことで勝ち点を拾えるようになり、なんとかJ1残留を決めた。しかしその残留を決めた試合後のインタビューで指揮官から出た言葉は重かった。

 『時計の針を戻してしまった』

ベガルタ仙台サポーターの心に突き刺さる、パワーワードだった。一時期、自分も流行語のように使っていた。

 時計の針を戻すことは良くないことなのか?

 そもそもチームとしてのビジョンは何なのか?

ベガルタ仙台に関わる全ての関係者に突き付けられた命題を残し、渡邉晋はチームは去った。いや、あえて別れを選んだという言葉を使いたい。彼の目指すサッカースタイルを継続するにはそれができる選手が必要になる。しかし我々にはそれを叶えてあげるだけの資金力がない。金がない。これに尽きる。

そして我々は次の指揮官として、隣県であり、みちのくダービーとして捉える特別な感情を持つモンテディオ山形というチームを率いていた木山隆之氏を迎え入れた。

『若手とベテランを融合した躍動感あるチームづくりをしたい』

当時の社長の言葉である。今、振り返るとやはり言葉が足りない。ベガルタ仙台というチームはどんなサッカーを目指していて、それを実現できる指揮官として木山監督を迎え入れました、となっていれば現実は変わっていたはずだ。監督は一般企業でいえばCOOに近い、現場責任者のはずだ。社長や会社の方針も示さずに、現場責任者に丸投げしているように見える。

それでも我々は期待を胸にシーズンを迎えた。なんといっても、渡邉晋が残した遺産があるし、木山監督の評判は悪いものではなかった。渡邉晋の前に率いた某外国人監督は理想を当てはめるだけで結果を残せなかった前例もあるので、日本サッカー、ベガルタ仙台の置かれた状況や選手たちを良く知る指揮官であれば化学反応を起こせるんじゃないか、という期待が不安を大きく上回っていた。

補強でも新加入選手の目玉として、クエンカを迎え入れた。個の力で他チームで対等、もしくは上回るような武器となる選手を手に入れることができていたのだ。多くの主力選手が移籍していったが、「今年はクエンカがいる」というお守りは大きかった。

 しかし、現実はそう都合よく事が進まない。

開幕戦の後、訪れたコロナ禍による中断。チームを再設計しながら、過密日程をこなさなければいけない。選手の負荷が増えたことで、リカバリーに費やす時間がこれまで以上に増えたことで戦術的な指示の時間が減ったのだろう。ハードワークを求められる戦い方に選手を入れ替えながら試合の強度を保つことは容易ではなく、チームは低迷した。
そして災難はピッチ外でも起こった。

 債務超過。主力選手の不祥事。

入場料収入に頼るチームは無観客試合によって、収益に大きなダメージを負い、チームは経営不振に陥った。「解散」という最悪の結末も頭がちらついた。さらに悪いことは連鎖し、主力選手の不祥事が明らかになった。会社の対応としては間違ったことはしてなかったが、債務超過で不安・不信に思っていたサポーターの心理状態は蔑ろにされていたような対応と映り、会社に対しての不安はさらに募っていった。

そして極めつけは募金である。社長自らが募金を呼び掛ける動画が公開され、そのニュースは世間に知れ渡った。恥ずかしかった。
『仙台はサポーターから金を集めなきゃいけないくらいヤバいの?』
『ベガルタ仙台、大丈夫?倒産するの?』
など周りからも心配する声が多く届いた。その後、クラウドファンディングに変えるのであればなぜ最初からしなかったのか。社長が募金を呼び掛けるなんて私たちにはもう策がありません、というのを周知しているだけじゃないか。

 少し前まで誇りに思っていたチームがなんでこんなことに…

ピッチ上では勝てない日々が続き、ピッチ外では雑音だらけ。そんな最悪の状況下で行われた2020年シーズンは幕を閉じた。

その状況を見て、心が離れてしまったサポーターは多かったと思う。心が離れたというよりはチームと自分の距離感がそれまでよりも遠くに行ってしまったというほうがいい得てるかもしれない。単に自分がそうだったというのもあるが。

2020年のベガルタ仙台の成績は 6勝10分18敗 勝ち点34 で19位。
通常であればJ2降格だったが、特別レギュレーションで2021年もJ1で戦えることが決まっていた。2021年は4チーム降格という厳しい条件下で迎えることとなる。

通常であれば19位に終わった監督を継続するなんてありえない、と思っていたがチームには金がない。木山体制で結果が出てないけど、途中解任もしなかったってことは複数年契約だろうし、来年もどうせ木山体制継続なんでしょう。違約金払える余裕もないし、しょうがないな。と自分を言いくるめていた中で、突然の監督交代の知らせ。そして、訪れた驚きの知らせ。

 手倉森誠との再会である。

偶然か、いや必然だったのだと思う。ベガルタ仙台も社長が交代し、新体制となっていた。指揮官を迎え入れるにしても債務超過を抱える中で、スポンサーにもサポーターにもある程度、納得感のある指揮官を迎え入れる必要があった。
そのタイミングで長崎を退任してフリーになっていた手倉森誠。仙台という地域性も理解している。スポンサーにも説明できる。実績もある。様々な事情を考える上で、彼以上の適任はいなかったとのだと思う。

 「まあ、テグならしょうがないか」

手倉森誠によってJ1昇格を果たしたわけだし、彼によって介錯されるのであれば何も言えない。そんな気分だった。他チームのサポーターからなんと揶揄されようと多くのベガサポの心の底では同じ気分だったと思う。

前年19位のチームで戦力の上積みも出来ず、残留争いを戦わなければいけない。相当厳しいシーズンになることは戦前から予想がついていた。当然、シーズン前の評価は降格圏内。だけどなぜか自分の心の中にはそういった現実はわかっていながらも奇跡を期待していた。

 「テグならなんかやってくれるんじゃないか」

と不思議な思いを抱かせてくれるのが手倉森誠なのである。彼が発するコメントやダジャレでチームが去年まで暗かったチームが明るく映った。願望というバイアスがかかっていたのかもしれないが、キャンプの様子を見ると表情やムードが去年とは違って見えた。

 「もしかしたら、もしかするぞ」

淡い期待を胸にリーグ戦開幕。その一戦で指揮官のスピリチュアルな部分が表れたのである。神通力のほうが正しいのかもしれないが、前半に退場者を出しながらも終了間際に追いついたのである。終始、劣勢の展開を跳ね除けた結果に、チームの力を感じた試合だった。

 「やはり手倉森誠のチームは一味違うぞ」

しかし、魔法はすぐ解けてしまった。
王者、川崎に力の差を見せられた第2節はチーム力の差と割り切れたが、第3節の鳥栖相手に前半で3失点を喫し、成す術もなく0-5の敗戦。続く第4節の湘南にも1-3で敗戦。鳥栖や湘南には失礼だが、チームの経営力や戦力が大きく劣ることはなく、例年残留争いを繰り広げてきたライバルチームに完敗。開幕戦のワクワクはどこかへ消え、暗いムードに覆われてしまった。
その後、チームは低迷を続け、今シーズン初勝利を挙げたのは第12節。それは518日ぶりの勝利だった。

 「まだギリギリ間に合う」

切れそうだった気持ちを再び奮い立たせたが、チーム状況が良くないことによる負の連鎖は続く。
助っ人外国人の造反だった。ベガルタには少ない個の力で点数を取れる稀有な選手であったが、その反面で守備を怠る、審判に歯向かう、寝転がるという問題児だった。
最終的には監督に対する不満をヒーローインタビューでぶちまけ、契約が解除されたが、チーム状態が上向いていかない中でのネガティブな出来ごとに半ば呆れていた。

その後も勝てない状況は続き、徐々に近づく『降格』の2文字。
そして残留を争うライバルチームとの直接対決の結果を受け、その時がくることを悟り、心の準備をしたのである。

そして、訪れた『J2降格の事実』

その結果を受け、2試合を残しながら手倉森誠は解任された。
経営状況を考えると2022年も手倉森誠政権を継続して、2023年から指揮官を交代するかと思ったが、チームの判断は早かった。

後任には原崎政人ヘッドコーチが前提監督として選ばれ、残り試合を戦い、その後22年の監督就任がアナウンスされた。
そしてチームはJ1再昇格に向けて動いた。多くの選手が入れ替わったが、一度は袂を分かれたクラブの象徴や故郷に帰ってきた英雄など、サプライズ且つエモーショナルな加入もあり、2022年シーズンが開幕した。

リーグ屈指の攻撃力を武器に序盤から勝利を積み重ねた。戦前の下馬評を覆して、一時期は首位に立った。

 「勝てるって楽しい!試合が待ち遠しいぜ!」

長らく負けないための戦い方に追われていたチームを見ていた中で、22年シーズン序盤は強い仙台が帰ってきたことは新鮮であり、ワクワクしていた。リーグ屈指の攻撃力なんていう枕詞は久しく聞いてない、というか初めて聞くフレーズだったかもしれない。

しかし、良いことはそう長くは続かなかった。序盤からディフェンスラインは不安定であり、失点が止まらない。前年までチームの危機を救ってきた守護神がいたが、それも彼の力が驚異的だったにすぎず、J2になってから一層、顕在化してしまったのである。
序盤こそ他チームもチーム作りの最中で、仙台の攻撃陣の個の力が勝っていたこともあるが、中盤に差し掛かると疲労や怪我も重なり、自慢の攻撃力も鳴りを潜めた。
守備に構築するために様々なことを試していたが、失点はいつも同じパターンだった。完全に他チームに攻略されていた。攻守に手詰まりを感じた中だったが、勝ち点を拾うことはできていた。
勝ったり負けたりを繰り返していたので、自動昇格の2位ではなく、昇格プレーオフを勝ち上がることにシフトする決断が必要か、と思われた時期に唐突にリリースが発表された。

 原崎政人監督の解任、伊藤彰氏の監督就任

 「なんでこのタイミングで‥」「えぅ?伊藤彰?なんで??」

解任と新監督就任のリリースが矢継ぎ早だったこともあり、やや感情が定まっていなかったが、思い出すとこんな感情だったであろう。自動昇格圏内の上位2チームとも勝ち点差10は開いていたので成績を見れば解任されてもしょうがないのだが、仙台の戦力を見ればよくやっている、というのが大方の見方だった。

 「このままの状態を続けていてもプレーオフには入れるし、今年はそれで十分でしょう」

当時の仙台サポの反応をみても勝てなくなったけど、解任したところですぐ改善できるよ短期的な問題ではないとわかっていたし、そもそも久しぶりに勝てる仙台を取り戻してくれた原崎政人氏に情も移っていた。

しかし仙台のフロントはそれを許さなかった。細かい事情はわからないが、チームの姿勢として1年でのJ1復帰を態度で示さなければいけなかったのだろう。
その結果として、理論派として評される伊藤彰氏がちょうど野に放たれたタイミングあり、監督交代に至ったのではないか。

 「これは一発逆転のギャンブルに出たな」

自動昇格を狙うために残り8試合というタイミングで荒治療に出たチームだったが、現実はそんなに甘くはなかった。チームを再構築して軌道に乗せるには時間も少なく、問題の根幹も根深い。
ラスト2試合でようやく一縷の望みを見せてくれたが、最後は1点及ばず7位でプレーオフを逃すことになった。

『自動昇格圏内を狙う、最低でもプレーオフ出場』が伊藤彰監督に課されたミッションだと思われていたので、この結果を受けて監督続投の話は流動的と思われた。案の定、メディアからは新監督候補の名前が紙面をにぎわせていく中、チームは早々に公式発表を行った。

 伊藤彰監督の続投

契約段階でどんな結果になっても単年での契約解除はしない、という条項が含まれていたんだろう。でも、それでは解任された原崎政人氏が浮かばれないよな、と思うところもあったが『結果が出ない、監督交代』の負のループに入ってしまうのは避けたかったので一安心だった。

伊藤彰監督の手腕に対する期待値の高さもある。
彼が求めるサッカーを具現化するための選手を集めたらどうなるのかが、楽しみだった。そしてチームはこのサポーターのこの期待に応えるように例年以上に早くチーム作りを終えた。W杯もあったとはいえ、仙台だけが2022年に来季の体制発表したのは異例の早さだったと思う。
期待を胸に膨らませながら年を越せた。他チームの主力選手の契約状況に一喜一憂する様子を高見の見物をしながら。

そして、間もなく2023年の開幕を迎える。

伊藤彰監督には十分なバックアップ体制を整えることができた。上を見ればキリがないだろうが、ベガルタ仙台のチーム規模を考えればよくやったと褒めたたえたいぐらい。近年、これだけのバックアップがある中でシーズンを迎えられるのは例に見ない。
チーム内外から期待されている中で、伊藤彰監督はどんなサッカーで我々を魅了し、勝ち進んでくれるのか。楽しみしかない。こんなワクワクした気持ちは久しくない。

チームは債務超過も計画を前倒して解消することに成功した。そしてチームが未来を向くためのフィロソフィも掲げた。

2019年に戻してしまった時計の針は、3年間かけてゆっくり進めながら、
今年ようやく新たな時を刻む準備ができたのである。

ベガルタ仙台の未来は明るい。前を向き始めたチームを応援・サポートするために自分のできることを行っていこう。
J1再昇格と定着、タイトル獲得と続いていく輝かしい未来を信じて。

※編集後記※
この記事は2021年12月に途中まで書いていた文章です。完成させられずにいたのですが、
今年、Noteを再開すると決心するにあたり、まずはこの下書きを完成させてからだろう、ということでまずはこの記事をアップさせていただきます。
降格が決まった2021年の12月の部分はそのままに、昨シーズンの出来事とそれに対して自らの想いを書き綴りました。
書き残してみることで前を向くことができました。今年はこの思いを受けて試合の感想をアップしていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。

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