命の誕生

昨年の夏、人生で最も感動的な瞬間を経験した。それは、妻が我が子を出産する瞬間に立ち会った時のこと。

その日は昼に妻と散歩ついでに最近できたラーメン屋に行った。
しかし、妻は朝から前駆陣痛が来ていて、陣痛間隔をアプリで記録しながらラーメンを食べていた。
そんな女性がこの世にいるのか、なんてことを笑い合って話していた。

昼過ぎに病院へ行くと、出産日が近いこともあり、そのまま入院することとなった。
入院という実感がわかないまま、長男を迎えに行った際、保育園の先生に「もしかしたら明日とかに生まれるかも」とのんきに話していたのを覚えている。

17時ごろ、妻から電話があり、「生まれそう」とのこと。
もしかしたらと心構えしていたつもりが、相当うろたえた。
同じマンションに住むご近所さんに突撃して長男を預かってもらうことができ、急いで病院へ向かった。

※この日の朝、偶然にもこの家の奥さんとエントランスですれ違い、いざというとき長男君あずかれるんで!と声をかけていただいていた。この言葉がなかったら、頼むことをためらっていたと思う。そしてピンポンを押したとき、たまたま旦那さんが在宅勤務だったため預かっていただくことができた(奥さんはその時不在)。本当に感謝しかない。

病院に到着すると、すぐに分娩室に通された。

そこは医療機器の電子音やエコーによる子どもの心臓の音が聞こえ、緊張感が漂ってた。
妻は陣痛に耐えながら、必死に呼吸を整えている。
自分ができたことと言えば、場を乱さずまいと、案内された分娩室の端っこでじっと息をひそめることだった。

時間が経つにつれ、陣痛はますます激しくなり、さっきまでのは何だったんだというくらい妻は苦しみもがきはじめた。またしても自分にできることは祈ることだった。

そして、ついにその瞬間が訪れる。
新しい命がこの世に誕生した。
機械が発していた赤子の心臓の音(エコー)が消える代わりに、産声が響いた。胸がいっぱいになり、言葉にできない感動が押し寄せてきた。

大変な苦労で生まれたのを間近で見て、出産とは母子ともに命懸けだということを体感した。これはライブでないと味わうことができない。ちなみに長男の時はコロナでそもそも立ち合いは不可能だった。

この経験を通して、私は命の尊さ、そして家族の絆の強さを改めて強く感じた。

人類が誕生してから約20万年が経つらしいが、人間は突然生まれてくるものではなく、必ず母親のお腹の中から生まれてくる。

自分たちは遺伝子的に先祖と必ずつながっていて、どこかで切れたり、途中から発生したりすることも無い。

母方をたどれば必ず一本の筋でつながっている。

そしてそれは20万年間途切れることなく続いている。奇跡過ぎる。今回、子どもが生まれた瞬間、その一本の筋が少し伸びたという感覚が確かにあった。

しかし、遺伝子的につながっているということだけがすごいわけではないと思う。

人間は集団社会の中で生きていて、親だけでなく、教師や友人、そして多くの人々の支えや仕事によって成長し、生きてこれている。人間は互いに助け合って生きている。
だから、子だくさんの夫婦だろうと、子どもがいない人だろうと、人類20万年の歴史は、すべての人間が作ってきた歴史だと思っている。

これからもこの感動を胸に、家族とともに歩んでいきたい。

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