【物書き部企画】『流れ流されていく暴走列車 2期生よっしーさん(宝石・ジュエリー卸販売)』


 よっしーさんといえば、まず浮かぶのは『放送部の部長さん』ということだろう。
 放送部はオンラインサロン田村淳の大人の小学校が始まってから初期に立ち上げられた部活でもあり、存在感がある。 
 たくさんのコンテンツを定期的に発信し、大きなイベントの時も並走してオンライン発信などして盛り上げてくれている。それを2代目部長としてまとめているのがよっしーさんなのである。


●ふだんはなにを?●
 よっしーさんは『宝石屋さん』だ。正確に言うと宝石の卸や小売販売をしている。
 主な買い付け産地はスリランカ。宝石の国と呼ばれ、ダイヤとオパール以外のほとんどの宝石が産出される。年3回は直接訪れ、ルースと呼ばれる原石から取り出され磨かれた石を買い付ける。
 特にサファイアとアレキサンドライトが得意分野で、業者さんに卸すのだが、自宅サロンで直接お客様にお勧めすることもあるそうだ。

 ここへ至るまでには、少々意外だが『流れ流されてきた』経緯がある。
 昭和34年によっしーさんのお父さんが創業した、ピアノの大きな部品を作る会社にさかのぼる。自社の溶鉱炉もあったそうだ。しかし時代の流れから会社をたたみ、賃貸業に転換。
経営者人生はお父さんが亡くなりお母さんを助けるために、浜松に戻ってきたところから始まる。
 それまでは東京で大手商社や貿易会社の経理などをしていた。ご主人は転勤族で単身赴任していたので特に問題もなかったらしい。マンションの老朽化から賃貸業もやめ、新しい仕事を始めようとした。

 『会社自体をたたむ選択肢はありましたか?』という問いに、それは全くなかった、とよっしーさん。
お父さんは4人の子供たちにそれぞれ『家を頼むぞ』とこっそり伝えていたそうで、それが分かったのはだいぶ後の事。
 お父さん大好きっ子だったよっしーさんは『私はお父さんに託された!』と使命に燃え、約束を果たそうという気概をもっていたのだ。

 長子のよっしーさんはとてもお父さんに可愛がられていて、膝に乗せられてドライブに行ったことなどよく覚えている。その背中を見て育って、こんな風になりたいと思ってきた。

 官公庁や公的機関へ備品を納入する仕事に切り替え会社を存続させてきたある日、転機が訪れた。ふとしたきっかけでスリランカとのご縁ができたのだ。

 転勤族のご主人はその頃には浜松勤務になっていた。趣味のサーフィンの帰りに寄るお気に入りのカレー屋があった。そこはスリランカ人のご主人の家庭の味を、日本人の奥さんが再現しているというお店だった。そこに通うようになったのがきっかけでスリランカに一緒に行くようになった。

 パワーストーンに詳しい知人がビジネスをするためにスリランカから石を仕入れるようになる。しかし仕入れのロットが大きすぎて扱いきれなかったこともあり、そのうちよっしーさん自身が仕事にしていったのが今に繋がっていく。

 宝石の勉強を始めたのはそこからで、本来まったく興味外のジャンルだったそうだが、どこに魅かれたのだろうか。
『美しいものに触れられること』
『宝石は耐久性があるものなので、家族の絆などのストーリーに触れられるところ』
『海外とのやり取りがあること』
などが宝石を扱う魅力なのだそうだ。



●そんなよっしーさんの青春●
 そんなよっしーさんが実は暴走系サブカル女子であり続けていることは、たむ小ではあまり知られていない。

 趣味の範囲はものすごく広い。
 活動範囲もものすごく広い。
 特に音楽が好きで、ラジオきっかけで好きになったミュージシャンがいて、長年追っかけているし、もちろん今も全国どこでも駆けつける。
 好きになったらまっしぐら!

 明石家さんまの生放送深夜ラジオ『ヤングタウン』が好きでどうしても会いたくなり、中学生のころ東京まで行って深夜ラジオの入り待ちもしていた。『気をつけて帰りや~~』と声をかけてもらったこともある。
 リクエストハガキを出しまくり、クラスの男子と枚数や採用数を競っていた。実はその子のことが好きで、大人になってもやっぱり好きなことは秘密である。


●夢●
 ラジオが大好きなそんな青春時代。『ラジオの人になりたい』という夢が芽生えたのは自然な流れだった。芸術や放送に関わる大学を受験したが、ラジオの人になるための大学へは行くことができなかった。

 失意のどん底にあった3月、追っかけミュージシャンのライブがあった。ライブ前に入り待ちをして、夢破れたことやどうしていいかわからない今の心境をつづった手紙を手渡せた。

 その日彼は発熱してフラフラの中ライブをやりとげていたことをファンは知っていた。新幹線に乗るのを見送るため、ホームのKIOSK(売店)の小さな建物の陰から心配しながら見守っていた時のこと。

 ふと、お付きの警護の人たちと一緒に離れたところにいた彼がKIOSKの方へふらり、と歩いてきた。その頃のKIOSKには文庫本を置いている回転型の小さな本棚があった。 
 彼はその本棚を見るともなくクルクルと回しながら独り言のように『夢、あきらめるんじゃないよ』とつぶやいて、また元の場所に戻っていった。
 よっしーさんはその時のことを、いつどんな時も鮮明に思い出せる。

 よっしーさんは自分からやりたくて就いた仕事はない。東京での就職、浜松で家業を継いで形を変えながら会社を存続させてきたこと。ちなみに宝石を扱う仕事になっても会社名は昭和34年創業時のままなので、名前とやっている内容がそぐっていないままである。流れ流されてここまでやってきた。

 しかしふと現在の自分を見てみると『夢・・・叶ってるな』と思う。
 田村淳を面白いと思い、たむ小に入ってみた。いろいろあるけれど『何にも代えがたい大切な場所』だと感じる。 まじめに楽しく、みんなで放送部をやっていくことに価値を見出している。あんなに恋焦がれてなりたかったラジオの人になっている。

 一人でも全世界に音声や映像を発信することはできる。でもあこがれの人に夢をあきらめるなと言われたあの時の風景。
 自分がラジオにもらった楽しさや興奮やはげましや、そんなものをみんなで作って届けられたらいいなと思う。番組をきっかけに、先生と児童、児童同士が繋がってゆくこともモチベーションになる。

 前に出るのは興味がなくて、誰かをいかに素敵に見せるかが楽しい。
 でもちょっとやってみたいこと、それは『深夜の男っぽい話』だそうだ。ジェンダーレスのこの時代に、あえて男の美学やたしなみに関する番組をやってみたい。それはきっとお父さんの背中を追いかけてきたよっしーさんの原風景なのだろう。


「インタビューを受けた人」
【2期生】よっしーさん

「インタビューをした人」
【4期生】わさびさん