【物書き部企画】森本英樹 42歳  No.02_今後の方が楽しみ

1994年4月。
スラムダンクアニメ放映開始の半年後、彼は高校生になった。

元来は人見知りがちで、家族や仲間内など小さなコミュニティ内での「おもしろいやつ」だった森本少年だが、この頃には人見知りもすっかりなくなり、人前も恥ずかしいと思わない、皆が認める「おもしろいやつ」になっていた。

この年彼に、その後の人生を決めることになる出会いが訪れる。

2つも、だ。。

8月。
彼の暮らす高知県高知市では、毎年よさこい祭りが行われる。
高知市内9ヶ所の競演場・7ヶ所の演舞場で約200チーム、約18,000人の鳴子を持った踊り子が工夫を凝らし、地方車には華やかな飾り付けをして市内を 乱舞する土佐のカーニバルである。
(よさこい祭り 公式Web Siteより)

前夜祭から3日間(現在は後夜祭を含む4日間)、派手な衣装に派手なメイクやフェイスペイントを施し、チーム一丸となって楽しみながら競い合う。

皆、日々練習を重ねて本番に臨む。
練習の成果を出し切って存分に楽しんだ後は、各チームで打ち上げが行われる。

16歳の森本英樹は、あるチームの打ち上げに参加した。

中学生の頃から始めたバスケに魅了された彼は、高校でもバスケ部に入部していた。
バスケットで名の通った高校ではなかったが、後に県大会で優勝し、全国大会出場を果たすことになる彼らバスケ部員には、よさこいの練習に参加する時間はなかった。

とは言っても、多くの人出で賑わう四国三大祭りの一つ。打ち上げだって、そこ此処で行われる。
横目で見ているだけなんて、そんなこと、できるわけがない。

皆と同様のフェイスペイントをし、まるで練習からずっと参加していたかの様な顔で、友達のチームの打ち上げに参加した。

そして出会った。

後に「あなたの夢が私の夢だ」と言ってくれる、3つ年上の人生のパートナーに。

1994年8月11日のことだ。

綺麗な人だなぁ。と思った。
地元を離れて大阪で働く3つ年上の彼女は、高校1年生の彼には、とても大人に見えた。

一目惚れとも言える出会いだったが、大阪で働く社会人の彼女は、高知の高校生が頻繁に会える相手ではなかった。

夏は終わり、季節は過ぎ行き、1995年の春。
彼は17歳になった。

相変わらず部活に精を出す日々の中、彼の元に吉報が舞い込む。

彼女が高知に帰って来たのだ。

共通の友達を交えて遊ぶうち、彼は彼女に夢中になる。
当時付き合っていた子には別れを告げ、本気で付き合って欲しいと伝えたが、笑い飛ばされた。

「ないないない!」

それが彼女の反応だった。
そりゃそうだ。

彼女は20歳の社会人。
3つ年下の高校生なんて、恋愛対象として考えられるわけがない。

もうすぐ成人式だってある。
久々に会う友達も沢山いる。
「今付き合ってる人、いるの?」
は、必ず聞かれる質問だ。

「いるよ。」
「えーどんな人?」
「3つ下の高校生…」

いやいやいや、堂々とそう答えられる21歳の女子なんて、あの時代、なかなかいないだろう。

当然とも言えるような彼女の反応だったが、めげることなく挑んだ。
「諦めたらそこで試合終了」と思っていたかどうかはわからないが、
「猛アタック」したのだという。

その甲斐あって、やがて彼の想いは通じた。

17歳のその時から、25年。
何度もの危機はあったものの、実際に別れたことは、一度もないという。

インタビューの間、彼は何度も言った。
「嫁がスゴイんです。」と。。

高校を卒業した彼は、彼女を高知に残して上京し、吉本入りする。

高知にいる頃は喧嘩などしたこともなかったが、遠距離になると喧嘩ばかりになった。
電話で喧嘩しては、翌日には飛行機で高知に帰った。
そんな生活が一年半ほど続いた冬のある日、彼女から、妊娠を告げられる。

毎日のように電話し、毎月のように高知に帰ってはいたが、携帯を持てるのも飛行機代を払えるのも、親の援助があってこそだった。
当時の彼の芸人としての月収は1万円。一度の飛行機代にもならぬ程度。アルバイトの収入だって10万円あるかないかという状態だった。

そんな20歳の自分のことを、彼はこう例えた。

〈船なの?これ。って状態のもの〉

今、女の子の親となって、思う。
娘を危険な船になど乗せたくはない。
できれば、稼ぎがあって安定していて、沈むことなどなさそうな…欲を言えば豪華客船のような、少々の揺れなど問題にもならないような、煌びやかな船に乗って欲しい。
でも、あの時の自分は「船なの?これ。本当に船?何これ?」って状態だった。

そんな、船だか何だかもわからないようなものに乗ると言ってくれた彼女は、凄いと思う。
「あなたの夢が私の夢だ」と言ってもらって自分は嬉しかった。でも、それはとても覚悟が必要なこと。
自分の努力ではどうにもならないものに賭け、それに乗ってくれた彼女の凄さを、歳を重ねるごとに、強く感じている。

「本当に、嫁が、スゴイんです。」。

そうして結婚し、生まれた長女が、21歳になった。

「どうします?
 あの時の自分のような男性が、
 娘さんと結婚したいんです。
 って挨拶に来たら。」
と問うと、少し考えて、声を上げて笑いながら答えた。

「たぶん、ダメですね〜アウトです!」


あの時、彼女が船だか何だかもわからないようなものに乗ってくれたから、今がある。

衝突もしたし、離婚を考えたこともあった。けれど、その度に話をし、乗り越えてきた。

「何でも話すこと。
 大事なのはやっぱりコミュニケーション。」

彼は言う。。

「これからも、そうやって一緒に歩んでいくんでしょうね。」と言うと、こんな風に語ってくれた。。

今後の方が楽しみです。

あいつ、何歳まで俺で笑うんだろ?
おじいちゃんおばあちゃんになっても、笑ってんのかな?
「もういいよ、じーさん!」って言われる時が来るのかなぁ?

僕らに会った時、
「こんなに面白い人が世の中にいるんだ」
と思ったって言ってたんですけど、今も、その気持ち、変わってないと思うんですよ。
めっちゃ笑うんです。
娘も笑ってくれるし、笑わせたいターゲットがいて、めちゃくちゃ楽しいですよ。

昨日、1月31日は《愛妻の日》。
にしよしさんの児童講座で、キャベツ畑の中心で愛を叫ぶイベント《キャベチュー》の話を聞き、

「俺は絶対やらないけど、めちゃくちゃいいですよね〜!」
と言っていた森本教頭。

「照れがあるから言われた時嬉しいし、照れは捨てられないが、それでいいんだと思う」
と言っていた森本教頭。

「年に一回はこういう日があってもいいと思う。」
と言っていた森本教頭。。

彼は、どんな《愛妻の日》を過ごしたのだろう。

〜 <No.03> へ続く...(はず) 〜

「インタビューを受けた人」
森本英樹教頭

「インタビューをした人」
【2期生】コダマ

(2021/2/1現在)