できない自分を見ることは老(害)化を防ぐ

どうもこんにちは、アツシです。

今回の表題は、科学的な話ではなく
筆者個人の見解であり、
根性論が大半を占めます。(笑)

表題にもある通り、
「できない自分を見ることは老化を防ぐ」

逆に言えば
「できない自分から目を背けると老化する」

ということなのではないかな、
と最近ふと思いました。

※この記事で記す「老化」は
 「頭が凝り固まる」という定義にします。

具体的な例を示してみましょう。

現在、スマホはかなりの率で
普及していますが
使いこなせている人とそうでない人
特に60代より上の人たちは
その差が顕著だと思いませんか?

筆者の知る限りでは、
使いこなせている人は、
どこか若々しく、ハツラツとした
ところがあるように感じます。

こういった人たちって、
スマホの操作を覚えていくにあたって
「できない自分を見ること」に対して
抵抗が少ない人たち
だと思うんですよ。

だから操作を覚えていく過程でも
精神的に苦痛にならない。


逆のパターンはどうでしょうか。
スマホの操作を覚えるにあたって、
「できない自分」を見ることから
目を背けてしまう人たち

スマホの操作を覚えることそれ自体を
すぐにやめてしまうと思うんです。

何故か。
単純にそういう自分を見るのが
苦痛になってしまっているから。

そうなると次に起こるのが
「今までの自分の手札だけで勝負する」
という生き方になってきてしまうんですよね。

スマホの操作が覚えられなくても
ガラケーの操作はできる、だからOK
みたいな感じですね。

しかしながら、「時代」というゲームは
残酷なほどに目まぐるしく進行します。

既存の「手札」という価値観も
いつまで使えるか、、
そう遠くない将来に
全く使い物にならなくなる、
そんな手札かもしれません。


前者のような人たちは、
時間がかかるかどうかは別にしても
新しいコトを必ずモノにしていきます。

そうなると自然の自分の手札(価値観)の
バリエーションも増えていきます。

そして、ゲーム(時代)が進行しても
そこに適応できていくわけです。


一方で後者のような人たち、
限られた手札(価値観)しか持たない人は
その範囲でしか物事を見なくなる、
考えなくなるので、凝り固まります。


ここまでは一つの例として
「スマホ」を題材としましたが
日常の色んな場面で当てはまると思います。

この記事は筆者自身への
自戒も込めて書いています。

最近は旅行に行くとなると
過去に一度訪れた先を
選んでしまいがちです。

冬場になると
よくスノーボードに行くのですが
毎回同じゲレンデを選んだり
帰りの温泉もお決まりの所になったり
してしまいがち。。。


それは先ほど書いた通り
「失敗した自分を見たくないから」
という側面が強いんですよ。

でもそうやっていると、
同じゲレンデばかり行っていたら
そこのコースにしか適応できなくなるし
スノースポーツについて考えるときも
そこのゲレンデしか、モノサシが
なくなってしまうわけです。

もうこれは凝り固まっていく一方です。

挙げ句の果てには、他のゲレンデで
「でも、あそこのゲレンデでは、、」
なんてことを口走るんでしょう。。

もう、老害の域ですよ(笑)


たまにいる、
いわゆる老害と呼ばれる方々が仰る
「俺たちの時代はこうだった」
「今の若者は云々、、」
というのも、こういう思考回路から
来てしまうのでしょうね。

一つの解決策として
「"できない自分を見ること"への
免疫をつけていく」
ということを筆者から提案したいです。

もちろんこれは、筆者自身も
心がけていきたいです。

やらない理由、やりたくない理由から
「できない自分を見るのが嫌」
という要素を排除した時、
一体どれくらいのことが
できるようになるでしょうか。

かなり幅は拡がると思います。

筆者も幅を拡げて、拡げたものを
今後、随時発信していきます。


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