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劣等感の塊だった僕に、生まれて初めて自信をくれた言葉



言葉は人を傷つけるナイフにもなり得るが、人の傷を守るガーゼにもなり得る。
言葉の持つ力について、実体験を書きたいと思う。

自分の何にも自信を持てなかった。

中高時代の僕は、コンプレックスの塊だった。

すぐ人の顔色をうかがう臆病者で、うじうじしていて、運動音痴で容量が悪い。
気の利いたことも言えなければ、思ったことをはっきり言えない。勉強も、そこそこ。


-僕みたいな人間は社会人になってからも職場で嫌がらせを受けてノイローゼによる自殺か過労死でもするのだろう。

ぼんやりとそんな将来を想像していた。

それが嫌だったのと、それまで楽しんでこなかった分を大学で取り返したくて必死に勉強した。

努力が報われて第一志望の大学に入っても、自分に自信を持てずにいた。

-行きたい大学に入れたところで、ダメ人間はダメ人間なんだ。学歴程度で変われるわけがないだろう。

そう自分に言い聞かせていた。

今思うと、呪いみたいなことを言い聞かせていたと思う。

変わるきっかけ

そんな僕が自分自身の可能性を信じようと初めて思えたのは、大学3年の春だった。

カリブ海のハイチが大きな地震に見舞われたニュースをきっかけに、世界のために何かできる自分になりたいと思った。
だから、ご縁を感じた国際協力団体に入らせてもらった。


新入生歓迎会では、団体の創始者である先輩が、一人一人の目を見て素質を見抜くという時間があった。

「君は、人当たりいいから可愛がられるね。それでいてやり手だぞ」

鋭い眼光で、一人ひとりの瞳の奥をのぞき、見えたものを伝えていく先輩。

-僕の番が来なければいいのに。

周りに合わせて笑ったり驚いたりしながら、内心そう思っていた。
自分に何もないことを見透かされるのが怖かったのだ。

無情にも、僕の番もきた。

「君は……化けるな。」

(…え?)

「おーい、みんな!今のうちにこいつと仲良くしておいた方がいいぞ!!」


-僕にだって、できることがあるかもしれない。


先輩のこの言葉のおかげで、人生で初めて自分に期待を持てたような気がした。

その後も色々な恩人たちとの出会いで僕は自分に自信をつけて行くことができた。

自信に満ちているとは言えない。

けれど、自信がない時には

-まあ、できることを地道にやっていくだけだよな。

と、開き直ることができるようになった。


そうやって変わっていく最初のきっかけをくれたのは、諦めて蓋をしていた自分の可能性を初めて思い出せてくれたのは、間違いなくあの先輩の言葉だった。

きっとその先輩は今、僕にそういったことを覚えていないか、記憶にあってもあまり思い出さないのではないかと思う。

でも、何気ないその言葉で、僕の人生は大きく変わった。

人の言葉には、誰かの人生を変えるほどの力が宿る。

それは僕にも、そして読んでくださっているあなたにも言えることだ。



生きている間に、先輩が僕にしてくれたことをどれだけ恩送りできるだろうか。

そして今日も、僕は言葉と向き合う。

ご覧いただきありがとうございました。

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