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旅の記:2023年4月のツアー⑦才蔵寺(広島県広島市)

【旅の記:2023年4月のツアー⑦才蔵寺】

広島にて槍の名手として斎藤・織田・豊臣の家臣に仕えた可児吉長、通称才蔵を祀る才蔵寺へ。
才蔵は関ケ原の戦いでは福島正則に仕えており、多くの敵兵を討ち、首を持ち運ぶのは邪魔として、その口に笹を含ませて自分の手柄としたという逸話から「笹の才蔵」としても知られる。正則が関ケ原の功績により安芸広島藩に加増移封されると、才蔵も広島に移った。慶長18年1613年に若いころから厚く信仰していた愛宕権現の縁日の日・6月24日に甲冑を着て床几に腰かけたまま亡くなったと伝わる。

墓は才蔵寺のあたりの西国街道沿いに設けられたが、参勤交代の折には、名のある武将は下馬して七と水を手向けたという。
その武勇が後々まで愛されていたことが分かりますね。

みそ地蔵の由来は、広島藩が改易に処分になったときに、幕府のやり方に納得いかない才蔵は数十名の部下と城に立てこもり、抵抗したという。その時兵糧攻めをされるが、城山に会った地蔵さんに笹の葉を供え、その上に米と味噌をのせて祈ると願いが叶うという噂を広めて、食料を集めたという伝説があるからみたいです。
実際は才蔵が亡くなった後に福島家は改易となるので、あくまでも伝説ということですね。。


才蔵の墓。味噌地蔵として祀られているようです。お味噌が奉納されるとか。
こちらがご本堂
重要文化財縁結びの神様 護身愛情歓喜天金像が安置されているそうです。
新しめですが供養塔もありました。

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