旅の記:2023年4月のツアー⑨福山城(広島県福山市)
【旅の記:2023年4月のツアー⑨福山城】
福山城。放浪大名こと水野勝成が1619年西国の抑えとして備後国東南部と備中国西南部を領す備後福山藩10万石を与えられ入封、既存の神辺城を廃して築城した。一国一城令の時代としては異例の新築築城で、大規模な近世城郭としては最後の例とされる。
もともとは杉原保と呼ばれた荘園があった地域だが、干潟を干拓して城下町を開き福山と名付けた。
水野氏は5代で無嗣除封となり一時天領となるが出羽山形より松平忠雅が入封するが10年で転封、阿部正邦が宇都宮藩から入って幕末まで続く。長州征伐では幕府軍として戦うが、長州軍に完敗、その後は世の情勢を傍観していたが、王政復古により新政府軍は徳川譜代の福山藩を朝敵とみなし侵攻してきた。最初は籠城して対抗するも、新政府軍の本格的な攻撃がはじまる前に恭順を許さると、それ以後の戦いで福山藩兵は先兵として不遇の扱いを受けたという。
維新後、廃藩置県により福山県となり、明治6年の廃城令によって本丸を除いたほとんどの敷地が売却された。残された天守は破損が進み、公園となっていた本丸も荒廃するが、昭和になると文化的価値が再評価されて、天守などの残存建築物が修理され国宝に指定された。しかし、太平洋戦争時の空襲によって焼失してしまった。
戦後はしばらく荒廃したままだったが、福山市市制50周年に天守、月見櫓、御湯殿が復興された。マンション建設などにより石垣が移設されたりすることもあったが、平成18年に日本100名城71番に選定された。
しかし、駅前に位置していることもあり、整備計画により遺構が消滅する可能性はあり、市民が反対運動を起こしている。開発と保存の間で揺れる福山城なのですね。。