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旅の記:2023年8月のツアー㉚法音寺(山形県米沢市)

【旅の記:2023年8月のツアー㉚法音寺】

法音寺は真言宗豊山派の寺院で山号を八海山、ご本尊は大日如来です。上杉家の菩提寺で、慶長6年(1601年)上杉景勝が会津、そして米沢に移封に伴い春日山城から米沢城二の丸に移転した。
明治3年(1870年)神仏分離により現在の地に移された。

もとは天平9年(737年)越後八海山の麓に聖武天皇の勅命によって創建されたそうで、建久8年(1197年)には源頼朝の祈願寺にもなったという。

こちらには上杉謙信が春日山城の毘沙門堂を建立し、日々祈りを込めたという銅造毘沙門天立像があります。謙信が戦から戻り毘沙門堂に上がると、堂内に泥のついた足跡が毘沙門天像まで続いており、「毘沙門天が共に戦場を駆け巡ってくれた」と感動したという伝承があり「泥足毘沙門天」とも呼ばれるそうです。NHK大河ドラマ「武田信玄」で柴田恭兵さん演じる上杉謙信が、熱心にお祈りしているのを思い出しました。7月に行った春日山城には復元された毘沙門堂がありましたね。

またこちらには秘仏として信濃善光寺の善光寺如来が安置されています。川中島の戦いのときに善光寺の如来像を上杉謙信が保護し、越後の十念寺を経て、景勝の国替えと共に米沢にやってきたそうです。法音寺では年に一回、5月に御開帳をしているようです。
善光寺如来には武田信玄が保護して甲斐へ移し、甲斐善光寺を建てたという説もあります。そして武田氏滅亡後は織田信忠により岐阜善光寺へ、そして本能寺の変の跡は織田信雄により尾張へ、そして家康の手で甲斐善光寺に戻された。武田家は滅亡、織田家は信長を本能寺で失い没落、家康も一時遠江に如来像を置いていたが、背中にられ物ができて重篤になったとして、祟りを恐れ甲斐善光寺に戻したという。
さらには慶長2年(1597年)には地震で損壊した方広寺の大仏の代わりに、善光寺如来を移し安置したが、結局秀吉も病を得て、善光寺如来の祟りではないかとして、信濃善光寺に戻した、、ということで善光寺でも御開帳していますので、諸説あるということです。
僕的にはどちらも本物!ということで、掌を合わさせていただきました。

ご本堂。中を案内いただき、対日如来、毘沙門天像にご挨拶。他に訪問者のかたもいなく、一人にしていただいたので、しばらく毘沙門天像を眺め、謙信のことを考えていました。





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