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旅の記:2023年のツアー㉙日御碕神社(島根県出雲市)

【旅の記:2023年のツアー㉙日御碕神社】

前回の出雲旅、時間の関係で来れなかった日御碕神社にやってまいりました。上下2社からなり、上の宮を神の宮(主祭神・素戔嗚尊)、下の宮を日沈宮(主祭神・天照大神)と称し、日御碕大神宮とも呼ばれます。
社伝によると、スサノオは国造りを終えると、静まる地を求めて柏葉で占いをした。すると葉は隠ヶ丘に止まったため、御子である天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)がその地で安寧天皇13年(紀元前536年)に奉斎したと伝わる。隠ヶ丘は社殿の裏の丘で、古墳になっているそうです。また日沈の宮は天之冬衣神が文島(現・経島)にいた時に、アマテラスが「汝すみやかに我を祀れ」との神勅があって、お祀りしたのがはじまり、とのことです。天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座した。
朝廷からの崇敬は厚く、鎌倉時代からは幕府が社殿の修造などをしている。江戸時代には幕府、出雲松江藩初代・堀尾忠氏が社領を与え、出雲大社に次ぐ大社とされた。
両宮の現社殿は3代将軍家光の命で、松江藩主・京極忠高によって寛永11年(1634年)に造営がはじまり、寛永21年(1644年)松平直政の代で竣工し、以後歴代藩主の崇敬を受けた。

寛永16年(1639年)家光の寄進であるという鳥居。(重文)
和布刈神事(めかりしんじ)。「成務天皇6年1月5日の早朝、一羽のウミネコが海草を日御碕神社の欄干に3度掛けて飛び去った。不思議に思った神主がそれを水洗いして乾かしたところ、ワカメになった」という故事にならって、権現島に鎮座する熊野神社で神事が行われるそうです。
楼門。(重文)
楼門を過ぎると、門衛の役割を担っているという門客人社2社があります。
どちらも重文。
日沈の宮の拝殿。(重文)まずはお姉さんからお参り。家光寄進ということもあり、日光東照宮を模した権現造りで、三猿や龍の彫刻がある。
ご本殿。(重文)「日沈の宮」という名は、伊勢神宮が{日の本の昼を守る」のに対して、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」という勅命を受けた神社であるから。
少し高いところに
上の宮(神の宮)拝殿。(重文)
ご本殿。(重文)
上の宮から見た日沈の宮。姉弟、仲良くね。
摂社末社と荒魂神社。
大きな蝶が休んでいました。
隣接する港には日沈の宮が鎮座していたという経島(ふみしま)。

この日は朝から雨が降ったりやんだりの空模様でしたが、さすがは太陽神アマテラス、太陽が顔を出してくれました。ありがとう!

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