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旅の記:2023年8のツアー⑫廣田神社(青森県青森市)
【旅の記:2023年8のツアー⑫廣田神社】
長徳元年(995年)陸奥守として赴任し、この地で没した藤原実方が蝦夷鎮撫のために「夷之社」を創建したのがはじまりとされる廣田神社。主祭神をアマテラスの荒御霊とし、相殿にオオクニヌシ、コトシロヌシを祀る。また実方の功績をたたえ、また和歌の神として配祀されている。
風流才子で藤原公任などとも親しく、「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルのひとりとも噂される実方ですが、陸奥守赴任は左遷であったとされる。
一条天皇の面前で藤原行成と和歌について口論になり、実方が行成の冠を奪って投げ捨てた。これが天皇の不興を買って左遷されたという。陸奥下向の際には天皇から多大な選別を受けていることが行成の日記に書いてあるということで、この出来事が直接の原因かはわからないそうです。
砂金を産出する陸奥でのお役目は重要なもので、有能さを買われたのかもしれませんね。しかし、長徳4年(999年)に乗っていた馬が突然倒れ、下敷きになって亡くなってしまったそうです。。
小倉百人一首に一首選ばれています。
51番「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
寛永2年(1625年)弘前藩2代藩主津軽信牧が、青森の産土神として町の中心に遷座させた。また弘前藩の家老・進藤正次が青森の開拓・発展に大きく尽力したとして「青森守護神」として配祀されている。
昭和20年(1945年)青森大空襲により社殿や社宝を焼失、昭和47年(1972年)に氏子崇敬者によって現在の社殿が再建された。
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