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旅の記:2023年7月のツアー⑫居多神社<越後国一宮>(新潟県上越市)

【旅の記:2023年7月のツアー⑫居多神社】

南北朝時代から越後国守護上杉氏からも崇敬を受けて、一宮とされた居多(こた)神社。ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の4柱。もとは現在の地から北西に約1kmにある身輪山にあった。創建は不詳ですが、平安時代にはその記述があり、歴史のある神社だということがわかります。居多神は神功皇后の三韓征伐の頃から北海守護の神であるという説もあります。
戦国時代には幾度も戦乱に巻き込まれ、天文2年(1533年)上杉定憲に焼かれるが、同年守護代・長尾為景によって社殿が再興される。謙信亡き後に起こった後継者争い(御館の乱)では上杉景虎についたため上杉景勝方の攻撃を受け社殿が焼失。景勝の会津転封後に春日山城に入った堀秀治が慶長4年(1599年)社領13石を与え再興、慶長16年(1611年)には幕府からも朱印地として100石が与えられた。
慶応2年(1866年)身輪山にあった社地が海岸浸食によって崩壊したため、神霊を遷座、宮司宅に祀られていたが、明治12年現在の地に社殿を造営、遷座した。

居多(こた)は「けた」とも読めるそうで、日本海側に多い気多神社の一社とされるそうでう。当社の御祭神でもある大国主と奴奈川姫は結婚して諏訪神社の建御名方を産んでいます。出雲勢力を象徴する大国主と北陸勢力を象徴する奴奈川姫の結婚ですから、出雲の豪族が北陸に攻め入って傘下にとりこんだのか、同盟したのか。。そして協力して長野に攻め込んだのか、などいろいろ想像してしまいますね。上越には建御名方の誕生の地もあったりするので、次回はぜひ行ってみたい!

明治35年に火災があり、現在の社殿は平成20年(2008年)の造営。
雁田神社。



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