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旅の記:2023年8月のツアー㉙藩校興譲館跡地(山形県米沢市)

【旅の記:2023年8月のツアー㉙藩校興譲館跡地】

米沢城の城下町にある藩校・興譲館の跡地。もとは元禄10年(1697年)米沢藩4代藩主上杉綱憲が儒臣・矢尾板三印の邸宅に学問所を設け、藩士の教育を行ったことがはじまり。しかしその後、財政貧窮によって衰退してしまう。
明和4年(1767年)に9代藩主となった上杉治憲(鷹山)が藩校設立の必要性を説き、学問所に普請を加えて再建、安永5年(1776年)に落成した。入学生は上士が主だったが、才能があれば中・下士出身でも選ばれて入学することもあり、時期により変動はあるも寄塾生30~50人、通学生は最盛期には1000人近くにもなった。

治憲は蘭方医学も積極的に取り入れたという。飛び地に越後岩船郡の沿岸(1万石)があり、海防の観点から海防学や操船術などが中心で、鉄砲以外、剣槍弓の武芸稽古は行わなかったとか。また尊王色の強い山鹿素行の古学も学ばれ、山鹿流を修めた吉田松陰や、勤皇論者の頼三樹三郎なども交流を求めて訪れている。こういったこともあり幕末の大政奉還後に佐幕派と尊皇派に分かれ、一度は藩主の意向で奥羽列藩同盟に参加するも、早い時期に脱盟し新政府に恭順、勤皇の姿勢を示したのかもしれませんね。

維新後は私学校として存続し、現在の山形県立米沢興譲館高等学校となっており、興譲館設立から数えると、公立の高等学校としては日本最古となるそうです!







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