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旅の記:2023年10月のツアー⑯駒形神社<陸中国一宮>(岩手県奥州市)

【旅の記:2023年10月のツアー⑯駒形神社】

駒形神社の創建は不詳だそうですが、駒ケ岳への山岳信仰がはじまりとされます。社伝では、上野国の名前の由来にもなった関東の上毛野一族が北に勢力を広げ、雄略天皇の御代(456年頃)上毛野氏氏神である赤城山によく似た外輪山を持つ山を見つけ、二番目に高い外輪山の山頂に駒形大神を勧請し駒ケ岳とした。これは赤城山外輪山にも駒形山があり、それを擬したという。
陸奥国胆沢城を創建した坂上田村麻呂や源頼義・義家父子、そして奥州に栄華を築いた藤原四代からの崇敬も篤かった。田村麻呂は当地で倒れた愛馬を祀り、後に円仁(慈覚大師)がその駒形神を山頂に移して本宮を造営したという話もあるようです。
江戸時代、駒形は仙台藩と盛岡藩の境界だったため、里宮は各藩内に一社ずつあったそうで、山頂の本宮は両藩が20年ごとに交代で建て替えをしたそうです。
明治4年(1871年)に本宮・里宮ともに参拝に不便として、当時の水沢県県庁の近くにあった鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされた。明治7年(1874年)に社殿を改修、正式な遥拝所とされた。明治36年(1903年)に山頂の神霊を遷して、遥拝所ではなく駒形神社として、鹽竈神社のものであった社殿の一切を編入した。
駒形の「こま」は当時朝鮮にあった高麗が「こま」と呼ばれていたこともあり、朝鮮半島との繋がりや、文化的に進んでいた高麗への憧れなどが、名前の由来になっているという説もある。
現在は天照大神・天常立尊・国狭立尊・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・山幸彦の6柱を駒ケ岳の神霊として祀っていますが、ここも諸説あるようです。とにかく古い神社で、交通の要所にあった重要な神社であることがうかがえますね。

神門
拝殿
ご本殿
鹽竈神社。駒形神社新設以前より鎮座していた鹽竈神社は、明治36年(1903年)境内にあった春日神社に合祀されて、社名が春日神社から鹽竈神社に改称された。鹽竈神社は源頼義・義家父子が鹽竈社を勧請して創建されたという説もあるが、寛文6年(1666年)に水沢城に入った留守宗利が勧請したと推測される。





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