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旅の記:2023年4月のツアー③児玉神社(山口県周南市)

【旅の記:2023年4月のツアー③児玉神社】

周南出身の有名人といえば陸軍大将児玉源太郎。日露戦争時には満州軍総参謀長を務めました。徳山藩士として箱館戦争で初陣を飾り、維新後は陸軍に入隊、佐賀の乱・神風連の乱に従軍、そして西南戦争では熊本城籠城戦で鎮台司令長官谷干城をよく補佐した。

明治18年1885年には陸軍大学の幹事を務め、初代校長にもなった。ドイツからメッケルを教官として招聘して、自らも講義に参加して、熱心に聴講したそうです。日清戦争では後藤新平とともに帰還兵に身分を問わない徹底した検疫を行い、伝染病の侵入を防いだ。台湾総督となると後藤を抜擢して、難しいとされた抵抗運動鎮圧など統治を成功させる。日露戦争では総参謀長として活躍、攻勢作戦をとりながら早期講和を示現した。
日露戦争後は参謀長に就任、日本をリードする人物として期待されたが明治39年1906年7月23日、就寝中の脳溢血で急逝した。

盟友である乃木希典のイメージに比べると、決断力のある闊達な、英雄感のある源太郎です。

児玉神社は大正12年1923年に地元有志の発起で、源太郎の旧邸址に創建されたそうです。ちなみにもとは少し離れたところで生まれ育った源太郎ですが、家督を継いだ兄が尊王攘夷の活動をしていたため、親幕派、いわゆる俗論派に惨殺されてしまい、お家は断絶された。しかし藩政が再び討幕派によって取り返されると、源太郎が家名を相続、当神社の場所に新しい屋敷を建てたそうです。

拝殿
ご本殿。手前はフジかな。。


七士の中には源太郎のお兄さんも
御朱印は遠石八幡宮でいただきました。

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