子どもに「ちゃんとして」の意味を説明した件
結局大人も矛盾している
5歳の子どもはとても無邪気。
そして正直。
小さい体の中にたくさんの感情が湧いて来て自分でも制御できない。
ま、それは大人も同じことなのかも知れない。
とても理不尽な言動や行動を起こす彼女たちにも“ちゃんと“通りが通っているのだろう。
僕たちも感情を言葉にする練習をしていないと「今何考えているの?」と質問されても戸惑ってしまうことがたくさんある。
「え・・・・・何も・・・。」と頭の中には何かしらの映像や言葉が流れていたはずなのにアウトプットが間に合っていない。
そんな大人が親になった時、急に教える立場になり正解を見せなくてはいけなくなる。
子どもにとっては親の全てが正解だからとても慎重にならなくてはいけない。
その考えもとても親のエゴだ。
でもエゴなしでは人間は生きていけない。
周りは関係ない。自分の好きなことをして生きていけばいい。と言いつつ周りにことを気にしている。
結局のところ大人も矛盾しているのだ。
子どもはよく見ている
子どもとのやりとりは瞬発力が必要になる。
大人が言葉を選んでいる間、子どもは待ってくれない。
質問した瞬間に言葉にできないことはなかったこととされる。
親にとって常に何を考えているかが問われる瞬間だ。
ご飯は手で食べてはいけない。
ご飯を食べている時は遊ばないで。
夜は静かにして。
靴は反対に履いてはいけない。
まだ新生児の時は、「いけない」「ダメ」だという言葉は使うまいと心に誓っていたが、そんなことはいってられない。
コミュニケーションは一瞬だからだ。
お話をする時間を作って自分たちが何を何を考えているか、その時に子どもが何を考えているかを話すことはとても重要。
できる時はやったほうがいい。
しかし、親も所詮人間。
繰り返される都合の悪いことには感情が大きく揺さぶられる。
何をどのタイミングでどんなトーンで話せば耳と頭に入るだろうか・・・
数十年という星の年齢からすると一瞬の我々の年齢から人間を諭すようなことを考えてもすぐに限界が来る。
自由にさせていればいい。を実行しようものなら「カオス」のお目見えだ。
誰が片付けんねん・・・・。
子どもも馬鹿じゃない。
大人がどうやったら機嫌よくしてくれるのか、それでいて自分が遊びまくれる空間を作るにはどうすればいいかを考えている。
お互いに主張がある。
しかも子ども大人があの手この手を考えたり実行している様を目の前でよく見ているのだ。
そりゃことごとく回避される。
ちゃんとしてって何?
ある時、隕石が落ちても気にしないくらいめちゃくちゃ忙しい朝。
いつも口を開いている子どもが口を開いてきた。
「“ちゃんとして!“って何?」
僕は鮭を焼いていた。
朝はとにかく魚と卵を食べさせる。
調理には時間と食べやすさがポイントなのだ。
油も使っている。
小さい子の肌にシミを作るわけにはいかない。
親はエゴでいっぱいなのだ。
え?
僕はあえて聞き返した。
聞き間違いかも知れない。
こんなドチャクソ忙しい時に子育てのテーマとも言えるような質問をしてくるわけがない。
5歳児は答えた。
「ちゃんとしてって何!!!!!?????」
声が大きい。
ちょっと怒っている。
どうやら聞き間違いではないようだ。
目の前には鮭。
子どもを近づけさせないようにする警戒心を保つ。
真剣な眼差しの女の子の目。(ちょっとキレてる)
差し迫る保育園に行かなくてはいけない時間。
どうする俺!!(普段自分のことを俺とは言わない)
とっさに出た答え
子どもとのコミュニケーションは一瞬。
子どもは大人のタイミングなどお構いなし。
将棋盤前の待ったなし状態。
僕自身、「ちゃんとして」という言葉を使っている意識はなかったけど、子どもが聞いて来るということは言っていたのかも知れない。
Youtubeの中で聞いたのかも知れないし、保育園の先生に言われたのかも知れない。
自分が言ったかどうかよりも「言葉の意味を理解しようとしている」娘は今成長を見せてくれている。
ここからの言葉は正解ではありません。
しかし、発した後で自分で改めて考えてみた時に親として大人としてのコミュニケーションの取り方を改めるきっかけになったのでした。
「ちゃんとしてっていうのは今までに伝えてきたことをやってねって意味だよ。わからなかったら聞いていいからね。」
食事が手からフォークに変わりそしてお箸に変わった。
かつては手で食べていたことを「よくできたね」と褒めていた。
しかし、フォークやお箸が使えるようになった瞬間
「手で食べないで!!」と怒られる。
子どもからすると、親が変貌しているのだ。
今までやってきたことをしているだけなのに「ちゃんとして!!!!!
」と鬼の形相で言われる。
そりゃ「ちゃんとしてって何!!?」と聞いてくるわけだ。
大人は麻痺している生き物
子どもに伝えるとき、大人は同じ大人の認識力だと勘違いしながら伝えてしまう。
自分たちも何十回と言われて初めてできたことを2〜3回でやらせようとする。
5回目にはもう「何度言ったらわかるの!!??」となる。
語学を学んだことがある人は経験があるだろう。
中学高校生活の6年間英語の授業があった人が多いと思う。
高校3年生の時に英語の先生から
「なんで6年も英語に触れて来たのに喋れないんだよ!!!!!」と言われても言えることはただ一つ。
「知らん!!!!!!!」
喋れるものなら喋ってるよ。教え方の問題じゃないのか?と問い詰めたくなる。
人は親になり子どもに同じことをしてしまう。
人間は時間の経過と共にかつての大人と同じ大人に育ってしまうことを認識しなくてはいけない。
普段から親が子どもにやってほしいことを言う時から忍耐強く真剣に伝えていこうと思ったのでした。
それが親の特権なのですから。
親が諦めたら子どもの間違いなく諦めます。
子どもは親の姿を私たちが思っているよりもたくさん見ている。
ただ着眼点が違うだけなのです。
これが子育ての罠。