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イドラとアイドル

自然科学とは何かと調べていると、今日はフラシスベーコン(画家ではなく、哲学者のほう)に至った。

ベーコンはアイドルも語源にもなっている『イドラ(idola、ラテン語イドルム idolum の複数形)』という概念を提唱している。イドラとは、人間の先入的謬見(偏見、先入観、誤りなど)を帰納法を用いて説いたもので、「偶像」「幻影」などと訳される。

ベーコンは4種類のイドラがあると提唱した。

Tribe
Cave
Market
Theatre

それぞれ人間の性質、個人の経験、伝聞、権威などの感覚と説明できる。

ベーコンは、この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すことができると説いた。

この感覚を受けて、ニュートンは著者『光学』の中でこう述べた。

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数学と同様、自然哲学においても、難解なことがらの研究には、分析の方法による研究が総合の方法に先行しなければならない。この分析とは、実験と観察を行うことであり、またそれらから帰納によって一般的結論を引き出し、そしてこの結論に対する異議は、実験あるいは他の真理から得られたもの以外は認めないことである。

総合とは、発見され、原理として確立された原因を仮に採用し、それらによってそれらから生じる諸現象を説明し、その説明を証明することである。
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ここで重要なことはニュートンはしっかりと「仮に」って言っているということ。イドラを継承している。懐疑主義的になりすぎても社会は成り立たないのだが。

むかし、地下アイドルの歌詞を書いたことがあるのだけども、なぜミニマムな規模のアイドルが成立するのかと考えてみた時に、アイドル自身がアイドルになろうとしているという生命の指向性、強さがあるからだと思った。私の歌詞は自然科学的感覚質が混ざっていて、歌手にそれを理解してもらえなかった気がする。自ら書いた歌詞の曲をプッシュされた。

規模は違うけど、華原朋美さんが『I'm proud』の歌詞の一部「リンゴのように」を「イチゴのように」と書き換えを提案したように、二人の秘密的なCaveのイドラをぶっ込んでいる事例もある。

イドラに存在を感じる。それを楽しむアイドルとファン。アイドルは自らアイドルと言っているのだ。

アイドルをメタ認知しながらアイドルを提供するYOASOBIもいるし、自分の作り出すイドラに飲み込まれてアイドルから足を洗うアイドルもいる。

還元や経験では、生命の起原、発展、社会の成り立ちなどの説明がつかないも増えて複雑系になってきたわけだが、日本のアイドルの数は一万人以上と言われることもあって、○○アイドルは複雑化している。

複雑化した認知が交錯しあう現在は、その落とし所は何かという最高裁判所の裁判官みたいなセンスが必要になる。

アイドルも学問も、複数人でどのように問いの立て方を構造化することができるのかという法に価値を見いだせそうだわさ。

スペキュラティブなやつは、イドラと懐疑主義の狭間にカンペイする。かいーの。

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