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覚えない超勉強法

はじめに

 新しいことを勉強する、そのとき、どうしても覚えられない、どうしよう、ということはだれしもありますね。そこで、この稿では、非常に強力な覚えない勉強法を紹介します。
 この方法は、これまでに勉強したことのないことに対して効きます。つまり、もう勉強したことがある事柄に対しては、あまり効きません。もういろんなことを勉強しちゃった人は……えーと、来世でがんばれ!!

前提条件

 この勉強法には、とても大切な前提条件があります。それは、あなたが頭がいいことです。はい、そこ、帰らない。頭がいい、と言っても、「想像力」と「弾力性」があるだけでいい、というレベルです。想像力というのは、何か知らない・分からないことを思い浮かべること。弾力性は、誰かに「それはちがうよ」と言われたときに意見を変えることができること。こういう能力は誰でも持っています。ただ、この能力は、使わないとどんどん錆びついていきます。歳を取ると頑固爺になるのは、この能力を使わないせいです。自分が知っていることがすべてだと思いそれ以外の世界があることを想像できない、それは違うといわれても自分の考えを変えることができない、というのが頑固爺です。頑固爺になっていなければ大丈夫。大丈夫だけど、でも、普段からこの能力をしっかり使っておきましょう。

 めっちゃ煽ってくる車がいたら、「どうしてあんなに急いでいるんだろう?」と想像してみましょう。「子供が生まれそうなのかも」「うんこ漏れそうなのかも」なんていうことを想像してみましょう。だんだん突飛な想像をしてみてもいいですね。「時速40km以下になると爆発する爆弾がついてるのかも」「おならが止まらずそれに着火してロケットブーストしていて必死でブレーキ踏んでるのかも」「実はあの車は存在してないのかも」「実はこの世界はコンピュータシミュレーションで私もただのプログラムなのかも」。あほな想像ほどいいです。使えば使うほど、錆びつきを防げます。

 弾力性も同様ですが、こちらは意識的にシチュエーションを用意するのが難しいですね。なので、意識のベースとして、想像力の一環として「自分は勘違いしてるかも」といつも想像しておきましょう。例えばお気に入りのデザートを買いにコンビニに行ってそれがなかった時、「置いてない! ひどい!」じゃなく、「あれ、勘違いしてたかな? もしかするとあっちのコンビニだったかも」「期間限定だったかも」「コンビニじゃなくてスーパーだったかも」と想像を広げられます。その後、実際に勘違いだったとして別のコンビニで見つけたら、「そうだった、勘違いだった、てへ」。これで弾力性の油さしは完了です。

最初に考えろ!

 では、勉強しましょう。知っていることの組み合わせで解ける問題を解いても意味がありません。この超勉強法は、「知らないことを覚えずに知る」というところがポイントなのです。知っていることの組み合わせは、知っていることを反復して使うしかありません。でも、知っていることがうろ覚えだったり間違ってたりすると根本が崩れます。ですから、「知っていることを間違えない」「確実に思い出す」ことが重要です。

 ではここで、これを読んでいる皆さんの大半が知らないことをベースに、実際に「覚えずに勉強」してみましょう。

 聖徳太子という人をご存じでしょうか。あの聖徳太子です。実は、あの聖徳太子には年長と若年の従兄弟が一人ずついたそうなのですが、それぞれは、どんな官職についていたのか、という問題です。

 さてここで、想像力を使いましょう。
 あの聖徳太子の従兄弟です。もちろんそれなりに高い位についていたに違いありません。でも、逆に偉人の肉親と言えば骨肉の争いがつきもの、中には、閑職に追いやられた人もいるかもしれません。特に、聖徳太子より年長の親族は聖徳太子の立場を脅かしかねず、危ない。ふむふむ、では、年長の従兄弟はきっと、地方ですね。特に律令国制度で格の低かった東国が怪しい。源の頼朝も流されたくらいだし、伊豆あたりの荘園の主とかですかね。若年の従兄弟はそれに対して、たぶん中央で、聖徳太子を補佐する役割ですね。冠位十二階でいえば第二位くらいでしょう。

 ではここで答え合わせ。年長の聖徳長子は、実は聖徳太子が定めたとされる様々な政治の仕組みを考えた人でした。ですので、実際、その政治力という意味では聖徳太子にとって邪魔な存在です。その一方、国を安定的に納めていくにはそのアドバイスはまだまだ必要でした。そこで、聖徳長子は都の東方の寺へ出家してもらいました。加えて、その寺を「参議院」とし寺の中で最も身分の高いものは中央からの要請があったときはそれに応える形でアドバイスを送る権限を持つことにしました。東方というのは合ってましたが、おしい、伊豆ほど遠くじゃなかったですね。しかも、聖徳長子が聖徳太子の業績の多くを考え出してたなんて驚きですね。確かにそれは、近くに置いておきたい。でも、政治的な権力をそぐために寺に入れる。うむ、理にかなっています。なるほど。
 さて、若年の聖徳末子ですが、子のなかった聖徳太子の後継者とされていました。ですので、聖徳太子に次ぐ位階についていましたが、残念ながら、聖徳末子も結婚しようとせず子を成しません。やむを得ず、聖徳太子は養子を迎え、その養子、聖徳養子を聖徳末子よりも高い位階につけるため、聖徳末子の位階を一つ下げることにしました。ところがこれに憤慨した聖徳末子は謀反。もちろん朝敵認定され位階ははく奪、瞬く間に鎮められ、討ち死に。よって、聖徳末子の死亡時の身分は「無位無官」です。いやあ、結婚さえしていれば順当に後継者になれたのに、非モテだったばかりに、残念なことになってしまいました。非モテは万死に値する。そういうわけです。

 さてお気づきの通り、全部嘘です。でも、「最初にある程度、常識と合理性に基づいて想像し、仮説を作る」、それから、実際の回答をみて「仮説を修正する」という流れ、見えたでしょうか。これが、「覚えない勉強法」です。今の勉強の流れで、覚えるところは一つもありませんでしたね。全部、自分の頭から出てきたことの「連想」です。

 聖徳太子の年上の従兄弟はどんな人かな? 年下の従兄弟はどんな人かな? と想像し、仮説を一つ作る。このとき、事前情報はありませんから、常識と合理性が想像のよりどころです。つまり、何も覚えていなくても自分の頭からするっと出てくる最初の想起。再現性があり、思い出す必要さえないベースです。そこに、答えを知った後の驚きを加えます。ちょっとカッコいい言い方をすれば、「ギャップを分析する」です。「東に、というのは合ってたけどそこまで遠くなかった」「長子は案外優れた人だった」「聖徳太子も長子を頼りにしていた」とか、「末子は実は非モテだった」「非モテが原因で後継者の座を奪われて謀反しちゃった」なんていう自分の想像とのギャップを分析するだけ。すると、自分の想像とはこっち方向にずれてた、あっち方向にずれてた、という、「連想」、想像の連鎖が生まれます。ここまでくればしめたもの。今後、聖徳太子の年上の従兄弟はどんな人だったの? と聞かれたら、あー、東方に左遷された……んだけど頼りにされてた人だから、近くに置かれて、それなりの特権持ってたんだよね、そうそう、寺だ寺、出家したけど政治にかかわる特権もってたんだ、みたいに想像が連なって「いつでも思い出せる」わけです。自然に想起したことから正しい理解までが地続き、というところがポイントです。

想像することの大切さ

 さて、超勉強法の趣意はここまででおしまい。ここからは余談のようなものです。この勉強法の基盤は「想像力」です。想像することが最も大切なことです。
 想像することは、この勉強法に限らずとても大切なことだということをここに訴えます。
 想像する、という言葉を聞いて、フィクションやファンタジーに近いイメージを持っていないでしょうか? 確かにそれらも想像です。この世にありえないものを頭の中に生み出して現実から離れた思考をすること。でもそればかりではありません。先ほどの例に出した「煽ってくる車」、どうしてこの人はこんなに急いでいるんだろう? と想像することは、決して浮世離れした思考ではありませんよね。もちろん現実離れした想像をすることもできますが。でも、世の中、あなたの知っていることばかりではありません。むしろ、知らないことのほうが多いはずです。決して知ることのかなわないこともあります。そうした部分を、想像で補い、折り合いをつけていく、というのは、誰しもが人生の中でやっていくことになります。

 例えば、お役所で何かの申請をしたとき。申請書を出したところ、手続きの完了まで三日お待ちください、と言われたとします。想像力のない人は、「たったこれしきの手続きに三日もかかるなんておかしい」と怒り、怒鳴り散らすことになります。でも、想像の翼をもっている人は、「もしかすると同じ申請をする人がたくさんいて順番待ちなのかもしれない」「この申請には市長のハンコが必要なので書類を回付するのに時間がかかるのかもしれない」「この申請の処理をする部署が別の建物にあるので書類の往復だけで一日ずつかかるのかもしれない」……いろんな想像を膨らませられます。そんな中で、事実をうまく説明できる想像が得られることもあります。なんとなくお役所の各庁舎の位置を知っていると、この書類をB庁舎に送って処理して送り返してもらって、それぞれ書類を運ぶのは郵便? いや、専用の公用車だよね、個人情報だから厳重にセキュリティを確保した一日一回だけの便で運ぶかもしれない、だったら、行きで一日、処理で一日、帰りで一日、うん、確かにそうかもしれない。そんな風に理解し、怒りに我を奪われず穏やかに受け入れることもできます。
 さらには、「三日かかるのはあっちの庁舎で処理するからですか?」と聞くこともできます。「あっちの庁舎に行って直接処理をお願いすれば今日中に何とかなったりしませんか?」と建設的な提案をすることもできます。
 想像し、仮説を立て、課題を設定し、解決策を模索する。これができる人は、とても豊かな人生を送ることができます。理不尽な怒りで寝るまでの時間を不機嫌に過ごしたりせず、自分の力で物事を切り開くことができます。それは余暇を生み、余暇はさらに想像を生み、想像はさらに人生を切り開く力になります。

 なにか理不尽に感じることがあったら、もっと想像してみましょう。特に、多くの人がかかわっている仕組みほど、無駄や理不尽が目立ち、ともすれば、利権だの権力だのと言った陰謀論に走りがちです。それはとても楽ですが、とても残念なことです。どれくらいの人がかかわっているのだろうか? それぞれはどんな役割で仕事をしているんだろうか? その個々人はどんな気持ちだろうか? これは、「理不尽を納得して受け入れろ」と示唆しているわけではありません。誰もが一生懸命努力しているけれどもどうしても課題が残っている、そんなところまで想像できれば、建設的な意見、建設的な議論ができる、ということです。そこを理解せずにたとえば「政治家Xが懐を肥やすためだ」なんていう陰謀論で止まってしまうと、世の中を良くしたい気持ちは同じなのに、永遠にすれ違いです。とてももったいないことです。

 どんな難しいことに対しても、想像は理解への第一歩です。想像し、現実とのギャップを分析し、ギャップを修正する。これは誰もが無意識に行っていることです。でも、無意識に頼っていては、意識的に目を背けたことを理解することはできません。意識的に想像する癖をつけたいものです。そしてこれが、「超勉強法」の正体です。なぜかな? と思ったところから正しい理解までが地続きであれば、ほかの複雑な出来事も必ずその地平のどこかで交わります。単なる点の暗記でなく、しっかりとで理解し、線と線を交わらせてグリッド(網)にしていくことで、新しい物事に接したときもその網でしっかりとキャッチできるようになります。

まとめ

  • 「想像力」と「弾力性」を維持しよう

  • 想像と事実のギャップを分析し、地続きで想像から事実を導けるようになろう

  • あらゆる物事を地続きの線で理解できるようになればそれはお互いに交わりグリッド(網)となって新しい出来事をしっかりキャッチできるようになる


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