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あなたの給料はどうやったら上がる?

下がり続ける給与

 90年代の不況を超え、人件費の高騰を抑えるために多くの企業がベースアップ制度を無くし、また、年功序列制度も廃止して成果主義という名の人件費抑制策を導入してから、日本の給与の中央値(最頻値)は下がり続けています。
 また、派遣労働、契約社員など働き方の多様性がもたらしたのは、企業にとっての雇用の調整弁であり、多くの場合は、労働者の賃金向上には全く寄与していません。
 このように賃金が下がり続ける世の中にどうしてなったのか。政治のせいだとか資本家のせいだとか言うのは簡単ですが、政治や資本家は賃金を下げても全く得をしません(ここでいう資本家は企業の経営判断とは切り離された出資者の意)。そこには、きちんと合理的な理由があるのです。まずその合理性を理解したうえで、では賃金を上げていくにはどうすればいいのかを考える必要があります。

グローバリゼーション

 グローバリゼーションという言葉は誰もが聞いたことがあると思います。あらゆるものが国境を越えて流通する社会。市場は地球規模でシェアされているという考え方。事実、世の中はそのようになっています。
 例えば、某有名スマートフォンは世界中で全く同じ品物が売られています。アメリカ産の小麦にメキシコ産の塩を混ぜてこね、中国産のオーブンで焼いてパンを作ります。グローバリゼーションとは、要するにヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動くことです。

 モノとカネが自由に動き回る領域を「市場」と呼びます。一つの市場の中では、モノとカネの交換レートが自然に最適化されるという特徴があります。ある小麦粉一袋と、その隣に置いてある小麦粉一袋が、外見も味も全く区別できない場合、その二つは必ず同じ値段になります。その値段は、それを売りたい人と買いたい人全員の総意によって決まるようになります。生産量と消費量が安定していれば、誰もが同じものを同じ値段で買えるようになるわけです。これは大変に便利なことで、買うたびに小麦粉の値段が変わるようなことがない、ということが期待できるために、人は資本を投じてパン屋の経営を始めることができるわけです。

 その市場は、かつては一国の一地域に収まっていることが普通でした。なぜなら、小麦粉一袋を運ぶのにも大変な苦労があり、遠く離れた人同士で合意を形成するのも難しかったからです。これが徐々に一つにまとまっていったのは、効率化された物流と通信により、モノとカネ(情報)のやり取りがより遠く同士でもできるようになったから。そして今や、モノとカネは国境を無視して世界中にいきわたるようになりました。近年まで統制経済を敷いていた国々も徐々にその垣根を下げ、自由にモノとカネが流通するようになり始めています。

人件費

 モノの値段は取引する人の総意により決まる。と先ほど書きましたが、それでも、これ以下の金額では売れない、という最低ラインがどうしても生じます。小麦粉一袋1円では利益が出ません。どうして利益が出ないのでしょうか。

 当然ながら、モノを作るのには原価がかかっているからです。小麦を育てるための肥料はどこかから買ってこなければなりません。ではその肥料にはなぜ値段がついているのでしょうか。肥料を作るのには人手と原料が必要だからです。ではその原料にはどうして値段がついているのでしょうか。その原料をどこかから掘り出してこなければならないからです。なぜタダで掘り出したものに値段がついているのでしょうか。それは、掘り出す人や機械にお金がかかるからです。ではなぜ機械に値段が――

 どこまででもたどれますが、結局、無償で地下から掘り上げた資源に値段がついている、というところに、いつかはたどり着きます。結局のところ、それは、穴を掘っている人の人件費なのです。そして、それが形を変えるごとに人件費がかかっています。すべてのモノの値段の根拠は人件費なのです。

 市場がグローバライゼーションする、ということは、究極的には人件費が同じ土俵で比較される世界になるということです。これはもういくらでも実例を挙げられますが、かつて日本にあった工場が、近年は中国、ベトナム、マレーシア、等々に移って行っています。なぜでしょうか。もちろん、人件費が安いからです。日本の工場で日本人が作るよりも、中国の工場で中国人が作った方が同じ原材料を使っても安く作れるからです。これにより、日本の産業は空洞化していきます。

 空洞化する、ということは、失業者が出る、ということです。失業した人は、より賃金の安い仕事に流れざるを得ません。また、近年はこうした失業者の「救済」として派遣業というものが整備されました。派遣業は、労働を流動化させるので、企業からとってみれば「買い付け金額」の交渉余地があるものとなります。つまり、労働力が市場を形成しているわけです。

 そして、「モノ」を通して途上国と日本は「労働力」市場を共有しています。そう、同じ労働に対して支払われる賃金は、途上国と日本を合わせた大きな市場の中の総意で決められるようになってしまうのです。これは政府が悪いわけでも資本家が悪いわけでもありません。ただ、モノとカネのやり取りが自由になったから起きていること。これが自由経済です。

 非正規労働者の低賃金対策として「同一労働同一賃金」という標語がありますが、これは図らずして、東南アジアと日本で「同じ労働」をしている人同士を「同じ賃金」にしようとする圧力と一致しています。最終的に、日本の労働者の賃金は、同じ労働をしている途上国の人と同じところまで落ちていくのが自然であり、はっきり言って現状はまだまだその途上とさえ言えます。

日本人は高すぎる?

 日本人は、途上国諸国と比べて、まだまだ賃金が高すぎます。同じ労働をしている以上は、今後もまだ賃金は下がっていきます。直接競合していなくても、モノを通してつながっている以上は必ずそのようになります。また、一見賃金が下がっていなくても、産業の空洞化等々の経済的な理屈をマクロ的に咬み合わせていくと、最終的には円安につながっていきます。円安になると、国際的な=ドルベースで見た日本人の賃金は下がっていきます。その代わりに、輸入物価が上昇していくわけです。私は、円安によって日本人の国際的な賃金高が解消し、産業が日本に戻ってきてどっかでバランスすると考えています。

 え、でも、アメリカ人とかめっちゃ賃金高いじゃん。

 ここですね。なんで他の先進国各国は賃金が上がり続けて、日本だけ下がり続けているのか。この事実を受け入れるためには、やはり政府の失策を持ち出したくなるのは分かります。
 ですが、考えてみてください。皆さん、賃金を上げる努力をしていますか?
 同じ仕事をしながら、「賃金を上げろ」とデモをしているだけではないですか?

 原則論です。「同一労働同一賃金」です。

 同じ働きしかしなければ途上国の人と同じ賃金になるのは当たり前です。

 さあ、もう、答えは見えてきました。

給料を上げるためにできること

 アメリカ人、いや、それ以外の先進国の人々も、高い給与をもらうのにふさわしい仕事をしています。マレーシア人と同じ仕事をしていないんです。一言で言うなら「付加価値のある仕事」をしています。

 例えば、その人を雇えば必ず企業の利益が一割増えるというスーパーマンがいたとしたら、どうなるでしょうか? ありとあらゆる企業がその人を獲得しようと躍起になり、どんどんと高い値段を付けます。最終的に、売りたい人(スーパーマン)と買いたい人(数多の企業)の「総意」でスーパーマンの賃金が決定します。もしスーパーマンが一人しかいないのなら、最も高い値段を付けた企業のものです。もしその企業が1兆円の利益を出していて、それが一割=1000億円増えるとしたら、スーパーマンの賃金に10億円を払っても惜しくありません。10億円ですよ、10億円。とんでもない賃金をもらう人もいたものです。

 いるんです。実際に、こういう人が。利益が一割増なんていうふざけた設定はこの際脇に置いておいても、この人を雇えば長期的にどのくらいの利益の積み増しができるか、とソロバンを弾かれるような人がいるんです。そして、実のところ、先進国で超高給をもらって平均給与を押し上げているような人は、こんな人です。先進国の有利な点は、こうした人が出てきやすいことです。生まれた時から高度な教育を施されているので、単なる労働者ではなく「従業員」として企業の利益に寄与する人が比率としては圧倒的に多くなります。そうした人が、途上国の安い人材を使いながらビジネスを回していく。それが今の世界です。ある一国を除いて。

 そうですね。日本です。日本人のダメなところ、というか、慣習としてダメなところです。「企業は学校のように所属するところ」であり「仕事は上司に与えられるもの」。経営者がいろいろ考えてよしじゃあこれを作ろう、と思ったとき「仕事くださーい」と口開けて待ってる日本人とベトナム人がいたら、経営者はどっちを使ってモノ作りますかね。じゃあベトナム人雇いますわ、って話です。

 そもそもね、就職活動がダメ。「御社で働かせてください」「なんでもやります」……間に合ってます、って話です。「なんでもやります」とか言われても、要りません。「仕事ください」とか言われても、あげる義理がありません。海外でいうところの高等教育を受けているはずの人が、「仕事ください」はないですよ。本来ならね、大学まで出てるほどの人なら、こんな技術を使ってこんなものを作ってこんな人に売って生計を立てたいと思っている、くらいのことまでは考えるもんですよ。そこで、資金調達と不足する人材の確保の自信があるなら起業すればいいし、自分に足りない部分を補うために企業にJoinするという選択肢もあっていい。高等教育を受けた人なら、このくらいまで考えるべきで、成功している先進国ではこうしたマインドが徹底しています。だから、グローバリゼーションの嵐の中でも給与が上がり続けているんです。

 私は2000年就職の、いわゆる超氷河期でした。求人? なにそれおいしいの? という時代です。だから、私はがっつりと考える必要に迫られました。私は一体何をしたいのか。どこに行けばそれがあるのか。そうして、企業回りです。本当に歩き回るんです。説明会に登録して出向く、そこまでは当たり前かもしれませんが、そのあと、交流会や面接で「私はこういうことをしたいと思っているが、この会社にはそのポジションはあるか」と詰めていくわけです。あちこちの会社にそれをやって歩きましたし、同じ会社の別事業所アポ取ってもらって足を運び自分がやりたい仕事があるかを問い詰めて歩きました。面接で「御社で働きたいです」なんて言ったことは一度もなかったです。「こういう仕事をしたいが御社にそのポジションはあるか」でした。

 何が言いたいかというと、そういう経験を経たうえで断言しますが、「なんとなくこの会社で働きたい」くらいの覚悟では、有象無象の社員の一人にしかならないということです。いくらでも替えの利く社員、最後は東南アジアとの人件費競争に巻き込まれる社員にしかなれないということです。
「この会社で働きたい」ではなく「私は何をしたい」というメッセージが重要だということです。実は私も就職活動中、なんとなく工学系が欲しいから、くらいのアプローチをかけられたことがありました。もしそこに入っていたら、間違いなく「いくらでも替えの利く社員」の一人になっていただろうと確信しています(なぜなら当時こそ財閥系超絶ブランド企業だったその会社はその直後に切り売りされ有象無象のIT下請け階層に組み込まれているからです)。自分がやりたいこと、提供できることをしっかりと整理していたから、あれを避けられた、と今でも思っています。
 また、企業に入ったら終わり、ではありません。自分が提供できる付加価値を把握し前に押し出し、その付加価値をより高く買ってくれる部署や企業に自分を売り込むのです。東南アジアの十把一絡げの人材とは全く違う商品であることをアピールしないと、行きつく先は東南アジアレートの賃金です。自分の付加価値はどこか、それを誰に売り込むか、それはどんなエンドユーザに価値を与えるか、を常に考え続けましょう。一応実績として申し上げておくと、私はこの売り込み活動で、当初から年収を3倍まで上げています(何度かの転職込みで)。もし黙って定期昇給に任せていたらまだ1.5倍に至るかどうかだったと思います。

まとめ

  • グローバリゼーションで「人件費」も先進国途上国が同一市場に乗った

  • 給与が下がり続けるのは「同一労働同一賃金」の原則が理由

  • 「同一労働」から脱却し付加価値を売り込んで年収アップ!


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