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「子供は好きですか?じゃあ、下ネタは好きですか?」

「子供は好きですか?」と聞かれて、昔の私は「はい、好きです」と、何も考えずに、反射的に答えていたなと思う。
「子供嫌いな人なんているの?普通好きでしょ?」みたいな感覚。
それでいて、「子供嫌い」と言う人に対して、「あんなピュアで可愛らしい存在に対して”嫌い”って言うなんてありえない」みたいな気持ちでいた。

「私は子供が好き」
そう思い込んでいた。
でも、実際に息子を産んで、よその子供と接する機会が増えるようになって気付いた。

「私は子供が嫌いだ」と。

正確に言うと、子供全員が嫌いなわけではない。
息子や、息子と仲良くしてくれる子、私の友達が産んだ子は、無条件で可愛く見える。
でも、息子にちょっと意地悪してくる子だったり、我儘な子、ルールを守らない子、お店のものいじくりまわしてるのに親に注意されない子に対して「可愛くない。嫌い。」と思っている自分に気付いた。
「クソガキは嫌いだよ」と。

そもそも、どうして私は「子供=可愛い存在」と無条件で定義していたのかを考えてみたら、独身時代「モテたい」という思いが強かったからだ。
だってさ、「子供嫌い。クソガキなんてかわいくなーい!」って言ってる女の子よりも「子供大好き!可愛いよね!」って言ってる女の子のほうが性格良さそうでモテそうじゃない?←
そんな風に、「自分が実際にどう思うか」「自分の本音はどうなのか」を見るよりも、「周りにどう思われるか」を優先して、自分の本当の感情をなかったことにしてたんだな、と今ならわかる。

下ネタも同様で。
女の子なのに「下ネタ好き!」って言ってると、引かれそう…、エッチな女の子だと思われそう、出会い求めてると勘違いされそうだから、「(下ネタなんて)やだぁ~」って言っておこう、みたいな。
下ネタについて「恥ずかしい~///」って言ってる女の子の方が可愛く見えるから、そういう風に言っておこうとか。

子供についても、下ネタについても、好きでも嫌いでもどっちでもいいんだよ。
それでいて、「周りにこう見られたいから好きだ(嫌いだ)と言っておく」でも全然いいんだよ。

でも、自分だけはちゃんと、自分のことをわかっておく。
本当は好きなのか嫌いなのか。


例えとして子供と下ネタを挙げたけど、
要は、自分の本音をきちんと見てあげるということ。
これができているかどうかで、幸福度は結構変わるよ。
好きでも嫌いでもいいんだよ。
皆、思うことが違っていいんだよ。
「こんな自分じゃ愛されない」と思うかもしれないけど、そのままのあなたで愛されていいんだよ。


それでいて不思議なもので。
「子供嫌いだわ」と思っている自分を受け容れていくことで、今の私は昔よりも「子供が好き」と思えるようになったんだよね。
我儘な子を見ても、意地悪な子を見ても、「あ~我儘言いたくなっちゃうよね」「意地悪は嫌だけど、意地悪したくなるような何かがあるのね」みたいな。
「駄目だと思っている自分(この場合は、「子供が嫌いと思っている自分」)」を1つ1つ受け容れていくことで、他者の嫌な部分とか、駄目だと思うような部分を見ても、「あ~はいはい、あるよね」って思えるようになってくる。
自己受容は他者受容にも繋がる。

だからまずは、いつだって自分に寄り添うことから。

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