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④人生何が起こるかわからないよ、夢のシティカレッジで始まった苦悩2

夏の終わりから始まった秋学期も後半に差しかかかってきました。

一日中音楽のことを考えて練習、演奏する夢見た世界、楽しいはずなのに、自分が思っていたほど成長を感じられず、とても歯がゆい思いの私がいました。

そんな中、救われた出来事もありました。後にシティカレッジのミュージックデパートメントの学部長となったジャブロンスキー先生の音楽理論のクラス、セメスター最後にAlwaysというスタンダードの曲のメロディーを編曲するという宿題が出て提出したところ、彼女は授業中物静かだし、本当に自分の授業を理解しているのか実は内心心配していたけど、見事なアレンジを提出したと、みんなの前でほめて下さって、あの時は本当にうれしかったな~つたないアレンジだったけど今でも覚えていて、今でも思い出すと心がじーんとします。ジャブロンスキー先生、ありがとうございます!

そして次のセメスター用のクラスのオーディションが始まりました。その段階ではどうせ続けられないからとあきらめていたので、シーラジョーダン先生のワークショップのオーディションを受けなかったら、後でピアノのレイギャロン先生に僕は次は君の番だって言っていたのに、せっかくのチャンス、何でオーディション受けなかったんだよ!と怒られ、こういう形で激励してくれる先生もいるんだなあと感動。レイギャロン先生、ありがとうございます!

一方で他の何かのオーディションを受けたときに、審査員の一人の先生が、君は短期留学の予定で日本に帰らなきゃいけないからと言って僕の授業を聴講させてくれと言って参加していたのに、なぜこのオーディションを受けているんだ、私にうそをついたのか!と大声で怒鳴られる事件が。

私は嘘をついたわけはないし、その先生に聴講を頼んだ時には、本当に3か月だけしか学べないと思っていた、ただもし学校を続けられるようだったらオーディションを受けていないと取れない授業があるので、希望をつなぐためにオーディションを受けただけなのにかなりショック。

また私がこんなことがあったともし友人に言ったら、その先生の授業をこれから受けることになる彼らが、その先生のことを尊敬できなくなるかもしれないと思い、自分の中で黙っていました。

まだまだ学び足りないと考えに考えた挙句、父にあと1学期分のお金を貸して下さいとお願いして、なんとか冬のセメスターも学校に行かせてもらうことになり、結果的にはシティーカレッジでは2セメスター学ばさせていただきました。

残念ながらスカラシップをもらうほど私は優秀ではなかったので、2セメスター終わり長い夏休みを前にして、もう続けるのは無理と学校を去ることにし、学校は辞めるけど、なんとかニューヨークに残るということに気持ちをシフトしました。

そういう事情もあり、私はシティカレッジを卒業した特にシンガーの人たちがうらやましく、長い間、私はシティーカレッジでは何も成し遂げられなかった、シーラジョーダン先生から習えなかった、私は音楽の大学を卒業した人たちとは違う、という劣等感をずーっと心の中に抱えるようになりました。

学校を去ってからしばらくして、以前のクラスメートに会ったときに、実はあの教授にうそつき呼ばわりされて怒鳴られてショックだったんだよねという話をしたら、友人はあっさり、なんだそんなことずっと気にして黙ってたの?あいつさあ、大した器じゃないくせにいばっていて、みんなから嫌われてるんだよ、全然気にするなと言ってくれて、そうなんだ~と心が楽になりました。私が黙っていても、やっぱり人間性ってさまざまな言動から出て、周りにわかるんだね。

私は先生や親の言うことは絶対と思い込んでたもんなあ。もちろん、今となっては、私をうそつきよばわりして怒鳴った先生のことも、教師である前に、未熟な人間だったのだろうと心から思えます。

アメリカはやっぱり不思議な国。周りを見ていると、仕事上でも、師弟的な関係でも人間的には対等に接しています。(プロフェッサー!と手を上げてアピールするゴマすり生徒をみてどこの国も同じだ!と思ったこともあったけど。)社会的立場で自分が下だからといって、必要以上に自分を卑下する必要もないんだよね。

もしショックなことがあっても一人で悩まず、誰かに相談してみて。相手がたとえ両親や先生や上司でも?と思ったら、まずは身近な人に聞いてもらっては?もし身近な人がいなくてもSNSなど相談できる方法があります。自分だけの世界の小さな枠ではわからないことたくさんあります。また同じことでも他の角度から見ると世の中は違ってみえるからね。


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