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バナナパンケーキと穏やかな時間

たまに、どうしようもなくパンケーキを食べたくなる時がある。家で作るのが面倒くさい時は(ここ1年くらいはずっとそうだった)パンケーキをわざわざデリバリーするか、少し歩いてお洒落で高いカフェまで行ったりした。

朝ごはんに、久しぶりに自分でバナナパンケーキを作って食べた。という文章ですが、そこに至る過程をちょっとお話し。

この1年くらい、いろんなことがあった。そしてそれが、盛り上がりに盛り上がりを見せて多忙真っ只中に、唐突に終わった。具体的に言うと、会社を突然クビになった。

そしてその前までに、自分がいる環境はたくさん変化をした。自分の本質からどんどんズレていくのだけれどそれを止められず、今はそういう時期なんだ、こういうことも自分に必要なんだと思いこんだ。裏切りまでいかないけれどそれなりに愛を持って接していた人に助けられなかった、ということもあった。人を憎むのが苦手なのに、感情の方が先にそっちに行ってしまい、どんな行動をとればいいのかわからなくなってしまったり。自分の変に高いプライドとか、わかってもらえない苦しさとか、まあとにかくうまくいかないことだらけだったと思う。

一度外に出ると、なんで絶対にうまくいかないところで必死にもがいているのか、アホらしく見えるけれど、中にいるときはそこで頑張らないといけないと思いこんでいた。そしてどんどん何かズレて行ったように思う。

クビになって直後、だいたい10日くらいは、解放感を満喫していた。何せもう会社に行かなくていいのだ。自分の評価にビクビクすることも、空気を読むことも、メールに返信したり慎重かつ迅速に言葉を選ぶよう神経を尖らせたり、やることを終わらせていくことに必死になることも、そんなことももう必要ない。しばらく行っていないギャラリーをまわったりもできる。そこでゆっくりアートの世界の人と話すこともできる。限りある時間で無理やり創作しようとしなくて良い。実験したり、素材で遊んだりしても良い。ご飯もまた自炊できるようになってきた。

そうして10日くらい経ってから、体調を崩した。心も何か疲弊している感じがして、ハッピーなはずなのに、目にクマがあり表情も冴えない。

何がきっかけか忘れてしまったのだけど、ある午前中、それは唐突に自分に気づかせた。

Something makes me realize that I am hurt. 

私は傷ついている。私の魂は傷ついていた。

自分のために涙が出て、自分のために泣いている状態は、傷ついてヒリヒリした心臓近くにあるものを癒していく気がした。私は、ずっとこの、心臓近くにあるものを無視してきてしまったんだと思った。

これまでの1年で起こったことにも、クビになったことにも、全てに傷ついていた。ようく見るとボロボロだった。

創作のプロセスの中で、自分の心がどん底曲線を描くことがちょこちょこある。どん底曲線はU字型をしている。どん底曲線とは、スランプ、スランプ、スランプ、何を作ってみようとしても全然良いと思えない、全然ダメ、ダメ、ダメ、そしてどん底に行き着く。どん底に辿り着くと、「あ、仕方ないじゃん。だってもうこれしかできないんだもの」と思える。そうすると、創作力がまた湧き上がってくる。何か形になってきて、そうすると色々状況も好転してくる。

それと同じように、一旦どん底まで行ったんだな、とうっすらと思った。そして行ってよかった、と思った。きっとこれから、私は回復していく。

辛いことをなるべく考えないように、跳ね除けるようにして、走っていた。会社をクビになってからもそう。実際解放されて、これでよかったと思っているのはそうだけれど、解放感を味わってアーティストに戻ることにまた焦っていた。自分が傷ついていることをちゃんと認めてあげることが必要だった。

今、心はとても穏やかで、自分の魂が自分と一致している感じがする。そうすると、何も焦ることがないことに気づいた。何も焦る必要はない。地に足がついている、ということを違う意味で普通は使うのだろうけど、(社会的には私は今全く地に足がついている人ではない)地面に立っている感じがする。自分として、地面に立っている。私の人生は私だけのもので、別に、全て自分のペースで決めて良いのだから。

人と話す瞬間を楽しみ、歩きたければ歩く。ご飯を美味しいと心から思って、ご飯を食べる・自然を見ることを楽しむ。深く深呼吸をする。良い匂いをかぐ。創作したくなったらする。人の気持ちにアンテナを張る必要はない。

こうなりたい、と2年くらい前から強く思っていた。自分のこと・自分の親との関係がよくわかり始めてから。セルフコンパッションの本を読んだり、アドラーを読んだり。でも完全にそうなることはずっとできていなかった。遠回りしたのかもしれないけれど、私が今の状態に至るまで、この人生の苦行のような1年は多分必要だったんだろう。

自分にとって軸となる価値観にもあらためて還った。うっすら感じていたけれど他を振り払う勇気がなく決断し切れていなかったのだ。その軸だけで生きていくことを。今、自分の大切なものが何かよくわかるし、それ以外はすごく重要ではないこともわかった。軸をブレずに生きるために、他を変更していく。それもできるし、それで良いと思えている。

現在38歳。こうやって、人の人生ってシャープになっていくのかな。

そんな、人生で味わったことのない初めての穏やかな気持ちで、バナナパンケーキを焼いた。

ただのホットケーキミックス。輪切りで冷凍しておいたバナナ。混ぜるだけ、バターをケチらずフライパンにたっぷり流して、弱火でゆっくり焼く。パンケーキが焼ける頃に冷凍バナナをさらに追加、生地から余ったバターで一緒に焼く。パンケーキとバナナを皿にのっけて、さらにバターをのせて、メープルシロップがなかったから少しだけバニラシロップをかける。何か香辛料のようなものが足りない気がして、バナナの上にだけ黒胡椒を少々。

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豆乳を入れたコーヒーと一緒に食べる。素朴な味。なんだか懐かしい。なぜか20年くらい前に死んだおじいちゃんを思い出す。

必要な時に、必要なものと出会う。先のことを心配しても仕方ないし、ただパンケーキを味わって食べる。別に残してもいい。全部食べなくてもいい。

そういうバナナパンケーキを食べた時の話。

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