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私もnimocaをゲットした

記事を読んで思わず私もnimocaが欲しくなった。

ちなみに私は海外に住んでいるので、日本の交通系ICを日常生活で使うことはない。帰国中には既に持っているSUICAかICOCAを使う。というわけで別にもう交通系ICカードはいらないのだが、私もこの愛くるしいキャラクター(フェレット)にやられて自分の手元に置いておきたくなった。

使わないものを買って何が嬉しいのかと思われるかもしれないが、生活を豊かにするのは、生活必需品ではなくてこういう雑貨的な『無駄』なものだなと実感する。なくても生きていけるものを手元に置く贅沢さ。

とは言え私は人よりもものを持ちたくない派で、基本的にいつか使うかもしれないと思っているものさえも捨ててしまう方ではあるが、こと雑貨のように明らかにいらないものに関しては、たまにビビッと反応して手に入れてしまう。

nimocaは雑貨ではないのではと思う方もおられるだろうが、先にも述べたように私にとっては『無駄』を基準にすると雑貨となりうるのだ。しかし無駄なものが全て私にとっての雑貨となるわけではない。何でもいいならそこらへんのゴミを拾えばいいのである。

私の中で雑貨というと、私とものを繋ぐ物語があることな気がする。このnimocaの記事を書いた人(SNSの友人)のこと、読んだ時にたまたま大分にいて亀の井バス営業所に行けたこと、なんてことないがそこに固有の私との繋がりを感じてしまう。

英語には雑貨の直訳が(多分)ないと思われるだろうが、それはこの雑多な概念のせいであり、日本語でも正直何だかよくわからない。何でもありな気もするし、何でもありではない気もする。

自分は浪人した時からいわゆる雑貨屋さんに通い始めて雑貨に興味を持ち、一時は雑貨屋で働いたこともあり、今も将来雑貨屋をやりたいと思っているが、改めて私にとっての雑貨とは考えさせられる買い物であった。