inlivingとLo-fiと丁寧な暮らし

最近なんだか気になったことをメモ程度に書いてみる。

inliving(インリビング)

最近YouTubeで話題の(多分)、インリビングのリリカさんのチャンネル。なぜかYouTubeの関連動画に上がってきたので、気になってクリックして見始めたような気がする。なんか見たことある顔だなと思っていたら、SNSでフォロワーさんが好きな顔だと言っていた人だった。

なんだか一見質素な女の子が、丁寧に生きる日常をアップしてるVlogのように見えるが、インリビングはリリカさん(元?女優・モデル)と末永光さん(ディレクター)の二人のユニットによる映像作品のようである。

初めて見たときは、ユニット作品ということに気づいていなかったので、ついにYouTubeにもこういう生活を切り売りして消費される動きが来たのかと思った。というのも、私は以前本屋兼雑貨屋みたいなところで働いていて、こういう生活も提案するような商品も置いていたので、この生活自体に新鮮さを感じるというよりは、手を替え品を替え、同じようなものがどんな媒体でも出てくるんだなぁという感覚。(でもYouTubeという媒体に出てきたこととユニットであることはユニークだと思った。インスタグラマーだったらここまでバズらなかっただろう。)

彼女が本当にこう言った生活をしてるかどうかは問題ではなく、ここに映し出されているような、普段なら見向きもしないような日常の細やかなところを取り出して光を当てる、そんな生活のあり方を見てみて、少しハッとしたので最近はたまに彼女の動画を見たりしていた。自分の心の状態がよくなかった時に確かこの動画を初めて見た。

梨木香歩さんの本とか好きで、何回も読んで昔から重々心がけているつもりなのに、日常の何気ない動作を大切に生きることは難しい。日常はケアを怠ると全く豊かにならないのである。人間関係も同じ。

Lo-fi

もともと初めてLo-fiという音楽ジャンルに出会ったのは、イギリスで修士課程に在籍していた時に、とにかくにも図書館に缶詰になって必死に音楽を聴きながら勉強していた時のこと。バックミュージックに英語の曲だったり日本の曲だったりを流していたが、どうにもしっくりこなくてたまたま巡り合ったのがこのような動画(本当に実際見ていた動画はなくなってしまったようだ)。

ひたすら同じような音楽がループで流れ続け、ライブストリーミングなので動画の隣にリアルタイムで誰かの書き込みが流れ続ける。動画の内容自体はいろんなものがあるが、だいたいアニメの一場面で勉強しているものだったり本を読んでいるものだったり、何か細々した日常を映し出しているものが多い。

この動画を開いて、まるで一緒に頑張っているかのように論文を読んだり書いたりしていたような気がする。ところでLo-fiというのはローファイと読み、音楽ジャンルのことではなく元々音質が低いことを表す単語のようだ(Urban Dictionary)。

今はSpotifyのLo-fiの音楽を聞いたり、たまに昔していたようにYouTubeに載ってる動画を開いてみたりするがあまり聞かなくなった。また聞いてみてもいいのかもしれない。作業用にはとても良い。

丁寧な暮らし

いろんな丁寧な暮らしがあると思うが、自分の一番身近な例としてよく読むのが近藤令子さんのブログである。

仕事や人間関係のあり方など、全然異なるのになぜ身近と書いたかというと、つまるところ昔一緒に働いてた知り合いの方だからである。振り返ると一年も満たないぐらいだったが、同じ部屋で基本的に二人で過ごしていて、いろんな話を聞かせてもらったり、聞いてもらったりした。

自分のこころがささくれだっている時に令子さんのブログを見ると、そっと包み込むようなというか、ふと自分の日常に視線を戻させてくれるような、そんな気がして半ばお薬のように読むことがある。インスタグラムなどで丁寧な暮らしを提案している商業的な香りのするアカウントはたくさんあるが、令子さんのブログは丁寧な暮らしを見せびらかしたいわけでもなく、押し付けるわけでもなく、凛とした強さというか女性のしなやかさみたいなものを感じる。

これまで、自分の人生を振り返ってみると男性的なものの考え方であったり人付き合いだったり、とにかく(多分無意識のうちに)男性と張り合うような生き方をしていたのかもしれないと思った。髪型だったり服装はフェミニンなものは嫌ったし、女性であることで評価されるなんて真っ平御免だった。女性であることを武器にしている同性にも嫌悪感を抱いていた。

しかし令子さんをはじめとした私が尊敬するような人々のこと考えてみると、憧れを抱く人はだいたい女性で、そして男性的な物理的な(イメージでは堅そうな)強さではなく、しなやかな柔らかさを兼ね備えた強さを持った人々であることに気づく。

私は女性であることを武器にしたいと思っているわけではないが、私が女性であり、私が女性であると私も受けれている事実について、もう少し丁寧に向き合ってみる必要があるのかもしれないと思った。