見出し画像

思考や一般論に助けられたはなし。

心理学を学んで1年とか1年半とか経ったときから
いきなりエゴが最大級になった。自分攻めマックスになってしまった。
責める、じゃないのよ。「攻撃の『め』」
ある日、究極的に悲しいことがあってふと空を見上げたら
空がニヤリと笑った。恐ろしくて震えた。エゴに本気で殺されると思った!


それからもう、これは何とかしなきゃって考えて採用したのが

敢えて頭で考える。

心理学では「思考を止めてみよう」とかいうけれど。でも、

思考(エゴ)が私の心を占拠しちまったのなら、思考で奪い返すしかねぇ!と思ったのです笑


やったことは簡単で。
ネガティブ思考(私のオリジナル理論)が私を責めてきたときに、一般論(世間様の知恵)で反論しまくったのです。

先日の記事「悲劇には向かっていない。」もその時発見した考え方のひとつなんだけど

普通何もいじくらなければ、私だけ自動的に悪いことが毎回発生してしまうなんてほぼあり得ない。だから私だけこの案件が悪い方にいきなり傾くなんてことはほぼあり得ない。

とか。

その頃はまっていた沼が生まれてきてごめんなさい沼だったので(暗くてスミマセンね)例えば「生まれてきて私は誰からも喜ばれてなかった」みたいな回路に入ってしまったときは

(あくまで普通の一般家庭に生まれて普通に育った私の場合であって、私のエゴを消滅させるために採用したモノの見方です。色々な事情があるときには、また別の考え方・モノの見方をすればいいだけであって、読んでいて嫌な気分になったら右上の✕印を押してすぐ閉じてくださいね)

でも私は「こいつを産もう」ということで出産をしてもらったし、「こいつを生かそう」ということでミルクももらったわけで。一般的に、そこで「本気で邪魔、こいつ」って思われてたらたぶん生まないし、ミルクもやらないだろうから、生まれてくること・生まれてきたことを承認する何らかの現実はそこにあった、ということは事実だ。

とか。

一般的に。こどもがキライな女性も、自分の子だけは何故だか可愛いらしい。ということは私もきっと多分、世界で一番嫌いだ、呪う!みたいに思い続けられていた、というのは考えにくいことだ。

とか。

一般的に、自分のこどもには「幸せになってほしい」って思うらしい。ってことは私だけ一途に「憎み倒す」って思われている悲劇がピンポイントで起こるというのもなかなか考えにくいだろう。万が一「憎み倒す」という目的で産み落とされたとしたならば、いわゆる残虐的な行為が日常茶飯事であっただろうし、義務教育以降の教育を、わざわざお金を払って受けさせるという行為は普通はしないだろう。私だけその道筋が激しく歪んで、超絶例外的な事象が発生している、というのも考えにくいことだ。

とか。

感情がエゴに支配されているのなら、感情を抜いて徹底的に思考で【物理的な証拠】を突き付けてやったのだ!!!

ありがとう、一般論!!

「普通は」とか「世の中では」とか。それが自分を苦しめるときもあるけど、逆にそれが自分を救うときもあるのだなぁ。なんて思いました。


エゴに心が占拠されているなら、そこは手放して、思考で自分を癒す。

そんなこともやってみたのでした。

誰かの何かの参考になれば幸いです。ではまた♡


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?