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私が林業を志した理由


私が、なぜ能登で林業をしているか。書きました。

■私の自己紹介

1996年9月20日生まれの24歳。
"奥丹波"と呼ばれる兵庫県丹波市出身。
18歳まで丹波で過ごし、大学進学を機に上京。
その後大学4年次を休学し、まちづくりを学び実践するために「能登留学」をし、その時の"2つの気づき"のおかげで、「林業」を志すように。
2020年の春、石川県の能登半島の先っぽ"奥能登地域"を管轄する森林組合に、技能職員(現場作業員)として就職。二年目の林業女子。

■"2つの気づき"


気づき①森と海が繋がっている


私が生まれ育ったのは、山の中。実家の玄関を開けて「ヤッホー!」と叫べば、やまびこが返ってくるほど。幼い頃は、よく山や川で遊んだ。
そんな山が、海と繋がっていると実感できたのは、能登だった。
いつ気づいたか、はっきり覚えていないが、「あ、海って森と繋がっているんだ。森がちゃんとしていないと海は豊かであり続けられないんだ。」と思った。海とは全く関わりのない人生だと思っていたが、大いに関わりがあった。山で育ち、海に憧れのある私にとっては大きな気づきだった。

気づき②祭りと木

七尾市:石崎奉燈祭


「キリコ(※)に使えるアテ(※)っちゅう木が無くて、祭りが続けられんかもしれん。」
この言葉を聞き、衝撃を受けた。能登には「祭り命」の人が沢山いて、祭りが終わったら来年の祭りの話をする。祭りをやるために地元に残る人もいるくらいなのに、人ではなく、木のせいでこれまで通りの祭りが続けられないかもしれないと言う。

私もその祭りが大好き。私の地元には無い、スケールの大きい祭りが、能登各地で行われている。人生で初めて「神様」が宿る祭りを、祭りが「政(まつりごと)」と感じたのは、能登での祭りが初めてだった。そんな祭りに恋をした。いや、心から愛している。

(※)キリコ : 能登各地で開催される「キリコ祭り」で使われる切子灯籠のこと。奉燈(ほうとう)とも呼ばれる。

(※)アテ : ヒバとも呼ばれる。ヒノキアスナロのこと。能登には「能登ヒバ」がある。連続テレビ小説「おかえりモネ」に登場した「ヒバ」と同じ。

■そして林業へ

私の実家から見える山


その2つの気づきを抱えて、実家に帰って、ふと山を見た時、「あ、私は山の仕事をするのが使命かもしれない」と思った。あれは、2018年8月末だったと思う。

2つの気づきだけではなかった。
・私が季節を感じる対象は山であったこと
・高校三年生のときに地元で土砂災害があった原因は山の手入れ不足だったこと
・幼少期、山や川で遊ぶのが楽しかったこと
・川を綺麗にするにも森が大事であること
・父親も山によく行き、林業ではないが山に関わる仕事をしていること
・丹波のまちづくり構想の一つに「丹波の森構想」があり、その環境下で育ったこと
などなど今までの人生を振り返ると、山に繋がる点が線に繋がった。


■林業の世界へ入ることを確信した夜

「私は林業をやる!」そう確信したのは、林業女子会のおかげ。
あれは、2018年の10月。たまたま七尾に滞在している時に、Facebookで林業に関するイベントを探していたら、金沢で林業女子会が開催されるのを目にして、即連絡し、参加。
七尾から電車に乗って金沢に行き、バスに乗って、県庁近くのカフェに向かい、開催時間に間に合わず少し遅れて緊張しながら、その扉を開け、席に座ったことを鮮明に覚えている。
そこには木こり歴20年ほどのかっこいい男性がいた。林業を愛するめっちゃ素敵な女性もいた。熱い熱い夜だった。その方々のおかげで確信した。「私は林業だ。」

■能登で林業の道へ

林業の道を確信してから、半年ちょっとが経ち、日本各地の林業家に会う旅をしながら、どこで林業をするか迷いに迷っていた。地元丹波か、林業との出会いをくれた能登か、はたまた林業先進地と呼ばれる場所か。

悩みに悩んだ結果、私は、能登を選んだ。

私にとって大きなキッカケになった"2つのの気づき"、林業への道を確信するキッカケをくださったお二人との出会い、「私林業したいです!」と初めて人に口にした時「めっちゃいいと思う!!」と即答してくれたまちづくりの師匠、人生で初めて林業の現場を見せてくれた七尾の木こりさん、「女子でも林業させていただけますか?」と聞くと「もちろん!昔は沢山の女の人が現場で働いとったんや、今でも働いてるしいいよ!」と言ってくださった今の上司、そのほか能登で私を可愛がってくださった沢山の方々。全ての出会い、思い出が今ここに繋がっている。

私は、祭りと海と人と思い出がある能登を選んだ。

そして現在は、暖かい職場の人たちに恵まれ、植林、下刈、枝打、除伐、間伐や、測量、竹林整備に加えて事務作業など様々なことにチャレンジし、毎日楽しく山で働いています。感謝感謝です。

■これから


私は、「愛する里山里海の風景を次世代に繋ぎたい」という想いがあります。その手段として、林業をしています。

祭りなどの''文化"や、様々な"産業"を支えている山は、人々の"暮らし"に欠かせない。

わたしの愛するまちの風景を残したい。
そのために、豊かな山を次世代に受け継ぎ、次のこのまちの未来に繋げたい。

山はつくるものではなく、山は受け継がれてきたもので、先人の生きた証の一つであり、それを繋ぐことが、豊かな里山を残すことになり、いい川を里を田畑を海を人を育み、まちの未来に繋がる。そう確信しています。


夢もあります。
○"道をつける人"になりたい。
私たちが山で仕事をする際、山に「森林作業道」と呼ばれる道をつくります。その道をつけることができるようになるには、もっともっと山のことを知って、木を、森を、土壌を、水の流れを、地形を知って、技術を身につけ、実践する力をもつ必要があります。いい道をつけることができれば、効率的な作業ができるだけでなく、人が山に入りやすくなります。よくない道をつければ、土砂災害を起こす原因になる可能性も少なからずあります。

○"技術者を育てることのできる技術者"になりたい。
林業は、"作業"ではなく"技術"だと尊敬している方がおっしゃっていました。その通りだと思います。
林業には、沢山の知識と哲学と技術が必要です。「林業は、21世紀型の知的産業だ」とどこかのお偉いさんが言ったと聞いたことがあります。
山に向き合う姿勢を問われ続け、気を抜くととても危険な仕事が林業ではないかと思います。私は器用な方ではないのですが、たくさんの師匠に、技術などを教わっています。その技術を次の世代につなぐ役割を担えるくらいになるためにも日々学んでいます。

○しあわせな家庭を築きたい
多くは書きませんが、わたしもふつうの24歳女子です♡里山里海を次世代に繋ぎたいと思っている私は、愛するパートナーと愛する子どもたちと幸せに暮らすまちを林業で支えたいです。まだ結婚の予定はありませんが。笑


小難しいことも書きましたが、私は純粋に山が好きで林業が楽しくてたまらないのです。実は意外とそこまで使命感も責任感も持っていないかもしれません。とにかくマイペースに、とにかく山を楽しんでいます。

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