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#22 兼業生活「自分らしく、みんなのために」~狩野俊さんのお話(4)

あの世に持っていけないものは、全部嘘じゃないか

室谷 1回目の記事で、「お金儲けが目的じゃないから、人が協力してくれるのかもしれない」というお話がありました。たしかに、自分の利益を優先するリーダーだと、ついていく側は疲弊します。

狩野 50代になって死について考えるようになってから、「あの世に持っていけないものは全部嘘だ」というふうに、結構本気で思えてきました。金で買えるものって、あの世に持っていけないものが多いんですよね。僕は「いい車やいい時計を買いたい」という欲があまりなくて。靴も含め、身につけているものは下着以外、全部古着なんです。古着なら比較的安い値段で質の良いものが買えるから、あまりお金がかかりません。

昨日も妻と長い散歩をして、3万歩、20キロくらい歩いてお金はほとんどかからない。でもすごく楽しい時間でした。この先、たとえば食糧やエネルギーの問題でお金がたくさんないと生きていけない時代が来るかもしれないけれど、今のところ、金で買えるものでそんなにほしいものがない。

一方で、コロナがあって店にレトルト工場をつくったことで、商売の金銭感覚は大きく変わりました。古本屋と飲食店で扱うお金って、1店舗だとごく小さい単位です。特に古本の世界だと、僕が今まで売った一番高い古本は20万円ですが、そんな本は滅多にありません。1万円、2万円という古本はそれなりにありますが、それでも「今日は高い本が売れたな」と思う。だから夜遅くまで店を開けて、日銭を稼ぐことに毎日追われていました。

でもコロナで、店が開けられなくなった。その間はたしかに大変でしたが、生活が朝型になって整い、経営に関する勉強ができたのは自分にとって転機になりました。その中でレトルト工場をつくるアイディアがひらめいたのですが、設備が高い。カレーをつくる窯と真空包装機で約400万円、改装も含めて800万円近くの資金が必要でした。

以前の僕なら諦めてしまう金額ですが、時間があったのでいろいろと調べて資金の一部を助成金でまかない、なんとか用意することができました。実際にやってみると製造・小売というのは利益率が高く、注文のロットが多い。自分がつくったものがたくさんの人に届くというのは嬉しいし、商売に対して新しい感覚が生まれました。

そのときに何百万円単位でのお金のやりくりをした経験は大きくて、それがあったから「本の長屋」のような、これまでの自分の店の範疇を超えるプロジェクトを立ち上げられたのだと思います。そういう意味では、レトルト工場をつくったのは僕にとってはすごくいい経験で。コロナで止まってしまった時間によって、生き直しができた感じがしますね。

室谷 コロナ中の取材記事で、人に会うことが減って「実は店番も人も嫌い」「そのことを自覚してから徐々に好きになってきた」と話すくだりがありますね。でも人が集まる場所にいるのは好きで、これから人をつなげる場をつくろうとしている。

狩野 いや、だから僕は単に面倒くさいやつだと思うんですよ。人間嫌いなのに寂しがりやで。でも面倒くさい人と結婚したので、そのことにも慣れていかないと、結婚生活が維持できなかった。うちの場合、妻の面倒くささというのは、嘘やごまかしが通用しないこと。夫婦喧嘩をしたと言うと、お客さんから「とにかく『ごめんなさい』って謝っとけばいいんだよ」と言われることがあるんですが、そんなこと言ったら「嘘でしょ」「何を悪いと思ったの?」と、また喧嘩が始まるわけです。

室谷 人間同士が円滑に暮らしていくために、「まあ、調子を合わせてやっていきなよ」というお客さんのアドバイスもわかります。でも狩野家ではそうじゃないわけですね。

狩野 そういうことはうちではあり得ないので……。彼女はそういうところで生きてない人だから。適当に合わせたりしたら、つまらなくて出て行ったんじゃないですか。

夫婦喧嘩って、鏡と闘うようなものなんですよ。僕が妻に指摘することって、実は自分の落ち度だったりもする。「勝手なことばかり言って」「あんただって勝手だよ」と、跳ね返ってくる言葉に対してずっと「そんなことない」と言い返してきたんですが、あるときふと「彼女が言っていることは、たしかにそうかもしれない」という気がしてきて。そうやって、長年続いていた喧嘩があるときなくなった。

不思議なもので、僕が「自分のいたらなさ」を自覚するのと同時に、相手も変わったんです。ほとんど同時に、お互いが武装解除した。そのことと、僕が死を意識し始めたことは密接に関係している気がします。相手に対して諦めたんじゃなくて、自分のことを諦めた。それは、「認めた」という言い方が近いかもしれない。なぜかそういうことが起きたんです。

室谷 50代は、いまの時代ではまだ若いですよね。何か死を意識するきっかけがあったんですか。

狩野 具体的に何かがあったわけではないけど、「人生は有限だな」という感じをもったのは、ちょうど50歳になる2022年の元日でした。宮台真司さんや小林秀雄の動画を流しながら店で大掃除をしていたら、突然「ああ、あの世に持っていけないものなんて全部嘘だ」って気持ちになった。Twitterに書いたから覚えているのですが。

それからはなんとなく、死の存在を意識しています。そうすると、“いま”が楽しいんですよ。これまでも妻がいて子どもが生まれて、店でもいろんなことがあって、楽しい時間は点在してあった。でもいまは生きていること自体が楽しいというか……。人生が違うフェーズに入った感じがしています。だからこそ本の長屋プロジェクトで、みんながいろんな思いや時間を共有する場をつくることに喜びを感じています。いまの自分ならそれができるんじゃないか、と。

室谷 転機の訪れって、きっと理屈じゃないんでしょうね。人生の静けさというか、平穏が、突然やってきたというのがいいお話だなと思いました。このタイミングでお話が聞けてよかったです。

狩野 いえ、こちらこそ。それにしても、なんで突然そんな心境になったんでしょうねえ。まあ、元旦だったからかな。

(取材を終えて)
あちこちに話が飛びながらも、狩野さんが“自分らしく、みんなのために”面白いと思うことをやり続けてきた経緯をうかがえて興味深かったです。「本の交換」「居場所づくり」など、言葉だけを見るとすごくいい取り組みが、実際にやってみるといろんな摩擦を生む。だけど人と人が関わりながらやることに摩擦があるのは当然で、ぶつかったり面倒をかけ合ったりしながら、前に進んでいくしかない。それらをムダだとか、余分なことだとか言わないで大事にしていけばいい――。お話を伺いながら、そんなことを考えていました。

1回目の記事の冒頭でリーダーシップの話が出てきますが、ご本人の分析とは別に、狩野さんには昔風の律儀さ、義理堅さを感じることが多く、そこが信頼されるポイントではないかと個人的に思います。本の長屋プロジェクトが始まりお忙しい中、時間をいただき、ありがとうございました。

(この回はこれで終わりです)

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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