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#8 兼業生活「豊かさを<中庸>から考える」〜大高健志さんのお話(2)

行ったり来たりの経験から見えたこと

室谷 大資本とマニアックな小資本の二極化が世界のトレンドだとして、例えば映画ファンなら、「小資本を守ろう」となりがちだと思いませんか。大資本・小資本を対立軸として捉えて、小さい方を擁護するという発想です。でも大高さんは違って、「中間層を残すことが、全体の豊かさにつながる」と言う。その発想はどうやって生まれたんですか。

大高 僕のキャリアは、「映画が好きで監督を目指す」というような“直線”ではありません。ビジネスの世界と、アカデミックな世界やアートの世界という全く異なる場所を行き来しながら起業したので、客観的にみるとめちゃくちゃです。でもだからこそ、見えたことがあるのかなと思います。

もともと僕は大学で政治哲学を専攻していて、社会における公共性に興味を持っていました。公共性を育てるものはいろいろあるけど、その1つに文化芸術がある。現代アートも好きだったので、文化芸術を通して公共性を高めることを仕事にしたいなあと、漠然と思うようになりました。

とはいえ、文化産業も言ってしまえば経済のあだ花というか。金銭の余裕があるから、文化をつくったり楽しんだりする人がいると言われてしまうかもしれない。食うにも困る状態で「文化を大切に」と言っても、現実的じゃないよねという視点もありました。

就職活動が始まったころは、経済がより社会での優位性を増している状況でした。自分としてはその状況に強い興味をいだき、政治哲学専攻だとあまり選択肢に上がってこないであろう仕事に興味を持ち始めた。社会課題として経済が浮上してきた時代に、それを知らないでアカデミックな世界の中だけで文化を語るのは違うんじゃないかという思いもありました。むしろ市場経済のど真ん中でグローバルに働いている人たちは何を考えているのか。どんなスキルがあるのか。それを知りたいと思い、外資系コンサルタント会社に就職しました。

そこで3年働いて思ったのは、ビジネスの世界はめちゃくちゃロジカルだということ。非ビジネスパーソンで「お金の話は汚い」「自分たちは虐げられている」と言う人もいるけど、それはそれで自分たちの活動を尊いと思いすぎで……。ビジネスにも理屈はあってそれを遂行しているだけで、「どっちが正しい」というものでもないよね、と考えるようになりました。

例えば業績が傾いた会社がリストラする場面は、ドラマでは悪として描かれます。もちろん、リストラせずに業績を回復できるのが最善なのだけど、資金繰りが回らないという現実に直面したとき、「会社が倒産して1万人が路頭に迷うくらいなら、1千人をリストラして9千人を残す方がいい」というビジネスサイドの合理性もある。だから正論はいくつもあって、そういう考え方も知っておく方がいい。

一方で、ビジネスの合理性から抜け落ちる、定量化できないものも当然あります。それこそまさに僕が学んだ公共性とか社会福祉のようなもので、ここは、あくまで自分たちの活動を「プライベートである」と定義しているビジネスサイドに求めても仕方ない。やっぱりアートのような別の文脈が必要だよねと思い、働いたお金で東京藝術大学大学院の映像研究科に入り直しました。あまりに真逆のキャリアに周りから「なんなんだ、お前は」と言われましたが(笑)。

室谷 映画を学んだことが、MotionGalleryの設立にどう結びつくのですか。

大高 在院中、日本では映画を撮るための予算を集めるのがいかに大変かを目の当たりにしました。その後、フランスに留学して現地の美大生と話したら、彼ら・彼女らはたっぷりの助成金で優雅に映画を撮っていた。これじゃあ、日本の映画は同じ土俵で戦えない。フランスは国家戦略として文化で稼ごうとしているけど、日本政府にそれは期待できない。一方、ハリウッドがあれだけ稼げるのは、英語圏というどでかいマーケットが世界にあるから。日本の場合は助成金も、マーケット主義も難しい。じゃあどうする?というので、どちらでもない方法を模索しました。

そもそも映画づくりの資金集めをビジネスのロジックで考えるのは、どうやってもうまくいかない。なぜならビジネスは、商品やサービスに再現性をもたせて、拡大・再生産するもの。一方で映画やアートは、唯一無二の作品をつくろうとしているんだから、根本的に方向性が違います。映画の世界では、投資したお金が倍になって返ってくるどころか、半分になるリスクも受け入れなくてはいけません。

ビジネスとアート。2つのかけ離れた世界を経験した自分のバックグラウンドをどう生かすかと考えたときに、人々がお金をだす動機を再設計して、フランスの文化助成金のようにインパクトがある、民間の資金をつくれないかと考えました。だから「お金の流れのオルタナティブをつくる」という意識がまずあって、それがクラウドファンディング設立につながったんですね。

僕らのクラウドファンディングは、文化を大資本と小資本に二極化しないためのチャレンジでもあるんです。作品をつくりたい人が、“増やして返すことが前提ではない”“そこそこの”お金を集められるというのは、新しい物差しを1つ増やすこと。だから作品の好みに関わらず、さまざまな文化や活動が形になることを応援したいと思っています。

→「『上場と公(パブリック)』の微妙な関係」につづきます。

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudioによるものです

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