#9 兼業生活「豊かさを<中庸>から考える」〜大高健志さんのお話(3)
「上場と公(パブリック)」の微妙な関係
室谷 資本主義をベースにした今の社会では、拡大再生産を繰り返し、大きくなることが前提のビジネスにお金が集まりやすい。大高さんはその論理から抜け落ちてしまう「公共性」に着目し、文化領域を通して、中間層にお金が集まるよう支援しているわけですね。
大高 そうです。公共って、人々に対して開かれていて、ディスカッションできる状態にあること。その作品が面白い・つまらないという評価軸の前に、まずは多くの人々がアクセスできることが大切です。さらにアクセスした人同士で何らかの共通体験や、考察が生まれること。それが表現の公共的な価値だと考えています。
例えば、「興行収入」や「動員数」は経済的な価値の指標ですよね。一方、そうした数字を無視して「わかる人だけわかってくれればいい」というのも、開かれているとはいえない。より公共的な映画の価値として、もし僕なら「観客数×価値観が変わった角度」を指標にします。そしてそれは、ミドルバジェットの映画で実現しやすいように思えます。
室谷 面白いですね。興行収入や観客の数だけでは、「どれだけ価値観を揺さぶったか」というファクターが見えてこない。でもここは、文化領域で重要なところです。一方、ビジネスの世界で公共性が担保しづらいとすると、大高さんの会社はどういう位置付けになるんでしょう。
大高 市場経済の論理では、会社が経済合理性を求めてマッチョになっていくのは宿命ですよね。特に株式上場すると、短期的に業績を更新していくことが、ステークホルダー(株主を含む利害関係者)に対する絶対正義です。ただ、あくまで僕の経験ですが、外資系コンサル時代にいろんな会社を担当する中で、非上場企業は市場経済の論理だけで動いていないところが多かった。
「赤字の美術館のコストを削りましょうか」と言っても、「そんなことはあんたら口を出さんでくれ」で終わり。オーナー企業は独りよがりに陥る場合もあって難しいですが、あくまで公共心を持つオーナーの前提でいうと、非上場の企業の方が長い目で物事を見ていて、公共心が強い。ビジネスと公共のバランスを取れている印象がありました。
結局のところ、市場経済のど真ん中に身を置かないことが重要なのかもしれません。ビジネスと公共性という2つの物差しを追求するのはロマンがあるし、中庸を貫くためにも、僕は上場を目指していません。
もちろん、ビジネスにおける上場の価値や面白さは十分に理解しているつもりだし、否定する気もない。ただ僕は、市場経済オルタナティブとして存在するクラウドファンディングを事業に選んだので、そこは一線を引く必要がある。非上場でありながら「公(パブリック)」な存在でありたいと考えています。
→「お金には色がついている」につづきます。
※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudioによるものです
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