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#39 兼業生活「わたしのちっちゃい関心ごとを、社会にひらく」〜丸山里美さんのお話(2)

女性ホームレスの語りを、理論で読み解く

室谷 前回は『女性ホームレスとして生きる(増補新装版)――貧困と排除の社会学』(世界思想社)』を参照しながら、丸山先生が女性ホームレスの聞き取り調査を行うなかで、男性中心の先行研究との折り合いがつかずに迷ったお話を伺いました。

結果として、女性たちの語りを理解するために、この本では従来のホームレス研究から軸足を移し、ジュディス・バトラー(哲学者)とキャロル・ギリガン(発達心理学者)という2人のフェミニズムの理論が応用されています。ご自身の葛藤が、どうやってこれらの理論につながっていったのですか。

丸山 この本は修士論文のための調査が元になっているんですが、修士論文を書いていくなかで、女性たちの語りを通して考えてきたことが、バトラーやギリガンの理論につながるんじゃないかと気づきました。

1つは、バトラーの「主体」についての理論です。この理論は、路上にとどまり続ける野宿者の主体性をどうとらえるか?という点で、とても参考になりました。

バトラーはジェンダーについて考える際、法を「起源を問うことなく人を従わせる規則や規範」ととらえ、ジェンダーはこのような法の言説の作用だといいます。そして主体とは法以前から存在する本質ではなく、法の効果として構築されたものであり、ジェンダーもまた主体が自分の意志で選びとっているわけではない。こうやって主体という概念を疑い、それは「あるかのように構築されたものでしかない」と考えたのです。

もう1つは、ギリガンを端緒とする「ケアの倫理」です。ギリガンの聞き取り調査では、道徳的葛藤が必要なものごとの選択を迫られたとき、男女で異なる語りの傾向が見られたといいます。男性の語りでは、自立した個人として、規則や権利に基づく普遍的な正義を求める傾向がある。一方、女性の語りでは人間関係が重視され、他人の要求を感じ取り、公正であろうとしていることが見てとれる。ギリガンは前者を「正義の倫理」、後者を「ケアの倫理」として特徴づけます。

ギリガンの著作に出てくる女性たちの声は、私が出会った女性ホームレスの方たちの矛盾や迷いをはらむ声に、とても似通った響きをもっていました。それはジェンダーの本質的な違いではなく、男性は公的な場で働き、女性は家庭でケアの役割を担うという、社会で置かれた環境によってつくり出されたものです。このように、ケアの責任を負うあまり自立しえない人たちがいるということを、男性を中心とした学問が見落としてきたことを、「ケアの倫理」は指摘しているのですが、同様のことが、ホームレスは男性であることを前提としてきたホームレス研究についてもあてはまると思いました。

実は、修士論文では、ギリガンについては掘り下げる時間がありませんでした。博士論文の執筆時にあらためて勉強し、反映させた内容がこの本のベースになっています。

室谷 2つの理論が女性ホームレスのありようにつながっていくのを読んで、主体性、そしてケアの倫理って、すごく広がりがあるんだと驚きました。

それこそ、わたしが仕事で抱いている違和感にも、通じるところがいろいろ出てきて。ビジネスの現場では、自立した主体が合理的判断に基づいて行動することが常に求められます。でもそれって、家事労働や子育てを女性に任せて、仕事の世界だけで生きてきた男性中心の考え方ですよね。また、仕事において周囲との関係性を重視すれば、矛盾する意見も出てくるはずだけど、それを切り捨てなければ前に進めない。そういうことのおかしさも、あらためて考えることができました。

丸山 ありがとうございます。最初は自分の研究をそんなふうに広がりのあるものだとは思っていませんでした。ホームレス全体のうち、女性というごく少数の特殊なところだけに焦点を当てた、それこそ重箱の隅をつつくような研究だなって。一方で、研究対象が少数の人たちであっても、その研究にどうやって意義をもたせるかということは、戦略的に考えていました。

そこで他の研究領域、とりわけフェミニズムについて勉強していくと、学問の世界全体の男性中心主義をちゃんと問い直すような研究があった。そういうところが面白いし好きだなと思い、すごく参考にしましたね。

フェミニズム研究での学びを通じて、私がやるべきなのは、男性を中心にしたホームレス研究にわずかな女性の存在をつけ加えることではなく、女性ホームレスという少数の方たちの調査を通してホームレス研究全体がもつ偏りを問題にすることだと明確に思うようになりました。ですから論文を書きながら見ていたのは、社会全体がもつ男性中心主義みたいなもの。そういう意味で、おっしゃるように他の分野ともつながりがあると思います。

室谷 話がずれるかもしれませんが、上場企業の役員を見ると、社外取締役に1人女性がいる程度でおじさんだらけという会社が多くて。女性の役職者が少ない理由を聞くと、よくあるのが「女性はなりたがらないから」というんですよね。実際、そういう意識調査もある。「昇進したくないと言っているのを、無理にさせることないだろう」とその話が終わってしまうんです。でも丸山先生のお話を伺っていて、どうしてそういう意思決定になるのか、そういう女性たちが育ってきた背景にまで踏み込んで考える必要があるなと思いました。

丸山 ギリガンの著書にも、女性が成功に対して抱く葛藤についての記述がありますね。

室谷 ギリガンをはじめとする「ケアの倫理」のようなものがもっとビジネスの分野にも入ってくると、働き方とか経済の仕組みがいい感じになるんじゃないかと思うんですが。

丸山 間違いなくそうですよね。最近はケアの倫理というのが、割と社会のインフラの問題ともつながって議論されるようになってきてますよね。私がその本を書いた時期に比べて、ずいぶん大きく展開しているなと感じます。

室谷 たしかに、最近はケアをテーマにした人文書が売れていますよね。関心がある人たちのブームで終わるのではなく、財界のおじさんたちとか、政治家、それこそケアをずっと他人任せにしてきて自分と関係ないものと思っている人たちにこそ、その議論が届いてほしいです。

丸山 そうですね。そういう意味では、もっと注目されないといけないですよね。

(つづきます→日本の調査にひそむ、ジェンダーバイアス

※写真はすべてこのインタビューに出てくる写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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