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#27  兼業生活「人生とキャリアの使い方」〜坂本 宣さんのお話(1)

初めて坂本宣さんにお会いしたのは、アウトドア用品のメーカー、スノーピーク・山井太社長の取材の席でした。坂本さんは当時、記事のクライアントである証券会社の経営企画部長として、取材をセッティングしてくださいました。私はフリーランスになって間もないころで、大きな仕事に緊張しながら、新潟県・燕三条のスノーピーク本社に出向いたのを覚えています。

スノーピークは、社長をはじめ働く人みんながアウトドア好きで、ハイエンドな自社製品のファンでもある。私はその姿を「ピュアでロマンチックな会社」と感じ、記事にしました。

たった1回の取材でも、それからご縁が続くことがあり、坂本さんの場合はそうでした。ご自身もキャンプ歴が長く、スノーピークのヘビーユーザー。山井社長と親しい間柄で取材はなごやかに進み、終わった後もSNSでゆるくつながりました。

それから6年後の2022年4月。SNSのポストで、坂本さんが証券会社を辞めてスノーピークに転職したことを知ります。坂本さんは58歳で、証券会社の常務になっていました。なぜ定年前に辞めて趣味であるアウトドアの会社に転職したのか。じっくり伺いたいと思い、インタビューをお願いしました(全部で4回の記事です)。

(プロフィール)
さかもと・のぶ/1964年生まれ。岡山県出身。大学卒業後、日興證券(現・SMBC日興証券)入社。プライベートバンキングや産業調査部の立ち上げ、経営企画などで34年間キャリアを重ねた。SMBC日興証券と三井住友フィナンシャルグループで常務執行役員となり、富裕層向けのビジネスの責任者として活躍していた2022年3月、同社を退社。同年4月、アウトドア用品を扱うスノーピークへ転職。現在、同社副社長。キャンプ歴は20年以上。

趣味が出会いを広げてくれた

室谷 大手の金融機関で役員にのぼりつめるって、かなり低い確率だと思います。その職位をあっさりなげうって転職なさったのが、潔いなあと思いました。

坂本 前職で地位や報酬への不満は、まったくなかったですよ。最後は責任者としていい形でやらせてもらっていたので、仕事の内容に不足があったわけでもありません。ただ、太さん(スノーピーク・山井社長のこと)と話している中で、強くお誘いを受けたところから気持ちが固まっていき、2021年末に決心して翌4月に転職ということになりました。

おっしゃるとおり、前職では珍しいことだったようです。「役員が現役のまま辞めるなんて、過去何十年もないはずだ」と言われましたから。

室谷 山井社長とは、キャンプがご縁で知り合ったとか。

坂本 そうですね。キャンプを始めたのは、一番下の子が生まれる前。上の子たちが4歳、2歳のころでした。バーベキューの延長で軽いノリでやってみたらどんどんハマって、道具をそろえ、毎週のように行くこともありました。

その熱が高じて、個人でキャンプのホームページをつくったのが、1999年。いまほどネット環境が整っていませんでしたが、その分、ネット上に集まってくる人たちの熱気がすごかった。さらにキャンプのコミュニティ・サイトの立ち上げに参加し、管理を手伝うようになりました。野外宴会推進協議会、略して「野宴会」という笑える名前でした。

サークルの会長は、徳島の漁師さん。みんな手弁当で、サーバーを借りるのもデザインするのも、できる人で分担してね。オフ会で盛り上がり、キャンプに行く仲間が増えて、それは楽しかったですよ。

たしか2000年ごろ、コミュニティ・サイトの掲示板に「スノーピークの山井です」という書き込みがありました。当時から社長をしていた、太さんです。スノーピーク好きも多かったので、盛り上がり、湧き上がりました。

太さんとはそれから一緒にキャンプに行くようになり、フライフィッシングも教えてもらいました。僕はすっかりスノーピーク製品のファンになり、「スノーピークウェイ」(スノーピークの社員とユーザーがキャンプし、焚き火を囲むイベント)に家族で毎年参加するようになりました。

室谷 坂本さんから見て、山井社長はどんなキャンパーですか。

坂本 それはもう、アウトドアの達人ですよ。山の空気を見るレベルがめちゃくちゃ高くて、対応力がずば抜けている。キャンプって、経験がものをいうんです。雨が降ってきたとか持ち物を忘れたとか、想定外の事態に対応しながら力がつき、楽しみ方の幅が広がる。太さんは、その経験値が高いと思います。

僕たちの交流が長く続いているのは、アウトドアだけじゃなく、知的な刺激があることも大きい。いま、スノーピークの役員として会議に出ると、資料に「As-Is(現状) / To-Be(ありたい姿)」が書いてあり、そこからのアプローチを仮説・検証も含めて話し合っていく。内容の濃い会議です。それで思い出すのが、『仮説思考』(2006年、内田和成)という本がベストセラーになったときのこと。僕も太さんもその本を読んでいて、太さんは「お互いの会社で、『自分の仮説はこうだけど、どう思う?』といえる会議になったりするといいよね」と言っていました。

だからキャンプで一緒に遊ぶし、フライフィッシングの師匠であり、ビジネスの話も高いレベルでできる。得難い関係ですね。

室谷 個人的な交流が深かったようですが、お仕事でのお付き合いはいつ始まったんですか。

坂本 知り合ったころ、スノーピークは30億円くらいの売り上げで、未上場でした。証券会社としてお付き合いするとは全然思っていなくて、「上場しない方がいいですよ」と話していたほど。上場すると、経営者は日々マーケットに向き合わざるを得なくなる。そこに体力を使うよりも、ユーザーや社員のために経営する方がスノーピークらしいと思っていましたから。

一方、スノーピークのファンは増え続け、2010年台から売り上げが急速に伸びました。キャンプの力をつかって、人と自然をつないで社会を豊かにする。そんなミッションを実現するために、太さんは上場を決意した。それからはIPO(新規公開株)の主幹事と上場企業という関係になり、僕がPB(プライベートバンキング)の部長や担当役員になるなかで、仕事としてスノーピークと接する機会も増えていきました。

そして2021年秋に、スノーピークが海外を含め大きく事業拡大するタイミングで、僕のスキルが必要だから「早く来てよ」ということになった。

室谷 「定年後でいいじゃないか」と思いませんでしたか。

坂本 前職の待遇や仕事に不満がなかったと言いましたが、そのころ僕は金融グループ全体と証券会社の役員になり、部下を200人抱えて、かなり忙しかった。あるとき、ものすごくストレスが溜まってしまい、キャンプ道具を車に積んでフェリーで北海道にわたりました。あの旅に出たことで、僕は救われました。最終的に転職を決めたのは、その経験が影響していると思います。

(つづきます→『不満や怒りを消した、「キャンプの力」』

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudio によるものです

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