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#1 兼業生活のはじめかた(きっかけ・その1)

人が生活スタイルを変えようとするときは、たいてい切羽詰まっている。失恋したとか転職したとか病気になったとか人生の折り返し地点を過ぎたとか。変化を起こすにはエネルギーがいるので、たいてい事態がこじれてどうしようもなくなって初めて、重い腰を上げる。

私の場合、それは子育てでした。しかも、40歳を過ぎてからの。ずっと仕事漬けで生きてきたツケが一気に回ってきて、「仕事と生活のバランス、おかしくないか?」と考えざるを得なくなりました。

きっかけは、いくつかあります。中でも大きかったのは、出産・育児とコロナの感染拡大が重なったこと。2019年末に出産し、年明けから始まった育児が時を置かず「3密回避」となり、公共・民間のサービスが縮小される中、自分がいかに地域で助け合える関係をつくってこなかったかに気づいて愕然としました。

赤子を抱えて家族3人、家に閉じこもる日々。東京に友人や親兄弟はいますが、電車を乗り継いで会いに来て、と言いにくい。自粛中は徐々に気力を奪われる感じでしたが、もし震災などの大きな災害があれば、その影響はもっと短期間で直接的にあらわれたでしょう。

しかし、なぜ私はこんなに生活に無頓着だったのか。それは、「ビジネス中毒」だったから。地に足ついた生活を送るのは、一朝一夕にはできません。それよりも短期的な成果ややりがいを求め、一つのタスクが終わるたびに、小さな承認欲求を満たし、日々を生きていたのです。

その根底にあるのが、ビジネスあるいはお金に対する過度な依存だったと思います。30代後半まで、独身で健康でハードに働きながら飲み歩く生活を送っていた私は、多少困ったことがあってもお金で解決できると思っていました(自覚していなかったが、今思うとそうだった)。

仕事を通して積み上げてきた人間関係や実績のほかに、自己を規定できるものがなかったともいえます。もちろん、仕事である程度の成果を得られたのは、生きる上で十分ラッキーなことでした。仕事があって本当に救われたし、続けることで物理的にも精神的にもたくさんのものを得ました。しかし、“女性”として、“地域人”として、その前に1人の“人間”として、職能を磨く以外に、いまいち自信がもてないまま年をとったというのが、情けない実情でした。

たまたまご縁があって結婚し、子どもを産んだ途端にコロナがやってきて、私はそのことに向き合わざるを得なくなりました。そう、私には「仕事」はあるけど、「生活」がなかったのです。

つづきます

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudioによるものです

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