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父の涙と家族や人の優しさ

急な展開で昨日、父が無事転院した。

おとといの朝早くは、まだ転院先が決まらず、コロナの隔離期間を終えた父を家に連れ帰ろうか迷っていた。

迷いの経緯についてはこちら。


妹とのやりとりで、やっぱり父を自宅に連れ帰るのはまだ早いか…となったが、まだあきらめきれず、看護師をしていた叔母に相談することにした。

年の瀬の朝っぱらから喜ばしくない相談事にちと気が引けると思ったが思い切ってLINEしてみた。すぐに返事をくれ電話で話すことになった。

入院するとやっぱり歩けなくなるって話やった。特に高齢者は歩いたりすると転倒の恐れがあるため、極力動かないようにされる。だから弱る一方。入院している病院からも了承を求められたのが、転倒の恐れがあるため、動くとセンサーがなるようになっていること。叔母からもこの話が出た。病院としては、患者にケガされると困るから。

そんなことなら、家に帰ってきて私が面倒をみたい。とはいえ、介護の仕方がなにもわからない私が、今の状態で父に帰ってきてもらうのはやっぱり難しく、実技を実際に教えてもらうことが大切だと。やっぱそだよね…。

その後、転院先の病院の候補は出てるもののまだ決まらないという話をする。K病院、N病院の2つ候補に上がっていたが、K病院は妹と話をした結果、外してもらった。その病院は、父が最初に救急搬送された病院。コロナが陽性の場合は受け入れられないとのことで、検査の結果陽性の父はその数時間後別の病院に運ばれた。

妹がその病院の口コミを見ると、ひどすぎて、途中、動悸してきたってLINEが笑。見てみると、ほんまひどすぎて、私も途中で見るのやめた。父が運ばれた日、私がそこを出るときの看護師の非情な態度を思い出す。とゆうわけで、K病院は外して、N病院の返事待ちとなった。とはいえ、N病院の口コミもかなり悪くてビビっていた。

その話をすると、叔母が、和歌山のおばちゃんとこ空いてないか聞いてみよかと言うてくれる。その伯母も看護師をしてて、今も働いている。ケアマネージャーの資格も持ってるから私より詳しいよと。

うちは大阪南部なので和歌山には近い。とはいえ、ちと遠いかなぁとは思ったが、身内がよく知るとこやから安心かと。

その後、いとこ(和歌山の伯母の娘で看護師)のとこがリハビリ病院やから聞いてみてくれるとのこと。みんな総動員でありがたや〜。こんなにも親身になってくれるおばたちが、あの母の姉と妹という摩訶不思議な事実笑。おばちゃんたちは昔からほんま優しくて、そんなお母さんを持ついとこが羨ましかったものだ。

いとこの病院も確実じゃないから、返事待ちの間に、もしN病院の転院が決まったら、そっちでということになる。

すると、その日の午前中に入院中の病院から連絡があり、N病院の転院が明日に決まったと!自分が動くと、なかなか動かんかったもんも動くもんである。

ようやく事が進みホッとするも、ひとつ、え?!!となったことが。転院先のN病院はおむつの料金が1日1100円て。バカ高くてビックリ!しかも持ち込みできへんて。そういや、それ口コミでも書いてたけど、ほんまやってんや。ぼったくりやないかー!とN病院への不信感。

最初の病院は、おむつが570円、病衣や日用品のセットと合わせても900円ちょっと。さらに持ち込み可。N病院は病衣と日用品のセット合わせると1800円位する!これ、ひと月入院したら5万円以上で、せっかく高額療養費の限度額適用で、ひと月あたりの医療費が24600円、食事代が18900円の計43500円に抑えられても、意味ないぐらい高すぎる!ひどいー。

そんなに高いと父の年金じゃまかなえない。さあ、どうするよ私!父と一緒に暮らすようになってからはずっと父に甘えっぱなしで、経済的自立はできていない。そして、私の全財産がほぼ尽きるのと同じタイミングで起きた今回のこれ笑。今というこの瞬間お金はまだ大丈夫(数万円ある)なのに、ないないモードに入り、1月末には…チーンと頭で計算し始める。バイトするしかないか…との考えも出てまう。

やっぱり父を家でなんとかみることはできないかとまた考え始める。

いっぺん、今入院してる病院に相談してみよ。というわけで、電話し、N病院にかかる費用が高すぎるので、父を家で私がみれるならみたいと申し出る。担当の方はとても親身に相談にのってくれた。ただ色々考えるとやっぱり無理か…となり、予定通りN病院の転院をお願いすることになった。担当の方は、N病院の担当者に、費用のこともあり早期退院を望んでることを伝えてくれることになった。

そして、いよいよ転院の昨日の朝、8:45に来てくださいとのことだったので、家を7:30には出ないといけない。久々に目覚ましを合わせる。

この日から休みに入った妹も付き添ってくれるとのことで心強い。妹とは、介護タクシーが出発する9:15少し前に待ち合わせていた。

言われてた通り、父がいる病棟の3階へ上がり、看護師さんと書類の受け渡しをする。その後、いよいよ父と久しぶりのリアル対面!車イスに乗る父の顔はちっちゃくなった気がするが、元気そうで良かった!

介護タクシーの運転手さんが車イスを押してくれ、看護師さんと一緒にエレベーターに向かう。そして、エレベーター待ちをしてる時だった。

父が感極まった表情になり、涙を堪えてる?
すぐに表情は戻ったが、泣いてる?目がうるんで赤い気がする。父に近寄るとやっぱり泣いてた。家に帰れると思って嬉しくて泣いてるのがわかった。そんなにも家に帰りたかったんやなあと思うとかわいそうでしょうがなかった。

これはあかん、はよ言わな。

「お父さん、まだ家に帰られへんねん」 父は「そうなんか」と。じゃあどこ行くんや?という感じで驚いてるようやった。「別の病院に転院するねん。立てるようなったら家帰れるから」伝えるのが辛すぎたけど、父はそうなんかと受け入れたようやった。余計に辛い。

妹と合流し、タクシーに乗る。転院先の病院も面会はできひんやろうから、このタクシーの移動時間30分が3人顔見てしゃべれる貴重な時間。妹にはまだ父が泣いてたことを伝えられてない。父はまた忘れたのか家に帰るつもりでいてる。父に転院先の病院に向かってることを伝える。いつ帰れるんか聞く父に妹が「お父さん歩けるようになったら帰れるからリハビリ頑張りなー」と励ましている。それを聞きながら、さっき泣いてた父の姿を思い出し、やっぱりこのまま連れて帰れないだろうかとそんなことばっかり考えて、なかなか二人の会話に入れなかった。

転院先のN病院に着き、最初に先生の問診があった。この時に、トイレに介助して行けるようになれば退院したい旨伝える。早くても1ヶ月はかかるだろうとのこと。やっぱそうか。その後、コロナの検査を受ける。

その後、しばらく待つ間に、相談員の男性がやってきて話をする。私が経済的な負担から早期退院を望んでいることも前の病院の方がちゃんと伝えてくれてたようで、おむつ代はやっぱりどうにもならんし、持込みもできへんけど、紙パンツになったら費用を抑えられるとの話も出る。何かあればなんでも相談してくださいと言ってもらえ安心した。

その後、私が別の病棟へ入院手続きをしに行ってる間に、妹が父の検査に付き添ってくれた。妹が来てくれてほんま良かった。

入院手続きの受付の方も感じが良かった。
あれ?看護師さんも相談員の方も接する人みんな良い人なんですけど?!あの口コミなんやってんろ笑。

その後戻ると、父はレントゲンをとってるとこで、妹はイスへ座りに私の隣へ。妹の様子がおかしい。気分が悪そう。どうやら、血液検査で血を抜くのにすんごい手間取ったそう。毎回父はそうなんである。血管が細いのと水分をちゃんと摂れてないようで、5回はやり直してたらしい。妹も私と同じで、そうゆう場に居合わせると気分が悪くなったりするようだ。

というわけで、続きは私にバトンタッチ。心電図をとりにレッツラゴー。いったん外に出て別の病棟へ。初めて押す車イスに、安定感のない父が前のめりになって転んだりしないだろうか?と不安になりながら押す。

心電図の部屋に辿り着き、車イスをベッド脇につける。担当されるのはかなりがたいがいい男性だったが、父を起き上がらせるだけでも大変そうで、「お父さんおっきいから大変や」と言っていた。それを目の当たりにしてようやく、今の父を私一人ではみれないことがわかった。
父の身長を175もないと思ってたら、今回測ってわかったのが178だと。

この後、尿検査もあったけど、結局出ずに終了。

N病院に着いてからこの諸々の間に、父が何度か泣き、妹に最初の病院でも泣いてたこと伝える。早く家に帰らせてあげたいけど、どうすることもできず、お父さんが頑張ったら帰れるからと妹と二人で励ますしかない。

叔母から、飲みこむ力は、声を出すだけでも喉の筋力が鍛えられるから「あいうえお」だけでも口に出すようにとのことやったんで、歌の好きな父に『懐かしの名歌』とかいう本を持ってきた。それを渡すと嬉しそうに、すぐに良い感じに歌い出してた笑。

父がようやく部屋に入れるようになったのが、1時頃だった。看護師さんに車イスを押され、私と妹もついていく。父はまた家に帰れると思ってるみたい笑。部屋に行くんやでと言っても聞こえてないのか、鼻歌まで歌いだした笑。

父の部屋の階まで行き、看護師さんから説明を受けるのが一人だけとのことで、エレベーターで父と妹はバイバイする。ようやく父はまだ帰れないとわかったよう。何回やんのかこれ笑。

父と私はちゃんとバイバイすることなく、父は部屋に連れて行かれてしまった。まいっかー。

談話室で待っていると、担当の看護師さんがたくさんの書類と共にやってきて、説明を受けサインしていく。私が記入した父の問診票をもとに細かく確認してくれる。ここでも、退院の目標を聞かれ、父がトイレに介助して行けること、飲みこむ力が戻ること、できるだけ早く家に連れて帰りたいことを伝えた。

我が家はエレベーター無しの団地の3階のため、階段が1番問題なよう。入院前は自分で上れてたけど、無理なんだろうか。介助して上れたらいいけどな〜。

あと、トイレに手すりをつけたり、段差などの改修を介護保険で1割負担でできるから、父が入院中に準備することとしてアドバイスしてもらい、とっても親身になってもらえありがたかった。父を担当すると言ってたので、この方に任せてたら安心!

なんだかみんなほんとに親切で、おむつ代はどーでもよくなった笑。やっぱり人って大事!

やっぱり面会はオンラインも含め全くできずやけど、だいじょぶだぁ!

そんな感じで気持ちよく、妹と二人病院をあとにしたのだった。

朝私は味噌汁を食べてきたけど、妹はなんも食べずで腹ペコの二人。駅前の私がお気に入りのパン屋でパンを、コンビニでコーヒーを買い、ベンチで食べる。

妹は、病院のテレビがカード式のものと思い、3千円プレゼントに用意してきたけど、カード式ではなかったので、そのお金でパンとコーヒーを買ってくれた。ありがたや〜。病院のテレビはひと月9900円もする!これも高い気はするが、しょーがなーい笑。

私は、このあとまた転院前の病院へ行かねばならないのであった。朝最初の病院を出る時、タクシーの予定出発時間がすでに15分遅れていて、会計にさらに15分かかるとのことで無理!となり、後で戻ることになっている。

妹と電車が同じ方向なので、電車でもまたしゃべりまくり。さらにしゃべりたりず、妹が私のおりる駅でいったんおり、イスに座りまたしゃべる笑。その時に、お金のことあるからバイトもよぎりはじめたーと話したら、好きなように生きたらいいやーん、なんとかなるってとめっちゃ励まされて、妹がいてくれることのありがたみが沁みた。

いよいよ病院の閉まる時間も近づいてきたので、ようやくバイバイ。

病院で支払いをすませ、帰宅するともう外は暗くなり始めていた。

その夜、父の入ってる医療保険で保険おりるかも?!ということに気づく。コロナの保険はおりひんくなったとおもてたら、高齢者や重症化しそうな人は出るみたい!これでおむつ代払えるー!笑

やっぱりなんとかなるんだな〜♪

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