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本当の自分から偽りの自分への叫び

noteで過去の感情について書かれていた他の方の記事を読んで、自分のこれまでを振り返った。

生まれてまもない頃から若干複雑な環境に育ち、色んなことを感じてきたであろうに、幼少期のことをそんなには覚えていない。その後強烈な感情を味わう日々がやってくるのだが。

次に思い出したのが、元夫と暮らしたときのこと。強烈な感情三昧の日々であった。
常にある「自由にさせてくれ!」という強い願いとそうできない怒り。

元夫はフランス人ということもあるのか、カップルで行動するのがベースの考えだった。私はといえば、二人でいる時と一人の時とわけて考えていた。私が友達と出かけようとすると必ず一緒に来ようとする。私にはそれがどうしても受け入れられなかった。

私が今noteにこうして自分の気持ちを表現したりするようなこと、そういうことを彼は嫌がった。そういう大切なことは自分とだけシェアすればいいじゃないか、そんな考えだった。これも私はどうしても受け入れられなかった。

なんでも二人一緒に。
窒息しそうだった。

彼の中にある大好きなところもあれば、強烈に反発したくなるところもあった。
それで、頻繁に激しいバトルを繰り返す日々。バトルというか私一人いつも激しく怒り狂っていただけなんだが。

強烈な「自由にさせてくれ!」という感情。
「独裁者め!」と激しい怒りに打ち震える感情。

当時のことを考えてもどうしてもわからなかった。
他者は自分の鏡。自分の姿を見せてくれている。

私は自分が自由でいたいし、周りの人が何をしてようとあまり気にしない。
それでも、こんなにも強烈な想いを炸裂させるその状況が頻繁に起こるというのは、自分の中になにかあるのは間違いなかった。それでも、彼のような要素を自分の中に見つけられずにいた。

でも、今朝ようやくわかった。

心の奥にいる本当の自分が、嘘をついてる表面上の自分に叫んでいたのだ。

「自由にされてくれ!」

彼のような要素を見つけられない。
そりゃそうだ。要素どころか完全にそのものだから見つけられようがない。

私が私自身の完全なる独裁者となっていたのだ。

まだ両親と一緒に暮らしていた学生の頃、私は母としょっちゅう大げんかをしていた。今となっては、ケンカのシーンはよく覚えているのに、その理由をなかなか思い出せずにいる。
放任の両親の元育った私は、勉強しろだとか門限だとかはなく、かなり自由だった。それでも、何かの原因で激しく母とケンカをする度に、私はいつも自由になりたい、早くこんな家から出たいと強く思った。

それも、心の奥の自分が、表面上の私に「自由になりたい!」ときっと叫んでいたのだ。

私が私自身を抑え付けて、本当の自分でいる自由を奪っていたのだ。

本当の私は、「遊んで食べて寝てちゃだめ〜?」とお菓子を食べながら楽しく好きなことをする無邪気な存在なのに。


ようやく、いろんなことが紐解かれて始めてる。

これからは、私が私を自由にさせてあげるんだ。伸び伸びと自由に好きにやっていこう。

これまでごめんね。

もうコジコジになっていいときだ!

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