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生きていられることの奇跡

長野から帰ってきた翌日、母のLINEを削除し、携帯をブロックした。

なんの罪悪感もない。
ただ腹が立って、そうしたかったからそうした。

長野での3人展開催中、残すところあと2日の12/4の朝、携帯にいとこからの着信があった。その2日前の12/2の晩、また別のいとこからLINEで、先日祖母の3回忌を無事終えましたとの連絡があり、そのとき集まった親戚のみんなの写真が送られてきた。私の近況もまた教えてねとのことだったので、今長野で友達3人と作品展をしてるよ〜と伝えたら、近かったら行きたかったな〜と言ってくれた。

そんなやりとりをした2日後の朝、別のいとこからの電話である。そのいとこはいとこの中で唯一私とインスタで繋がっている。なので長野での3人展のことも知っている。2日前にLINEをくれたいとこともしかしたら連絡を取り合って、遠いけど長野まで来てくれようとしてる?という考えもよぎったが、着信のあった時間が朝の8時前。もしかしたら何かあったのかな。

かけなおすと、いとこは泣いていた。
泣きながら、おっちゃんが亡くなった経緯を伝えてくれた。
おっちゃんは私の母の姉の旦那さん。
小さい頃、私はよく面倒をみてもらった。
家がわりと近く、2人姉妹のいとこと年も近いこともあってよく泊まりに行って遊んだ。
泊まりに行くと、毎度といっていいほど焼き肉を用意してくれ、おっちゃんといえば焼き肉を思い出す。

話し終えたいとこに、またあとでかけなおすとだけ伝えて電話を切った。

その時点で、3人展は翌日まで。さあどうしよう。結局その日は在廊して、1日前倒しでその日の夜行バスで帰ることにした。

帰った日の夜にお通夜、翌日告別式だった。
電話でいとこは、おっちゃんが5回目のコロナワクチンを打って翌日に吐いて、そのあと亡くなったと言っていた。翌日吐いてからあとの経緯を詳しく話してくれてたけど、よく覚えてなかった。

それで葬儀のときに、もう一度経緯を聞いたら、吐いたあとは元気やったみたいやけど、心臓が痛かったらしく、高血圧と糖尿で通院してる病院でそれを伝え診てもらったら心房細動になってたらしく即入院と言われたらしい。

ワクチンを打って、1週間後に亡くなった。
それまでジムに通ったりすごく元気やったらしい。いとこが送ってくれた祖母の3回忌の写真にもおっちゃんは元気そうに写っていた。

おっちゃんの話をちょっと脇におきます。

長野へ出発する前日に大好きな友人から連絡がきた。友人だけど、年上のとっても尊敬する女性。9月のなかばにご飯を食べに行って以来、珍しく全く連絡をとってなかった。元気にしてるかな?とか、なにかあったのかな?となんとなくふと思い出すことがあったけど、連絡はしなかった。

私が長野へ出発する前に、ちょっとでも会えたらと連絡をくれてすごく嬉しかった。この日は時間があんまりないとのことで、うちまでちょこっと来てくれてすぐ帰るとのことだった。

車で来てくれ、隣には一人暮らしをしている娘ちゃんが乗っていた。元気にしてましたかー?だとか少しの間やけど、全くやりとりしてなかった間のことを開けた窓越しにたずねる。大変なことあってなと笑いながら答える友人。まあまた帰ってきてからゆっくり話すわと。

まさかとは思いながらもなんとなく感じたことがあった。

思わず、気になりますーと言ってしまう私。

まあまた帰ってきてからと言われてるのに、そしてその大変な内容がなんとなくわかってしまってるのに、いやわかってしまってるからなのかどうしても今ちゃんと聞きたいと思ってしまった。

やっぱりそうだった。

旦那さんが亡くなったって。

それ以上はなにも聞けなかった。

帰ってきたらゆっくり会おうと約束してバイバイした。

旦那さんの話このあいだも普通にしてたのに。
何があったのか。

そんな大変な中、友人は私に長野への餞別を渡しにきてくれたのだ。
そして、私が長野の3人展に向けて準備をしてるのをわかってたので、連絡をくれなかったのだ。
家に帰り手渡してくれたお餞別、一緒に入ってた3人展おめでとうと綴られた祝福と応援のメッセージに号泣した。

昨日その友人とごはんに行った。

だんなさんは、ある日お腹が痛いと言って、病院にいくと、ガンと診断された。それまでなんの兆候もなかったのに。

診断されたこともその後のことも全てが、私が友人と会ってなかった2ヶ月も満たない間の出来事だ。

亡くなった親戚のおっちゃんも友人の旦那さんもそれまですごく元気だった。親戚のおっちゃん77歳、友人の旦那さんは55歳という若さ。きっと本人たちもまさかなはずだ。

私だって、いつ人生が終わるかわからない身なのだ。そう思うと、生きていられることが本当にありがたくて、生きているこの命の一瞬一瞬が本当に奇跡なんやなあって。今日自転車で外を走りながらそんなことを考えてた。

そして、生きてるからこそできることを思うと、もうなんでもいいんちゃうかなって思った。良いも悪いもない。生きてるからこそできるんやって。

それが冒頭の母とのこと。

何度か以前の記事でもとりあげてるけど、死んでしまったら、感情ってなくなる。
怒りだろうが、何かを感じられることって奇跡なのかも。奇跡だよね?!素晴らしいことだよね?!って。

そんな風に思ったら、内から湧いてきたものにジャッジする必要ないよねーって。
なんでもいいよねって。
自分の中から湧いてきたものはそれがどんなものであれ素晴らしくないわけないよねって。

なんだかストンとそんな気がしたのです。

もっと自由でいい。
自由になった気がする。

生きていたらなんでもいい。
と同時に、生きているからこそ、この大切な命をどう使うかも意識する。

なんでもいいという自由さの中で、この尊い命でこれから何をしていこうか。
とにかく楽しもう!

またこの記事のっけときます。

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