お試しで死んでみた
おととし2020年の終わりに、『お試しで死んでみる』体験をしてきた。
その年の春に元だんなさんが、秋におばあちゃんが亡くなった。おばあちゃんは101歳を迎える1週間程前に亡くなった。あっぱれ!
身近な人が亡くなることが続いたからやと思う、馴染みのカフェでやる「死」をテーマにしたワークショップに参加してみたくなった。
参加者は5人位やったかな。
最後のシーンを除き、途中ほぼうろ覚えなんやけど、確か自分がガンになって死ぬ設定で、そこに感情移入させて色々体感していく。
最初に20枚位?の小さな紙に自分にとって大切なこととか人とか書いたような?!ちょっとはっきり覚えてません笑。
そんで、死んでいくまでの過程で、何度かその大切なものを捨てていく。案外嫌い嫌いと言ってたものが残ったような気がする。
途中、大切な人に手紙を書いたりもしたような。
そう、途中はね、全部うろ覚え!笑
いいのいいの!
私にとって、大切なとこは最後やった。
そこだけは、びっくりするほど印象深く記憶に残ってる。
チーンとおりんが鳴り、最後を迎えた私。
あなたは死にました。
何を感じてますか?
そう聞かれて
私は自分の感覚に集中した。
びっくりすることに、なんにも感じんかった。
この世を去る名残惜しさも、もっとああしたかったこうしたかったの後悔も、逆に魂の源に還る喜びもなーんも。
唯一感じたといえば、コンクリートの壁に囲まれた冷たさのような感覚。
なにも感じられない怖さというのか。
お試しで死ぬ設定やから、なんも感じられへんだけちゃうの?ということではないなにかを感じた。
そして最後に、死んだあとの自分が、生きている自分宛てに手紙を書いた。
ビックリマークの乱用でビックリマークの意味をなしてないと手紙を見返して思う笑。
お試しで死んでみる体験をして、私はどんな感情も感じてこそ生きているということなんやとわかった。
怒ったり、悲しんだり、絶望を味わったり、生きてる時にしかできへんめちゃくちゃ貴重な体験なのだ!
笑顔でいるだけが、本当の喜びではないのだ!
魂は、なんでもいいから私たちがなにか感じてる時に、きっと、ピッカー!と輝くのだ。
怒ってるときだって、魂はルンルン♪と喜んでるのだ。
泣いてるときだって、魂はやっぱりルンルン♪とキラキラ輝いて踊ってるのだ。
そう考えると、私はちゃんとこれまで魂ルンルンで生きていきてたなーと思う。
喜怒哀楽が激しく、怒りのパワーもすごい。
父と母にだって歯向かうし、取っ組み合いしてきたし、元だんなさんにもよく怒って、噛み付いたり(文字通りほんまに笑)、家から追い出したりもした笑。
まあ、怒りのあとはドドっと疲れも出るけど。
それも含めての体感。体験!
生きてるときだけの!!(若干怒る言い訳?笑)
とにかく、何を感じても自分にダメ出しとかせんでいい!逆にやったね!!イェーイ!!
生きている今しかできないことバンザーイ!!
もちろん嬉しいこと、ウキウキすることあればなおバンザーイやけど!!
嫌なこともいっぱい感じちゃえ!って思えるのって自分にすんごく優しい〜。
そんな風にどんな自分でもオッケーだよ〜って手を広げて受け止めてあげたら、結果、世界はとんでもなく優しくなって、怒ることもできないようになんやろな〜。
なんてこったぁ〜!笑
あ〜幸せ♪
サポートとってもありがたいです♡♡♡ おかげで生きてゆけます〜〜〜!!!