言葉が泣いている

先日、録画で撮り溜めていたテレビ番組を観た。
NHKの番組で、プロフェッショナル。
密着していたのは、校正者の大西寿夫さんという方だった。
私は、その番組によって校正者という職業を初めて知った。

校正者さんのお仕事は、作家さんや編集者さんが書いたゲラという原稿を受け取り、誤字脱字がないか、文章におかしいところがないかなど、一文字一文字つぶさにチェックしていくお仕事。表には出ずひたすらに裏方のお仕事。
人からは、ゲラをもらって間違いがないかどうかのチェックをするだけの「受け身」の仕事と言われ、差別的な目を向けられたこともあったと言う。

だけど大西さんの仕事は、すごかった。
ただの文章チェックに留まらない。
作家さんが表現したいことは、この文章であっているのか?
この物語に出てくるこの人物はこう言う言葉を言うだろうか?
そんな文章や物語の深く、深くまで踏み込んで考え、作家や、登場人物の想いを汲み取ろうとし、きちんと言葉が正しく伝わるよう言葉の表し方に心血を注ぐ。
そうして校正された文章は確かに、伝わり方が違かったのだ。
ストレスなくすっと入ってくるような。
読んでいて、聞いていて気持ちがいいような。
座り続け、調べ続け、考え続け、目の前の原稿に向かい続ける。
それは本当に、全身全霊で言葉を紡いでいるのだった。

そんな大西さんがおっしゃっていた言葉。

「言葉が泣いている。」

SNSで、誰もが簡単に言葉を発信できる時代。
手軽に、深く考えずに発信される言葉の中には、攻撃的で、暴力的で、感情だけが剥き出しになった刃のような言葉もある。
それは、まるで全世界何億人の人々に対して、防具も何もつけず丸腰で、刀を構えているようだ。

そんな風に感情だけが剥き出しに吐き捨てられた言葉たちに対し、大西さんは「言葉が泣いている。」と言う。
もっと丁寧に紡いだら、自分も、人も、傷つけずに済むのにと。

吐き捨てるように言葉を発信する人が、本当に発信したかったことは爆発した感情そのものじゃない。
本当に伝えたいことはきっと、もっと複雑で、もっと混沌で、限られた文字では全てを表せない。
文字数が限られていなくても、この混沌を、複雑性を、表現できるだけの言葉や文章の力を持ち合わせていない。
だから気持ちや感情だけでも、何とか誰かに伝わってほしくて、吐き捨てられた刃の言葉たちが散乱するのではないか。
そして意図せず誰かを傷つけてしまったりするし、暴力みたいな言葉を見たら自分も傷つく。

もし誰もが、自分の状況や考えを適切に相手に伝えられることができるなら、どんな世界が広がるだろう。
もし誰もが、言葉を大切に紡ぐことができたら。