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「21世紀の戦争と平和」を令和4年夏に読了する

同名の書籍あるがこちら三浦瑠璃著作の方である。
発売日まもない2019年に書店で購入した記憶がある。著者の別エッセイ「孤独の意味も、女であることの味わいも」をひとから勧められて読むことになり、おお日本でこういうスタンスで女性が自己表明をする時代になったか、と軽い衝撃と同時にこれまでに日本の論客にはない語り口に接し、一種敬意めいた感慨をもったことから本書を手に取るに至ったのだった。

しかし、数年で世の中変わるものである。これだから存命中の著者の作品というのは恐ろしい。2022年の夏現在、三浦瑠璃という人物の社会的評価は、2019年の本書発刊時のそれとは明らかに変わった。もちろん当時から一部から現在と同様の評価は確かにあったにせよ、だ。

そんな個人的なものも含めての背景経緯もあってだが(著者の現在の境遇や周囲の評価のみならず)2019年の本書を購入した際の私にとって戦争論や世界情勢を捉えるうえでの政治学はあくまで机上の話。はっきりいえば、余裕あってこその知識と教養の一部補完であり、戦争も世界情勢も他人事のその又先にあった。2022年のロシアのウクライナ侵攻は本当に世界のそして私の意識を変えた。もう知らなかったときの世界や私に戻ることはない。本当の新しい時代の到来はこの戦争によって幕が開いた。そして私は改めて本書を開くことになった。

実は本書は2019年に3分の1程度を読み終えたところでいつものとおり日々の雑事により後回しになり中断していた。面白くなかった訳でも難しすぎたからでもない。これまでこの種の情報に殆ど触れていない人間も拒絶されることなくスルスルと読ませる。綿密に整理された構成で情報取得の意味だけでも十分興味深い内容であることにに加え、著者の語り口と主観が明瞭であることも理由であるだろう。当時非常に感心したものだった。読了前に著者の政治オンライン塾に入塾した。そう。当時だって香港は自由を叫び、アメリカ大統領はトランプで、イギリスはEUを離脱する、とそこそこにさざ波は立っていたのだから。本書の提供する世界の徴兵性や独自の平和維持論はそれなりの合理性と説得力をもつ。それは現在の少しばかり違う風の吹く現在でもその印象は大きく変わらない。これは、私という読者の拙さゆえか、もしくは著者が真に意図するところが別にあるのかはわからない。しかし、偏に世界はかつて国家間の争いを完全に無くすことができたことはまだない。飢餓や貧困と同様に常に戦時はどこか誰かにおいての日常であり、現実であるのだ。

「誰が血のリスクを負うのか」という著者が作中何度も使用するそのフレーズは、その前提おいて何ら違和感のない率直な問いかけであり、常にその回答は個々で用意しておかざるを得ないのではないか。生きていくことは誰においても戦いの連続である。国家に属する人が生きるすべにおいて血を流すことを避けるための戦いも日々様々な形と主張をもって繰り広げられている。一方の、私は2022年夏の今、それをどこまで覚悟してものをいおうとするのか。正直いってただ、緊張と恐ろしさに身を固くするばかりで声にならない。

ウクライナは本記事執筆、現時点においてもその抵抗をやめることはなく、戦いは続いている。一方でロシアもその手を緩める気配はまるでない。一旦開始された「戦争」はそのすべてを凌駕するという事実を突き付けられたなかでの本書を読むという行為自体、何かにすがろうとするそれでしかないが。






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