私の人生がほぼTwitterに影響されている話(後編)

プロローグ:
ついに本文が5800字を超えてしまいました。

後編に至るまでこの奇妙なエッセイを読んでくれている人がいることは正直驚きだ。
赤裸々すぎて、知り合いが読めば秒速で身バレしそうな内容ですらあるのだが、ここまで長文にすれば皆怖気付いてきちんと読むこともないだろうなどとたかをくくり、ここに拙文を投下しておく。


前編、中編はこちら

中編では、Twitterの使い方の変化や、自分が好きなものに対する認識の変化などを経て、物事への理解や文章表現の手法をより深めようとする意識を得たことなどを述べた。
そしてこの後編では、これまでの私がTwitterを通して少しずつ得ていた学びや考え方が、日常生活における行動と如実にリンクしていくこととなる。

進路編  |  Twitter教典「程々に甘んじる精神を持て」


私は「ハリポタ」の沼に肩まで浸かってからおよそ1年が経過した頃、自身が通っていた高校を首席で卒業している。

実のところ私は、他人から見れば(Twitter廃人をやりながら)高校1年生の頃から定期テストの成績ではいつも学年順位で3位以内に入るような優等生タイプだった。
親からは「テスト5教科の合計点数が500点満点中400点を下回れば携帯を没収する。450点を超えたらお小遣いをやる」と言われていたから、それなりに真面目に勉強していたのだ。
携帯を没収されたらTwitterができなくなってしまうのでそれだけは困ると、その条件は3年間で1度も破ったことはなかった。

だがそれも、高校自体が「自称進学校」を名乗ることさえ恥ずかしいお粗末なレベルだったから実現しただけで、そんな高校での成績などは何の自慢にもならない。
時間や金銭的に余裕がないことも一因ではあったものの、まず誰かに強制されて勉強するなど真っ平御免だったので、塾にも通わなかったほどだ。

そもそも中学生の頃に、志望校をそこに決めたのも「自分の学力で自然と上位の成績が得られるレベルの高校に行けば、学費の安い国公立大学の公募制推薦枠に入れるかもしれない」という、なんとも狡猾で腑抜けた理由だった時点で、勉強に対する意欲が低めだったことがお分かりいただけるかと思う。

そして事はそのまま、怠惰な私の狙い通りに運ばれてしまい、かねてより志望していた大学の公募制推薦枠を獲得し、結果合格することができた。
(これだけは言い訳をしておくが、この公募制推薦は少人数制で、実際入試の倍率は3倍近くあったので、受かったのはわりと奇跡だった。)

要するに、この時の私は生まれて此方、自分の身の丈に程々に合うような、少し努力をすれば手が届くと思われる目標や環境を選んで生温く生きてきたようなものだった。
物凄くサボっていたわけでもないが、死ぬほど努力をしているわけでもない中途半端な生き方をしている私に対して、
周りの大人は「もっとやればできるんじゃない?」「勿体無い」とか言ってくることもあった。

しかし私はTwitterでわりと早い時期から大学生や社会人のフォロワーに囲まれて彼らの苦労なども目の当たりにしていて、「大人って大変だな」とか「あんまり頑張らないようにしよう」とか現実的なことを考えるようになっていたので、それらに聞く耳を持つことはあまりなかった。

一見するとそれはあまり良い影響とは言えないのかもしれない。
だが、この時の私がTwitterから「心を病んでからでは遅い。サボれるときはサボれ」の教訓を得ていなければ、これから味わう過酷な環境で心を折られていた可能性だって十分考えられる。

そして、それ以上にTwitterが私に与えたのは、「学校での成績がどうであろうが、自分で楽しめることを見つけて、その環境を自分で作っている人が結果的に人生楽しそうだ」という、型にはまらず好きなことをして生きることへの憧れみたいなものだったのだ。


疲弊する民達に、Twitter神は仰せられた。
「努力すべき所と、力を抜くところは、己で責任が取れる範囲において、自らが好きに決めれば良い。」

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著者・発行年不明 『Twitter新世界創世記』
4章18節「暗黒社会からの救済」より引用 (大嘘) 


大学編[1]  |   デザインとは何ぞや?


そんな私が大学生として通うことになったのは「デザイン」を扱う学科だった。
やっぱり絵を描くのは好きだったから、その延長上にあるクリエイティブな分野について学ぼうと思ってのことだった。

そこでは、「思わず使いたくなるようなコンセプトや使い勝手を考え抜かれたプロダクトを作る」とか、
「長期的な目線で人々に活用されるための建築を設計する」とか、
「地域で生産された伝統的な素材を用いて服をデザインする」のような、
様々な課題を与えられながら、モノが形になるプロセスの大切さを学ぶことになる。

ところであなたは、このような言葉を耳や目にしたことは無いだろうか。

「デザインとは問題を提起し、かつそれを解決する手段のことである」
「いいデザイナーは、見ためのよさから考えない」

後者に関しては有馬トモユキ氏の著書から頂戴した言葉であるが、こちらも結構面白いので、デザインに興味のある人以外も読んでみて欲しい一冊だ。


さて、上で述べたこれらの言葉だが、ある意味デザイナーの思い上がりでもあり、また真理でもあると思う。

実際、デザイナーはただ見た目がいいものを作れば良いという職業ではないことが多く、自分がデザインしたものを世に出すためには、クライアントにその価値があると思わせるプレゼンの能力もかなり重要なスキルとされているからだ。

ここで言うプレゼンとは、デザインのメリットやプロセスを明示することを指す。
それはつまり、デザイナーがそこにどのような問題を見出して、どのように解決しようとした結果その形が出来たのかという、背景やストーリーを伝えるということだ。
説得力のあるプレゼンができれば、人はそのモノ自体により価値を感じ、愛着や魅力を感じやすくなるのだ。

そして、そういったプロセスを丁寧に構築したり、それを他者から受け取って共感できる人は、心が豊かな傾向にあると私は思っている。

大学編[2]  |  心の豊かさについて考える


「~なんてものが暮らしの中にあったら、心が豊かになるよね」

これは私が大学で習っていたとある教授の口癖だった。
彼はとにかくデザインの裏にあるストーリーを大切にする人だったと思う。

教授だから当たり前なのだが、彼は身の回り道具の成り立ちだとか、素材の使われ方だとか、その製法だとか、伝統や地域文化だとか、とにかくモノの「見た目」以上に、それ自体が形作られるプロセスに関与するあらゆる分野への造詣が深い人だった。
私はこういった人達の思想に影響を受けながら学んでいたので、自身も自ずと心の豊かさについて考える機会は多かった。

私が考える心の豊かな人とは、感受性が豊かで、好きなものをたくさん持っていて、幸福を感じる閾値が低く、尚且つ自分の心に他人の感情を共有する余地を作っている人達だ。

今思えばそれは、私がTwitterの人達を見て憧れていた要素のひとつだったのかもしれない。

それぞれに好きなものをとことん追求し、愛着を持つに至った解釈を発信し、他者の発信にも熱心に耳を傾けるフォロワー達は皆、心に豊かさを持っていると思う。
そしてつくづく、自分のTwitterライフは良い人達で恵まれていると感じるのだ。

大学編[3]  |   正直めちゃくちゃ辞めたかったです


Twitterのみならず、大学へ入学したことで実生活でも良い人間関係は広がった。
私が通っていたのは、決して有名とは言えない地方の大学だったが、私立の美大に比べて圧倒的に学費が安く、教員のレベルもそこそこ高かった。

そのためか、同級生達はみんな頭が良さそうな高校の出身者だったし、同学科の約半分は県外からこんな辺鄙な土地に引っ越してくるような変わり者の人達だった。
そんな彼らは思った通り面白い人達だった。

私は先述の通り「頑張らないようにしよう」などと思っていたにもかかわらず、うっかりデザイン学科などという万年課題地獄の檻に自ら入ってしまったがために、何度学校に泊まり込み徹夜で作業したことか数え切れないが、彼らとはそんな苦楽を共にした。

制作課題がうまくいかず、先生からひたすらダメ出しを食らい続け、制作費で財布が痛み、制作時間を削りながらも制作費のためにバイトをしなければならないという負のループに陥っていたので皆心身が疲弊し、毎日のように「大学辞めたい」と言っていた。
だが、それを言い合える仲間がいたおかげで、毎日文化祭前夜の準備に追われているような、忙しさの中にも楽しさがあったのかもしれない。(でもあの頃にまた戻りたいかと問われれば、マジで無理だと即答する)

あとたくさん先生にいじめられた(愛情)ので、この時期でメンタルも随分強くなった気がする。
そして、他学部で遊び呆ける学生達を恨めしげに睨みながら課題に明け暮れたあの日々を乗り越えた自分のことは、少し誇らしく思うことができるのであった。

あつきちのTwitter史: 続・発展期

話が逸れてきたのでTwitterへ戻そう。
大学生の私(推定2014年~2018年)もTwitterを続けていて、そこは変わらず心の拠り所となっていた。

とにかく、Twitterを開けば、そこで自分の話を聞いてくれる人達がいて、また誰かがそこで色んな話をしてくれていることが大きかったのだ。

日常生活は多忙を極めたが、隙間時間に取り留めのない会話や、好きな物、日々の出来事を言葉にしているだけでも十分気持ちの安定に繋がっていた。
また、そのような中では集中して絵を描く時間はなかなかとれず、あまり描けない時期もあったが、それでも時間を捻出して描いていた。

特に卒業制作期間は、4万字のレポートと制作課題を両方に追われていたのでわりかし地獄を極めたが、
この時期には初めて自分で同人誌を作ったり、アンソロジーに寄稿してイベントに参加したり、あと平沢進のライブにほぼ全通したりしてとにかく自分をいじめつつ楽しく生きていたと思う。

また、アカウントを引っ越して以降は頻繁にオフ会に出ることは減っていたが、
それでも大学生になってからはライブの遠征で東京へ行くことがあったり、USJに「ハリポタ」のエリアが出来たことで、何人かのフォロワーと顔見知りになることができた。
そしてこの頃には、自分が描いている絵を「好きだ」と言ってくれる人もたくさん増えて、とてもありがたかった。
中でも「絵も好きだけど、ツイートが好き」と言われた時は特に嬉しかった

なぜなら、かつてのタイムラインでワクワクしながら読んでいた憧れの人達のツイートみたいに、いつしか私自身が自分の言葉で自分の好きなことを沢山語れるようになっているのかもしれないと感じたからだ。

また、タイムラインに流れてくるあらゆる情報をじわじわと蓄積していたので、地味に知見も広がり、日常でも色んな話題に対応できるようになったり、日常会話におけるボキャブラリーも豊富になった気がした
社会人になって2年と少し経った今、以前よりも色々な世代の人と話す機会が増えたが、そのようなシーンにおいて年上の人たちから「あつきちさんって面白いよね」と言われることも何度か経験している。

そんな社会人になってからのTwitterライフは、また機会があれば別のところで話をしようと思う。


あつきちのTwitter史: 総括と展望


Twitterが私に授けた教訓は数知れない。
「推しは推せる時に推せ」
「政治を知り、選挙へ行きなさい」
「世の中のトレンドとは、大抵の場合それを裏で意図的に誘導する者達によって可視化される」
「1人に嫌われることよりも、自分を好きでいてくれる99人の存在に目を向けなさい」
「スルースキルを磨き、自己を守りなさい」
「リムーブ・ブロックは人格否定ではない」
「Buzzっているツイートを過信する前にまずそのリプ欄を読め」
「他人の断定的発言はソースを確認せよ」
「好きな作家には感想を伝えなさい」
「疲れた時はTwitterを閉じなさい。そして必ずよく寝なさい」


たまに「〇年もTwitterやっていて得られた教訓は、Twitterなんかやらない方がいいということ」などと自虐する人達がいるが、それは殆ど間違いであると思う。
心の底から本当にそう思っている人ならば、Twitterを早々に辞めているからである。
Twitterを通じて得ているものがあるからこそ、逆に今まで続けられているのだ。

少なくとも私は、この文章を書くことにより、つくづく自分の人生とTwitterは切り離せない関係にあると痛感した。
年齢で換算するとTwitterが生活の一部に溶け込んでいる期間が、なんと今までの人生のうち4割を超えてしまっているのだから、そう無理もないだろう。

そして、あれほど人前で自分の思いを話すことが苦手で今すぐにでもその場から逃げ出したいと思っていた子供が、
Twitterと出会い、Twitterの人達との交流を経た今では、思ったことを素直に発言する度胸を備えた人間へと成長を遂げたのである。

(それどころかむしろ、仕事でお世話になっていた人からは「心臓に毛が生えている」と評されることもある程に肝が座りまくっているので、多少は謙虚さも大切にしたいところだ。)

もし自分がTwitterと出会っていなければ、どんな人間になっていたのか、正直想像がつかないし、ある日突然Twitterがサービスを終了させてしまったりなんてしたら、私はこれからどうやって自己表現をして誰と繋がって行けばいいのかと途方に暮れてしまうことだろう。

だが、最早こうなってしまっては、Twitterに奪われてしまった自分のあらゆる可能性のことを考えても無駄だし、Twitterによって得られた自分の現在を大切にしていくべきなのだとも思っている。

この今が私のTwitterの発展期なのか、全盛期なのか、衰退期なのかは多分誰にも分からないことだ。
しかし、「Twitterと寄り添いながら、在りたい自分を探していく人生も悪くないぞ」と、未来の自分が胸を張って言えるようになっていければ良いなと思い、私は今日もTwitterを開く。

そして本当に頼むから私が死ぬまでTwitterが無くならないで欲しいと毎日願っているのである。

(完)

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