私の人生がほぼTwitterに影響されている話(前編)

プロローグ:
Twitterに依存する私 VS それを認めたくない私


私のTwitterをフォローしている方ならばご存知のことと思うが、私はTwitterがかなり好きで、毎日必ずTwitterを開いて、何かしら呟いている人間だ。

それはもう何かしら呟いていないと気持ちが落ち着かないことすらあるので、かなり病的に依存していると思う時もある。

少なくとも私自身はこのTwitter依存を自覚しつつ、実のところそれをかなり恥ずかしく思ったり、後ろめたさを捨てられずにここまで来てしまった。

というのも、Twitterのサービス開始後の比較的早い段階から、Twitterを利用している若い世代を中心とするコミュニティの中では、Twitter依存者のことを「ツイ廃」と揶揄したり、自虐としてその言葉を使う風潮があったからだ。

この風潮によって、
若年のオタク層はTwitterの中毒性、即ち無意味に時間を浪費させたりだとか、精神を磨り減らすような有害なツールとしての側面を持っていることを、皆うっすらと認知していた。

そして、それでもTwitterを見たり、呟いたりするのがやめられない人達によって、あの頃のTwitterにはどこか不健全なムードが漂っていた。
恐らく当時の私もその中で燻る1人だったはずだ。

そしてそれを今でも若干こじらせたまま、こう思うことがある。

「Twitterやる暇があるならもっと有意義なことに時間を使えって?分かってるよ。
でも有意義なことって、そもそも人それぞれじゃないか。
だったらTwitterそのものを、自分にとって有意義なことだと考えてもいいんじゃないの?」

むしろTwitterがなければ私は自分で自分の機嫌を取れる人間になっていないし、
今楽しめている好きなことを見つけられなかったかもしれないし、
色々な知識や体験をくれる人達と知り合うこともなかったであろうことも事実だと思いたい。

だから、筋金入りのTwitter廃人である自分と向き合って、そんな自分を前向きに認めてあげたいと思い、この文章を書き始めた。

私がTwitterを通じて何を得たのかを、きちんと文章化してみたら、自分とTwitterの関係性を前向きに肯定できるかもしれない。

そんなわけで、ふと気になって私が1番最初のTwitterアカウントを作ったのがいつだったか調べてみると、2010年の3月だった。

なんと自分は10年もの間この珍妙なネットワークに絡まったままでいるのだ。恐ろしくてたまらない。

しかしこれは自分を肯定するために書いている文章なのだったと思い直し、Twitterが私に遭遇させた印象深い出来事について時期を大きく分けて纏めていくことにする。

あつきちのTwitter史:黎明期~草創期

Twitterを始めた当時、私は中学生だった。

確か放課後に、友達から「Twitterって知ってる?」などと声をかけられ
「何それ????」と首を傾げたような記憶があるが、そのままあれよあれよと会員登録までさせられてしまった。

そのため、最初は所謂「リア垢」のようなもので、
とりあえず同時期にTwitterを始めた友達何人かでフォローしあって、家に帰ってから気軽に携帯で文字のやりとりができることを楽しんでいた。

当時は確か、まだLINEが無くて、みんなmixiだったりアメーバブログだったり、その他自分で作ったホームページなどを管理していた。

そこで毎日日記を更新したり、友達のページを訪問してコメントを送りあったりするのが日課だった時代だ。

それに比べてTwitterは、わざわざ他人の管理するページへ足を運ぶ必要がない
マイページ、つまりタイムラインに、フォローしている人のつぶやきが勝手に流れてきて、その中でコメントをしたいつぶやきを拾ってやりとりすることができる。

この手軽さに始めは驚き、誘ってくれた友達以上に私がこのTwitterにハマってしまうのにそう時間はかからなかった。

そして、リアルを超えたネットワークの海で邂逅する奇妙な友人達との交流に没頭していくのである。

あつきちのTwitter史:過渡期

私がTwitterに登録してから1ヶ月ほど経過した頃、「けいおん!」のアニメ第2期の放送がスタートした。

私はこれを期に見事に「けいおん!」の世界にドハマりしたのである。
そして無論、Twitter上でも「けいおん!」が好きで、
特に田井中律(りっちゃん)推しの「りっちゃん隊員」と呼ばれる多くの人達と相互フォローの関係になり、それはもう色んな会話を楽しんだし、実際にオフ会に参加したりしていた。

ここで私が幸運だったのは、自分が絵を描くことが好きな人間だったことだと思う。

過渡期 | ~絵とTwitterと私~


実は私はTwitterの前にアメブロをやっていて、そこではアナログで絵を描いて公開するようなこともやっていた。

アメブロにも何人かそこで知り合った友達がいたので、アップした絵に律儀にコメントをくれる人もいた。

その人達のおかげで、今までコソコソ描いてたけど、自分の絵を見てくれる人もいるんだなあと嬉しくなった。めっちゃ下手くそだったけど。

また、デジタルでイラストを描こうと思ったのもアメブロ時代で、パソコンで絵を描くのが上手い友達に憧れてお年玉でペンタブを買った。

そのため、私がTwitterを始めたころには一応、「自分の絵をネット上で公開する度胸」「デジタルイラストを描くことができる環境」の2つが備わっている状態だった。

この状態で田井中律の沼に両足を突っ込んでしまったので、りっちゃんを自分史上最高に可愛く描くことに全身全霊を捧げる日々が幕を開けたのだ。

といっても、自分の14歳だか15歳だかの頃の絵は当然笑ってしまうほど下手くそで、今見返すと本当に苦痛なのだが、
それでも当時のフォロワーは私の拙いりっちゃんの絵を沢山褒めてくれて、色んな人がふぁぼ(今の「いいね」)を押してくれた。

この時、私がうっかり流行のジャンルにハマらず、またTwitterで私を沢山ヨイショしてくれたフォロワーの人達に出会えていなければ、今日まで絵を描き続けていなかったのではないかと思う。

過渡期 | ~そうだ、オフ会に行こう~

また、この時期は本当に仲がいいフォロワーが何人かいて、住んでいる場所はバラバラの他府県だったけれど、
よく集まってカラオケにいったりユニバにいったり、家に招いてお泊まり会をしたりしていた。

だがそもそも、当時なら中学3年生~高校1年生の娘がネットで出会った友達に会うために他県に出かけようとしたら、その親はかなりの確率でそれを止めようとするだろう。

親からすれば素性も分からない人間に会いに行って娘がどんな犯罪に巻き込まれるかも分からないとかなり心配するだろうし、当然の話だ。

私の母親も実際、最初に「Twitterの友達に会いに行きたい」と説明した時はかなり難色を示していた。

しかし私はまたここで幸運を掴んでいた。
それは、私がTwitterで垢分けが出来ない人間だったことに起因する幸運だった。

これは現在でもそうだが、私にはアカウントを分けてフォロワーごとにコンテンツを振り分けて流す作業が苦手だ。

というか、意識すればやれんことはないが途中で面倒くさくなり、
結局ひとつのアカウントでごっちゃに色んな趣味の話をしてしまう。

だから、当時の私が「けいおん!」の話をしていたTwitterアカウントは、リア友に登録させられたあのアカウントのままだったのだ。
あの時は身内がだいたいオタクだったし、オタクではない人間に対しては「Twitter教えて」と言われても「やってない」と嘘をついていた。

そんな私の面倒臭がりが幸いして、いつしか私と私のリア友の共通のフォロワーが数人爆誕し、そのグループで異様なほど仲良くなっていったのだ。

だから、あの頃の私がフォロワーに会いにいく時は大抵、1人ではなくリア友と一緒に行くことができたし、
基本的に複数人で知り合うことで、「初対面だが身内の顔見知り」という関係の中でコミュニティを広げていくことができた。

親も「それなら…」と渋々認めてくれたし、いつの間にか「●●(フォロワー)と遊んでくるね」と言ったら「また家にも呼んであげて」とか言い出す始末である。(本当に呼んだ)

ただ、やはりジャンルが一応萌えアニメの系統なので、仲の良いフォロワーの中には年上の男の人も複数人いた。
そこで若干いざこざがあったりもしたのだが、
フォロワーの多くが未成年を守ってくれる立場の大人(男女問わず)だったので、未成年の私は特に身の危険を感じるようなこともなく、楽しませてもらっていた。大変ありがたいことだ。

ちなみにフォロワー同士がオフ会で出会ってマジで結婚するというおめでたにも遭遇した。タイムラインのみんなでめちゃくちゃ祝福した。

まとめ

ここまでの、私のTwitterライフ(推定2010年〜2012年)を総括すると

▪︎友達に半ば無理やり登録させられてTwitter開設
▪︎「けいおん!」のおかげで愉快なフォロワーに恵まれる
▪︎絵を描くタイプのツイッタラーとしての自我が芽生える

▪︎リア友(オタク)を巻き込みながらオフ会参戦

といった具合だろうか。

この時点の私は単純にTwitterを楽しんでいたし、
「140文字以内で文章を組み立てる面白さ」だったり、
創作の楽しさ」だったり
「Twitterを介したコミュニケーションの取り方」だったり
を学んでいたと思う。

因みに、時を同じくして私は、
「けいおん!」のツイートが見たいがためにフォローしていた憧れの人が頻繁に呟く「平沢進」という人物にうっかり興味を持ってしまったがために、今後の人生を狂わされていくのだった(2011年:祝 馬骨デビュー)
この話はいずれまたどこかでしたいなと思っている。

思ったよりも長くなりそうなので、
後編に続く。。

*6/25追記
後編にたどり着く前に中編が出来上がってしまいました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?