ムーンショット目標をみて 2

30年後、人間は肉体を持たない存在になるらしい。しかし、人類全員がその存在になれるとは思わない。また、その存在になりたくない人もいるだろう。肉体の有無で世界は二つに割れる。肉体を持つ者と持たない者。私はどちらになるのだろうか。

まず、肉体を持たない者になった場合、どのような生活になるのか。

私はアニメをみたり、オンラインゲームをしたりして、自分がアバターの存在になったらという妄想を幾度となくしてきた。つまり、何となくではあるが、イメージというものはある。理想の年齢、種族、性別、体型、顔立ちを設定し、食事、睡眠を必要としない存在なのだろうと思う。肉体がないのだから、物理的な病気になることもなくなるはずだ。それはもう不老不死と言っても良いのではないだろうか。

では、29年後に生まれ、1歳で肉体を持たない者になった場合、どのような育児になるのだろう。肉体を持たないアバターの存在なのだから、本人に立ち上がって走るという思考があれば、すぐに走れるはずだ。何なら3歳にもなれば、理想や夢を考えることができるようになる。3歳にして、17歳の見た目にアバターを変換することもできるだろう。

また、肉体を持たない者同士で子供作ることは出来るのだろうか。新しいアバターを生み出すことができる施設に行き、夫婦の理想を伝え、データを作ってもらうのだろうか。それは本当に自分の子供と言えるのだろうか。

そして、死ぬことは出来るのだろうか。自らデータを消すことは出来るかもしれない。痛みもなく、永遠に世界からログアウトすることが出来る。それ以外の死に方を私は考えることができなかった。誰も死ぬことのない世界の誕生である。

話は反れたが、肉体を持たない者になった場合、私はどんな生活になるのか、改めて考えてみようと思う。

肉体を持たない世界であったとしても、通貨は必要だろう。その通貨は「円」なのか、それとも世界共通通貨が生まれるのか、それはわからないが、働くことで得ることができるはずだ。食事も睡眠も必要がない者たちへどのようなサービスを提供することができるのか。私は私の中からアイデアを引き出さなければならない。

働くこともなく、ただ、好きなことを好きなだけできる世界になるのかもしれない、と一度は考えたが、そんなことはありえない。データを保持管理するためにはエネルギーが必要で、大きいデータになれば、よりエネルギーが必要だ。つまり、大きい家を建てるための敷地には保持管理費用が必要になるし、アバターが着る洋服をたくさん揃えれば、やはり保持管理費用が増える。スマートフォンと同じで、自由に使える容量をお金で買うことになるのだろうと思う。逆に言えば、自分が保持してる容量内であれば、好きなことを自由に行うことはできるかもしれない。

さて、その使用できる容量はいくらで取引されるのだろうか。おそらくは私が手に入れることのできない金額なのだろうということは想像できる。つまり、私を始め、一般庶民は肉体を持たない者になることはできないと予測している。これまでの妄想なんてほぼ無意味なのだ。

それでは次に、肉体を持つ者となった場合、どのような生活になるのか、を考えていこうと思う。


※これはエッセイであり、私が私の考えを認知するための雑記です。

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