ピンチヒッター、25番

今から4年前の夏。静岡は天城市にある、とあるドーム球場でのソフトボールの試合のできごと。

その試合は北は秋田から西は長崎まで、日本じゅうの高校男子ソフトボールチームや各県代表選抜チームが集う強化大会での一幕。

2点リードを守る我方は5回裏1死1、2塁のピンチで打順は9番。それまでスコアラーをしていた選手がいそいそ準備を始める。相手の監督がバックネット裏の大会運営に「ピンチヒッター、25番」とコールすると、その選手はやる気満々といった具合にバットを振り回し打席に向かう。相手ベンチも沸き立つ。

スコアラー用の机に隠れていた部分がよく見えた。

最晩年のヤクルト真中の風格を纏う下っ腹には強打者の象徴25番。構えはオープンスタンス。

代打の切り札のお出ましか、とばかりに投じたチェンジアップは─────────



コツン、と小気味よい音を立て一塁方向へ綺麗に転がった。難なく送りバントを決めた25番は、この"奇襲"をお膳立てしたベンチへ帰って行った。





話はさらに遡る。その25番という選手は高校1年生で投手であり、背番号も35を着けていた。

学年に3人いた投手の1人であったが、球が速いワケでもないのにコントロールが悪かった彼はグングン成長する2人の投手から秋頃には半ばブルペン捕手の役割を強制されていた。そこから逃げるように、監督に相談して右翼手へと転向した。

しかし、ここでまた壁にぶち当たってしまう。

グラウンドの都合上、放課後の部活で西日が差す右翼手のポジションは非常に守り辛いものであったし、何よりこの特性が『言い訳』としか解釈されない環境・自身の境遇は厳しいものであった。

彼はチームのエースと個人的に仲が悪かった事もあり、同級生組の大多数を占めるエース一派と対立していた彼の肩身は狭いものであった。

スイングがドアスイングになっている癖にも気付かず、ここからも暗澹たる練習の日々を迎える事になる。

部活の試合に出るには監督へのアピールが必須であるが、こうなってくると人間どんどん追い詰められていくものである。

ホームスチール、バットを短く持つ、隙を突いた走塁等ありとあらゆる小技を監督に見せて「使える奴」アピールをした中で、辛うじてバントという一芸を手にした。

以降、強打の選手揃いというチーム事情もあり

チームでほぼ彼だけが犠打を積み重ねることになる。

肝心のスイングは修正を加えて前には飛ぶようになったが、せいぜい体格に似合わぬ単打が関の山であり、右翼手のポジションもそのうち後輩が優先して起用されるようになった。

そんなどん底の最後の春、彼はTwitterでとあるアカウントを見つけた。

『理想の打撃』と銘打つそのアカウントは自分の窮屈なスイングとは真反対で、豪快で、革新的なスイングを指導していた。

電気が走った彼は、残された2ヶ月の最後の悪あがきとして構えもスイングも刷新して部活に臨んだ。

ビヨンドバット(通常の硬いバットではなく、高反発のウレタンを芯に採用した言わば"飛ばすためのバット")を以てしても届かなかった所まで打球が飛ぶ。短期間の付け焼き刃的練習だが確かに手応えを掴み、最後の夏に挑んだ───────。


「ピンチヒッター、25番!」

続きます→https://note.com/atsugi_blue/n/nbd4abf56a65c



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