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Re:幸せは。

「世界中で起こっていることに対してあなたが思っていることを、採用試験用ではなく、飾らずに書いてください」
問題文だけが書かれた真っ白なA4用紙一枚が渡された。
就職活動を進めていく中で、この会社は特にユニークな会社であることは自覚していたが少しだけびっくりした。けれど、そんなに度肝を抜かれるほどでもなかったので、淡々と書き進めた。その時書いたものを思い出せるまでに。一部省略はしてるけど。

「私はジェンダー問題に関心を寄せています。
近日、同性婚を認めないことに違憲判断が下されたことが話題です。このことは日本にとっては大きな前進であると私は感じました。なぜなら、「子どもが産める・産めない」などといったことで愛に貴賤はないと思っているからです。誰かのことを好きになる気持ちに、誰かのことを愛する気持ちには、いかなる状況においても優劣がつけられることがあってはならないと考えています。東京レインボープライド2019に登壇した青山テルマさんの言葉にこういうものがあります。『自分の愛したい人、それを大事にするのが一番のプライドやと思ってる。自分が愛したい人、自分が大切にしたいものを大切にすることが一番のプライドだ』自分が大切なものに、大切だと胸を張って言える世界になることを切に願っています。」

私としては100点満点、いいや、120点の出来だった。15分という限られた時間の中でよくもここまで引き出しを開けれたなあと自分でも感心している。ここまで悔いなく書けば、思い残すことはない。採用するか否かは先方が決めることだ。

シューカツ、を進めていると、自分の価値観と対話する時間が増える。
「あなたの会社選びの軸は?」「人生で成し遂げたい事は?」
「あなたが幸せと感じる事は?」「あなたの強みは?」
「人生で一番苦労した事は?」「大学で学んだ事は何?」

エントリーシートを埋めていく上でどれも欠かせない。
私はバカがつくほど正直で、嘘をつけないからどれも本当のことを書く。「人生で成し遂げたいこと」の中には「器の大きい人間になること」と明記し、そう思うに至った顧問との小競り合いまで事細かに飾らず書いた。「会社選びの軸」には私の等身大の夢を成し遂げるために必要そうな手段の有無を書いた。会社に合わせようとしたけれど結局それも長くは続かない。「人生で一番苦労したこと」には、風速20m/sの向かい風の逆境の中でも果敢に挑んで戦った高校時代の部活の話をノンフィクションで書き綴った。
これらの話を包み隠さず書くことが就活において正解かどうかはわからないし、会社によっては「青臭い」「世間知らずだ」といって不採用の烙印を押されるかもしれない。けれど、私はそれ以上書くことがないのだ。生きてきた以上のものは今更出てこないし、結局今いる自分と対話して出てきた答えが本当の答えなのだから、偽っても仕方がないのだ。人事の人は、それを見極めることでメシを食ってる。そんな人をたかだか学生アガリが欺こうなんてそのほうが到底訳のわからない話だと思っているのだ。


「就活が辛い」「就活が忙しい」
この言葉にとても辛辣な人や否定的な人は多数いるが、私は将来のことを決めているこの時間に悩んでいる事は当たり前の事だと思う。それだけ自分の人生に等身大でぶつかって戦おうとしている証拠だと思っているから、悩む事自体を否定する事はないと思うのだ。
「もっと自分が目標を持って生きていれば」
「もっといろんなことをしておけば」
そんな悲観的になる必要はない、むしろそんな時間はない。今ある武器をなんとか研いで、立ち向かっていくべきだと思うから。だからこそ、誰かとその痛みを共有する時間というものも生まれてくる。同じように就活をしている誰かだったり、将来の分岐点に立っている誰かと自分の価値観の話をする時間が嫌いじゃない。相手が何を大切にしているかに耳を傾ける事で、共感できる部分と共感できない部分を明確にしていくうちに、自分の大切にしたいものや大切にしてきたものが少しずつ見えてくる。それに、誰かが大切にしているものや大切にしてきたものが見えてくれば、どうすれば自分自身がその人のことを大切にできるかを考えることができる。その時間がたまらなく好きだ。自分のことも相手のことも大切にできる時間。win-winじゃん。例えその対話を重ねた上で書いたエントリーシートや履歴書が落とされたり、準備して臨んだ面接試験でいい結果が出なくても、私はこの時間を無駄と思う時は絶対にないと思う。

そうやって誰かや自分自身と対話を重ねてきた上でだんだん見えてきたのが「自分の幸せ」。なんのために就活してるんだ、と考えた時、シューカツ、なんてものは幸せになる手段の一つに違いないんだ。正直、シューカツしなくても人は死なないし、仕事だってある(選ばなければ)。それでもシューカツすることを選んだ私はきっと、働くということにきっとお金を稼ぐ、という意味以外があると思っているからだろう。そうでないならば、「条件が良くて楽に受かるところ」で機械的に検索して、そこを受ければいい話なのだ。そうしていないのにはきっと理由があるはずだ。その理由こそが、私が幸せになれる条件であるはずでもあるのだ。

この時にも書いていた。『自分の幸せは、自分で決めるんだ』と。
正解も不正解もない。
今現在、考えている私の幸せを少しだけまとめたいと思う。

①自分が生んだモノが褒められること
自分が作り出したモノが褒められること、私にとってはこれがこの上なく嬉しい。例えば写真。
「この前インスタに載せてた写真、めっちゃよかったよ!」
「あづあづにとってもらった写真めっちゃ好き!」
「あづあづにとって欲しい!」
写真をとってる時自体ももちろん楽しいけど、その写真を誰かに認めてもらえた時はたまらなく嬉しい。「あづあづは写真がうまいね」より、「あづあづの写真が好きだよ」の方が嬉しい。自分自身なんてものはずっと変わりゆくものだから、その時の自分、を褒められたとしてもなんだかそれは一時的で側面的な自分を褒められただけなような気がして、むしろ少しプレッシャーになる。「この人の前ではこういう自分であるべきなんだな」という蛇足な邪推までがセットになるからだ。けれど自分から生まれたものを褒めてくれた時は、今までの自分やそれを生み出すまでに経てきた自分も丸ごと肯定してもらえた気持ちになる。どんな些細な写真一枚を生み出すにも、余分だった自分、なんてものは存在しないからだ。失敗した自分も生意気だった自分も人を傷つけた自分も、全ての自分が感じてきたことがその瞬間に込められているから。例えば、今咲いている桜が綺麗と感じること一つだって中学時代の偏狭な自分を経た自分がいるからだし、あの時の自分がいなければ桜の美しさ一つだって感じ方が違ったことに間違いはない。綺麗だ、魅力的だ、と感じるものに心を寄せる事は、今まで生きてきた自分を全てぶつけることと等しいことだと私は思っている。自分の感じたことを表現することも全く同じだ。自分の分身でもある自分から生まれたものを愛してもらえる事は、自分自身を愛してもらうことに等しい。これはこの上ない幸せだと私は感じています。

②選択肢が多いこと
私は、自分が何かの岐路に立たされた時、選択肢が多いことの方が幸せだ。もちろん、その中から選び出す事はいいことばかりではないし楽なことではない。選ぼうとすれば迷うし、何かを選ぶという事は何かを捨てるということでもあるのだ。それでも、自分の人生の舵は自分で取り続けたいし、決まり切った航路を進むよりも自分の気分で自由気ままに行き先を決めたい。その行き先の候補は多い方が楽しいし、例え結果的に選ばなかった候補だったとしても、自分で選ばなかったのと、選ぶことができなかったのでは意味合いは全く違う。苦しさや痛みがあったとしても、自分で決めて進むことは、自分で自分に責任を持って生きることができる唯一の手段だと思う。たくさんの選択肢の中からたった一つに絞る事を通してきっと自分のことを知る。自分のことを知りながら選んだ選択肢に胸を張れる事はきっと、喜ばしい事だと思う。前をみて胸を張って生きていける事は何よりも幸せな事だ。

③誰かと感情を分かち合う事
そんなに格好のいい事じゃなくてもいいから誰かと自分の気持ちを共有しあったり、誰かの抱えている荷物を一緒に持たせてもらえたりする事は、なんだか一緒に生きている実感ができて私は好きです。
「この時大変だったね」「今日のご飯はおいしかったね」「あれ本当にムカついた!」「これは辛かった…」正の感情も負の感情も、むしろ異なる感情をぶつけ合う事だって感情を分かち合う事に近いと思っている。同じ事柄に対しても抱く感情は人によって違うけれど、どのポイントがお互いの気持ちの回路の違いに気づかせることになったのかということをゆっくり考えていく事は、相手の輪郭を少しづつ捉えていく事だと思うし自分以外の誰かと生を共にしている事を感じられる行為だと思っています。自分じゃない何かを感じる事は、その存在価値を噛み締める事だと思うし、その存在の上で成り立っている自分の息吹すら感じられる意味深い事なんじゃないかなって思います。難しいことを書いてしまったけど、要は自分と自分じゃない何かの相補性を感じる事は誰かと一緒に生きる熱を感じられるから好きってコト。


ふう。エントリーシートを書いていても思うけど私は文章を書くことが嫌いじゃない。試験だからどうしても優劣が付けられてしまうことに息苦しさは覚えるけど、誰かに伝える事は自分を整理することと隣り合っているものだと感じます。


本当に自分が大切にしてきたものは何だろう。
これから大切にしていきたいものは何だろう。

生きていく上で、これを何度も何度も見つめ直すことが自分の輪郭を捉えていくということなんだと思う。自分と自分じゃないもの、自分じゃないものは自分にとって何?何に心が惹かれるの?ただただ流れゆく景色ではなくて、意味を与えていけるように生きていきたいと思う学生生活最後の一年が始まった1日です。





コジキなので恵んでください。