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nostalgic summer

最近マジめっちゃ暑くね?
そのくせして実家に
正月から一度も帰ってないから
半袖が今の家に3枚しかありません。
私は致命的に服に興味がないので
ほとんど同じ服を
激しいローテーションで回しています。
今日イオンに行って服を買おうと思ってたのに
気付いたらオートミールとコーヒー豆しか
買ってませんでした。
まずいとは思ってるんだけど
うまくいかないね。
今日は夏の始まりを感じた
夏のノスタルジーを書き出してみた。
マジで自己満投稿です(いつもだけど)

イオンは私の家から自転車を漕いで
約20分のところにあります。
坂道3つもあるんだけど頑張って漕いでます。
自転車を漕いでいるととにかく暑い。
視線の先には、田舎であるせいか
大きなビルとかがあんまりないから
自然と空が目に入る。
空もすっかり夏の色になってきた。
強い日差しで少し白んでいる空を見ると
自然と夏を感じる。
道路からの照り返しと
繰り返される登り坂のせいで
長袖のスポーツジャケットは
汗で蒸れて張り付く。

けれど、
坂を登り切った先に見える風景に
結局満足してしまう自分が
どこかにいるのを否めない。
橋から望む海に完全に夏を感じた。
まだ5月なのに、と思う一方で
どこか夏の訪れにワクワクする自分がいる。
私は実は、
四季の中で一番夏が好きなのです。
夏って、
何にもない日さえ特別にしてくれて、
思い返した時にエモーショナルに浸れる
魔法をかけてくれているような気がしている。

教室で、一人だけの心で感じる夏。
もう今は
同じように感じることはできないけど、
なぜかあの瞬間は
私にとって特別だった気がする。
蒸し暑さにうんざりしながら
教室に座っていると
いつの間にかセミが鳴いていることに
気付いたりする。
それを聞いて「梅雨が終わる!」
と胸を弾ませたり。
窓から入ってくる日差しの角度が 
少しずつ変わっていることに気付いたり。
扇風機の風のおかげでめくれてしまう
自分のノートにイライラしたり。
中学校にはクーラーがなかったから
窓を全開にして受ける授業が
なんとなく好きだった。
頬を撫でる風が心地いいのか悪いのか
わからない蒸し暑さに
複雑な気持ちを覚えることは、
クーラーが備え付けられた教室では
体験することができないのだ。
不快さすら、思い出に変えてしまう夏は
まさに魔物なんじゃないだろうか。
やっぱり私たちは夏という魔法にかけられる。

午前中で補習が終わって、
午後からの部活の練習のために
高校の真横にあるスーパーに
アイスを買いに行く。
確か日曜と木曜はアイスが半額だった。
ビスケットサンドばかり食ってた。
暑いのに。
もっとさっぱりしたもの食えよ。
水路のすぐそばの狭い道で、
水音をBGMにして木陰を抜けつつ、
おしゃべりしながらアイスを食べる。
「時計の針が270度を回るまで練習。
やばくないすか」
絶望しながら食べるアイスも
悪くなかったと思うが
多分今しかそうは思えない。

中学校の渡廊下にあった
ウォータークーラーで
虹を作る遊び。
ウォータークーラーのことを
「ウォークー」とかいう
信じらんねえくらい
ダッセェ略しかたしてた。
これ誰か共感者いる?
マジで中学生の時は
考えらんないくらいバカだったから
ヤンキーと一緒の遊びをしていた。
口に含んだ水を思いっきり
ぶしゃあああああっっっっっ!
って出して「霧吹き!!!!!」
とか平気でやってた。
若気の至りにもほどがありすぎる。
水の放出口を押さえたままペダルを踏んで
3秒後くらいに手を話すと水の飛距離がめっちゃ伸びる遊びを
「噴水」とかいう訳わっかんねえ
名前つけた遊びもみんなでしてた。
学年主任にめっちゃ怒られた。ごめんなさい。
部活終わりになぜか
ビッチョビチョになりながら水遊びしてた。
部活Tシャツに体操服の短パンだから
怖いものなしだったんよね。
そんなくだらないことが
バカみたいに楽しかった。

ウォータークーラーがある渡り廊下は
見事に桜の木とすずかけの木が植ってた。
思い返した時、あの場所の記憶には
綺麗な鮮やかな若草が滲む。
あの頃考えもしなかったけど、
追想したときにこんなにも
緑が綺麗に記憶の中で残るなんて
思ってもなかった。
学校にたくさん木が植ってることって
悪くないんだなって
思い出してみて初めて思った。
あの時、誰かは忘れてしまったけど
植っている木の名前を教えてくれた
先生にも感謝している。
思い出の中にある植物の名前を
知っていることは、
いつかどこかで同じものに
出会えるように
導いてくれるような気がしている。
蚊とか毛虫いてあの時は
「けっ」って思ってたけど。

通学路で練習終わりの尽きないおしゃべり。
蚊にめっちゃ噛まれてんのに
なぜか尽きない話。
少し眩しいくらいの
真っ赤な夕陽の中で話してたのに
気づけば少し湿っぽくて
薄暗い空気に包まれている。
7月に入れば阿波踊りのぞめきを耳に
少し先の夏休みに思いをはせて
自転車を漕いでた。

午前中で部活の練習が終わった日の
夏休みの午後。
死ぬほど暑いのに
なぜか5キロくらい離れた古本屋に
意味もなく行ってた。
太くて大きな川を
超えるために長い長い坂になった橋を
立ち漕ぎで汗だくになりながら
一生懸命登っていく。
あの時も
やっぱり服が蒸れて汗で張り付いてた。
あの時は、
橋の上からの川の様子を見るために
自転車を漕ぐのを一度やめて、
自転車を少し端に寄せて
ドラックストアで買ったジュースを飲んでた。
橋の上だから風が強くて気持ちいい。
汗が冷えていく感じが
ものすごく心地よかった。
そこからまた、
長い下り坂をすごいスピードで下りる。
気分を味わうために正方形のipod nanoで
ゆずの夏色聞いてたな。

球技大会。
尋常じゃない暑さと
熱気と湿気に包まれた体育館。
私は文化部だったから
それがあんまり好きじゃなかった。
ので、一人教室の窓際で
スラムダンク読んでた。
貸してくれた人ありがとう。
マイペースと自分勝手の狭間を歩いてた
高校生だった。

文化祭。
緊張やら熱気やら単なる暑さやらで
掌まで汗でいっぱいだった。
コンクールやら受験勉強やらに追われながら
バンドメンバーで集まって
なんとか形にした曲は
決して上手ではなかったけど 
私にとっては十分青春パンクだった。
アジカンのソラニンだったり
BUMPの天体観測だったり
flumpoolの君に届けだったり。
前夜祭でのバンド演奏が終わった直後の
次の日の吹奏楽部の演奏のための練習中、
とんでもない喉の渇きに耐えられず
管楽器のチューニング中抜け出して
汗だくになりながら自販機の前で
即飲みしたマッチの全身に染み渡ること。
さいっこうに夏を感じてた。 

夏休みの絵の宿題。
部屋が汚れるのがいやだから
駐車場で書いてた。
テキトーにひまわりに水をやる絵を
下書きなしで描いて
「水と緑」とか言ってた狂い様。
私はもう中学生だったんだけど
まだ小学生だった弟が描いた絵と
ばあちゃんに間違えられました。


日常に潜んでた夏を探していると、
人間、案外しょうもないことで夏を感じてる。

夕方5時の蚊取り線香の匂い、
体育のあとのシーブリーズ臭い教室、
セミの鳴き声で煩い授業中、
生温くなったペットボトルのジュース、
プールのあとの眠さ、
日焼け止めの匂い、
教室でうだるみんなの姿。

今年の夏は旅行もできないし、
夏の風物詩である夏祭りもない。
けれど、
私にとっては一度しかない
20歳の夏に変わりはないのだ。

行事がなくたって味わえる夏を
今だからこそいっぱい探したい。
ガリガリ君を買い食いしたっていいし、
近所のきったない砂浜で
手持ち花火するのだって魅力的だ。
あてもなく夏の夜を散歩したっていい。
コンビニで買った缶チューハイを片手に
ベランダで蚊取り線香の匂いを嗅ぎながら
夜風に当たりながらくだらないことを
考える夏だって悪くない。
夏っぽい風景を写真に残すことも、
20歳の今の私の
ものの見え方を残すって考えたら旅行より
ロマンに溢れる何かが生まれるかもしれない。

ノスタルジーなんてものは
非日常からは生まれないんだ。
きっと退屈げな、
それであってどこか尊い日常にこそ生まれる。

夏のバケットリストを作ってみようか。
今しかできない、今しか見えない何かを
「希望」という形で残してみるのも悪くない。
「この夏やりたいこと」だって
十分「20歳の私の夏」の
代名詞にだってなりうる。
今年の夏のバケットリストは
旅行や夏フェスよりも
きっと実現しやすそうな、
日常に親しいものに溢れるはず。
日常を意識して作ってみる、
こんなエモーショナルなことができるんだ。
うまくいけば、未来の自分に
特別なノスタルジーをプレゼントできる。

そう思えば、悲観なんて必要なく思える。

くつざわさんのブログに触発されて、
こんな記事を描いてみた5月の夜でした。

#夏休み #エッセイ

コジキなので恵んでください。