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会社より家がしんどい「家庭の職場化」はなぜ起こるのか?解決方法は?

こんにちは。

家にいるより会社にいた方が疲れない。

子どもはかわいいけど、終わりのない家事や育児よりも会社で仕事をしていた方が心が落ち着く。

そんなことを考えたことはありませんか?

ぼくはあります。

「くつろぎ」「癒し」の象徴と思われていた家庭よりも、会社での仕事の方が癒しになっている。

そして、家での果てしない家事や育児にうんざりし、それではやらなきゃならないからやっている。

そんな「家庭の職場化」はなぜ起こるのか?

そして、どうやって解決したらいいのか、考えてみようと思います。

性別分業社会における家庭と仕事

性別分業社会と呼ばれ、妻は家庭、男は仕事と、性別によって役割が別れていた時代は、家庭は憩いの場でした。

会社でどんなに辛い仕事があっても(リゲインの「24時間働けますか?」の時代ですね)、家に帰れば妻と子どもが待っている。


これは1989年のCMですけど、下の2007年のCMもたいがいですね。電車遅れで会社までダッシュして、窓を突き破って会議に飛び込むって・・・

https://www.youtube.com/watch?v=CUYsSz-Q-E8

そして、妻も稼ぎは男が担保してくれるので、家庭内の無償労働(家事・育児など)やそのほかの細かな家庭内の仕事を行う時間がありました。

また、3世帯で暮らす家族も多かったため、育児の負担もある程度は緩和されていました。

ちょっと、第二次世界大戦後の日本の歴史を、家庭の視点から振り返ってみようと思います。(ソースは厚生労働省の厚生労働白書です)

昭和30年代に日本は高度経済成長と呼ばれるタイミングに入り、第二次ベビーブームもあって、人口とGDPがグッと上がって行きました。

「もはや戦後ではない」という有名なセリフも、昭和31年に生まれました。昭和30年に国民一人当たりの実質国民総生産(GNP)が戦後の水準を上回ったからです。

昭和30年代には、3世帯家族も多かったそうでで、サザエさんみたいな家族があちこちにいたんでしょうね。

ちなみに、サザエさんのテレビアニメがスタートしたのは昭和44年(1969年)ですので、まさに日本の高度経済成長時期に重なります。

サザエさんもフネさんも働かず、主婦として磯野家を切り盛りしていますよね?

一方で、波平とマスオさんは会社でバリバリ働いていて、家に帰れば家族揃って、あの丸いちゃぶ台を囲んで夕飯を食べています。

波平は54歳ですから、それなりのポジションにいるんでしょうけれど、それでも夕飯時に家にいれるのですから、過度な残業などはなかったんでしょうね。

当時は、家族全員が同じ時間に夕飯を食べられるのが日常だったってことですね。

それができるのも、サザエさんとフネさんが家庭内の労働をきっちりやってくれていたからであり、そして、それはつまり、それらをきっちり「やれるだけの時間があった」ということです。

だからこそ、波平は茶の間でゆっくり楽しんだり、家庭でくつろいだりできるわけです。

性別分業社会のイメージは、サザエさんの家庭のイメージしてもらえれば分かりやすいと思います。

この時代(昭和30年代)は、家庭と仕事がはっきりと別れていて、「家庭は憩いの場」「会社はお金を稼ぐ場所」という意味合いでとらえられていました。

ですが、核家族化はじんわりと進んでおり、1960年代に急激に上昇し、1963年(昭和38年)には流行語となったほどでした。

そして、1975年(昭和50年)には日本の核家族率は64%に達し、ここをピークにその後はほぼ変わらない推移をたどっています。2005年のデータでも核家族率は57.9%でした。

ということは、戦後の期間だけで考えると、サザエさん的な家族構成が一般的だったのは、「もはや戦後は終わった」と呼ばれた昭和31年頃から、核家族がピークに達する昭和50年頃までの、わずか20年間の出来事だったというわけです。

昭和60年代から共働き世帯が増加していきますので、長くみても昭和31年から昭和60年頃までの約30年間が、戦後の性別分業社会の期間だったということですね。

今でも「男は仕事」「女は家事」みたいなセリフを言っているのは、この時代に働き盛りだった世代が多いですね。

50代以降の世代ですかね。人数的にも多いので意見としてどうしても目につきやすいんでしょうね。

この「ポテサラじじい」もそうですね。時代背景を考えると、「ポテサラじじい」が社会の中心を担っていた時代というのは、女性が家事をやりやすい時代だったんですよね。

なので、「ポテサラじじい」の時代では、女性が料理を作るのが一般的だったわけで、おそらく当時の女性がこのtweetを見たら、「え?手作りしないの?」と逆の意味で驚いた人が多いんじゃないかと思います。

ポテサラを作るだけの時間も余裕も、昭和40年代にはあったわけですから。

共働き社会における家庭と仕事

そして、時代は流れ、平成に入って一気に共働き世帯が増えていきます。

スクリーンショット 2020-07-11 22.02.40

(出典:独立行政法人 労働政策研究・研究機構

1996年ごろに、完全に共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回ります。

ただ、この頃はまだ女性の社会進出は本格的ではなく、パートで働く女性の方が多かったようです。

パートとは言え、専業主婦よりは家事に割ける時間は少なくなるわけで、昭和40年代(ポテサラじじいの全盛期)よりは、大変だったはずです。

また、この90年代末は「平成大不況」と呼ばれるとんでもない不景気が毎年のように続き、世紀末ということもあり、かなり世の中が不安定な時期でした。

この時期、ぼくは10代でしたが、酒鬼薔薇聖斗事件などの、同世代が犯人の事件が相次ぎ、なんだかキナ臭い時代になったなと思ったのを覚えています。

1990年代後半から共働き世帯が増えたのは、こういった不況の影響もあるかもしれません。

90年代のぼく個人の思い出ですが、やたら受験を重視する風潮があった気がしています。

「いい大学に入って、いい会社に入る」

ただ、それだけがこの世の正解だと。

まるで、呪文のように多くの大人たちがそんなことを口走っていました。

当時、中学生だったぼくは「うるさいな」としか思っていませんでしたが、1960年代以降の高度経済成長期に日本人の高学歴化が進み、学歴があることで仕事につきやすくなった背景があったのだと思います。

1960年から1970年代に社会で働いていた人間は、学歴によって収入の差がつき、収入の差が生活の豊かさに大きな影響を与えるのを目の当たりにしたはずです。

そして、自分の子供が生まれた1980年代に、自らの経験を教訓に子供に一生懸命「いい大学に入って、いい会社に入る」よう仕向けたのでしょう。

そして、時は流れ、2000年代に入り、親の望みのまま「いい大学に入っていい会社」に入った人間が現れます。

彼ら彼女が社内や、同類同士のコミュニティ(高学歴高収入)内で、いわゆる同類婚と呼ばれる結婚をするようになります。

それが「パワーカップル」の誕生です。

20代のうちに二人合わせた年収が1000万円を超えるカップルが生まれ始めます。

高い年収と仕事のやりがいを手放したくない多くの女性は、出産後、職場に復帰します。

そして、「家庭の職場化」が始まるのです。

専業主婦ならば、家にいる時間が長いので、家事育児に加えてクリーニングやら色々な支払いなどの家庭内の雑務もこなすことができました。

ですが、夫も妻も同じような条件で働くようになると、家庭にいる時間が減るため、そのような雑務ができず、家庭内の必要労働である家事や育児すらもままならない環境が生まれました。

家庭内の無償労働(家事・育児・雑務)は、仕事の片手間に行わなければならず、会社よりも家庭の方が業務遂行が難しいという、仕事と家庭の負担バランスの逆転が起こります。

ぼくもそうですが、小さい子供がいる夫婦にとって、家庭での無償労働よりも、会社での仕事の方が断然楽だと思っている人が多いはずです。

仕事には正解があり、業務を一緒に行う仲間がたくさんおり、仕事を休む時は他の人間に代理業務をお願いすることができます。

仕事がどうしても嫌ならば、その仕事を辞めて、他の会社に転職することもできます。

育児は「辞めて他のことをする」わけにいかないし、休む時には代理業務をお願いできる人は夫(or 妻)しかいません。

自分が家事をブラックボックス化してしまっている場合は、引き継ぎも難しく、普段からの夫婦の会話や一緒に過ごす時間、そしてどれだけ相手の家庭内の労働内容を把握しているかが重要になってきます。

その共有がうまくいっていないと、家庭内の労働をパートナーに引き継がせることができず、負担が片方にのしかかる一方です。

どうでしょう?

オフィスでの仕事より、家庭内の仕事の方がブラック企業の匂いがプンプンしますよね。

「家庭の職場化」が進むと、家庭がブラック企業化していくのです。

家事や育児をシッターなどにお願いすることも可能ですが、自治体が行う育児補助はIT化が遅れており、役所になんども行かねなければならなくて、働く夫婦にとって優しいものではありません。

では、使いやすい民間のベビーシッターサービスはどうかというと、1時間千円以上しますので、毎日気軽に頼めるものでもありません。

北欧の福祉先進国家の多くは、こういったサポートが公的サポートとして近いやすく、安価になっているため、育児や家事がしやすい環境が整っています。

アメリカが福祉体制は貧弱ですが、南米からの不法移民をベビーシッター代わりに使うという、アメリカならではの方法で「家庭の職場化」に対応しています。

ちなみに、不法移民のベビーシッターは暗黙の常識として認知されているそうで、政治家もシッターとして使っているそうです。

シッターとしては何か問題を起こしたら強制送還になるため、問題を起こせないという雇い主にとっては都合のいい条件でもあります。(逆にシッターが預かっている子供が事件に巻き込まれた場合など、不法移民のシッターが警察を呼ばないことで問題になっているようですが)

「家庭の職場化」によって何が起こるのか?

では、「家庭の職場化」によって何が起こるかですが、育児に積極的でない夫はますます家事育児を避けるようになり、家に寄り付かなくなります。

そして、妻の負担ばかりが増え、近いうちにセックスレスになります。

男の多くはセックスレスになって初めて、問題に気がつきます。

それまでは、実害がなかったのですが「セックスができない」という実害が発生することで、そこで初めて問題に気がつくわけです。

妻はどうかというと、家庭内労働の大きな負担によって夫を嫌うようになり、夫がいなくても家庭が回る仕組みを無意識のうちに作り上げます。

そして、家庭内の労働がブラックボックス化し、夫がますます家事育児に参加しづらい状況が生まれます。

一方で、夫が家事育児に積極的な場合は、前者ほどではないですが、それでも二人の負担は大きくなります。

家事に育児に雑務に忙しい日々を送っていると、完璧な1日を作るには、自分の時間がゼロになってしまうことに気がつきます。

子供の世話や家事をやっていると、一人でいる時間もないし、自分のためになにかをすることがまったくできなくなるのです。

そうすると、趣味や勉強の時間が作れず、人生の幅を広げるチャンスを失います。

転職やキャリアチェンジのために勉強したり、趣味を追求して仕事にしたりなどといった時間が作りづらくなるのです。

どうやって「家庭の職場化」に対処するのか?

では、どうやってそんな「家庭の職場化」に対処すればいいのでしょうか?

完璧な答えはぼくにもありませんが、考えてみました。

まず、我が家で発生している家庭の職場化で困っていることをまとめますね。

・毎日の夕飯を考えるのが辛い

・毎日の夕飯の片付けが辛い

・子供達を迎えに行き、夕飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけをして、風呂掃除をして、キッチンとリビングの片付けをすると、個人的なことをする時間がない(毎朝5時半〜6時半の間に子供達が起きるから夜更かしもできない)

・風呂のカビ取りなど、手間のかかる掃除をする時間がない

・休みの日に子供達を遊ばせる場所を考えるのが大変

・休みの日は子供達の相手で疲れ果てる

・家庭内雑務が多く、妻との会話が減る

次に考えられる解決策を書いてみます。

・毎日の夕飯を考えるのが辛い
⬇️
・決まったメニュー(簡単にできるもの)を定期的に作る
(ホットクックとヘルシオで時短)
・週に2回程度、宅食を使う
(子供達がいろんなものを食べられるようにするため、今は子供達が食べられるものを作りがち)

・毎日の夕飯の片付けが辛い
⬇️
・子供達が寝る前に片付けをすると、子供に呼ばれて中断するため終わらないから、妻が寝かしつけている間にやる
・できる限り使う食器の量を減らす

・子供達を保育園に迎えに行き、夕飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけをして、風呂掃除をして、キッチンとリビングの片付けをすると、個人的なことをする時間がない(毎朝5時半〜6時半の間に子供達が起きるから夜更かしもできない)
⬇️
・子供達を20時半までに寝室に入れる
(21時から22時までを個人の時間にすれば、22時から6時半まで8時間半寝れる。睡眠をこれくらい取らないと倒れそうになるくらい疲れやすい)

・風呂のカビ取りなど、手間のかかる掃除をする時間がない
⬇️
・プロの掃除業者に年に一回、掃除をお願いする
(今年から依頼予定で、8月にお願いする予定)

・休みの日に子供達を遊ばせる場所を考えるのが大変
⬇️
・春ならここ、夏ならここ、秋ならここ、冬ならここと、行く場所をいくつか作っておく
・季節ごとに、晴れならここ、雨ならここと、さらに細分化する
・それらを紙に書いて冷蔵庫に貼っておく

・休みの日は子供達の相手で疲れ果てる
⬇️
・寝不足にならないよう、休みの前日は通常よりも早めに寝る
・定期的に運動をして疲れにくい体を作る
・たまにファミサポやベビーシッターを使って子供の相手を外注する

・家庭内雑務が多く、妻との会話が減る
⬇️
・ちょっとでも時間ができれば、妻と会話をするように気をつける

ババーっと書いてみましたが、よく考えたらほとんど妻と話して決めたことばかりでした。

逆に言うと、妻と話し合うことがなければ、これらの問題は解決されることはないと思います。

うちの場合は、「こんなことが辛い」「だからこうしたい」というのを、よく夫婦で話し合っていて、その話の中で、風呂をプロに掃除してもらうとか、宅食を週に二回頼もうとかが決まりました。

休みの日にどこに行くかも、その日の夕飯までをどうデザインするかも、妻と話し合って決めています。

思うに、家庭の職場化に対処するためには、いくつもの方法がありますが、夫婦が同じ方向を見ていないと、どれも失敗する気がします。

「え?お金かかるじゃん」

とか

「それ逆にめんどくさくない?」

とか、どちらかに反対されて、片方が「じゃー、もういいよ!」なんてことになりそうな気がしてます。

夫婦が同じ課題を共有して、それの重要性を認識していれば、解決方法も一緒に考えるようになるし、相手の言うことを尊重するようになる気がします。

妻と話をしていて(それはどうなんだろ?)と思う時もたまにありますが、ぼくは自分がそんな気持ちになっていることに気がついたら、むしろ妻の言う通りにするようにしています。

うまく行くか行かないかはやってみないとわからないし、頑張って考えている妻の気持ちを踏みにじりたくないし、自分には見えていない視点が妻には見えていることもあるし。

お互いがお互いを信用して、同じ方向をみて、一緒に課題解決に向けて動いていくのが、「家庭の職場化」を防ぐ根本的な対策なのかもしれません。

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