作ること、生きること。
なにかを作った経験はありますか?
文章、イラスト、音楽、音声、もしくは料理や日曜大工。
そういった創作活動をされていますか?
ぼくも、このnoteやニュースレターやポッドキャストを「作って」います。
昨日、イラスト制作をされているふるりさん、かもめさん、ミワカモさんとポッドキャスト収録をしたのですが、そのときにとても印象に残った言葉がありました。
自分の再発見、世界との接点。
クリエイティヴ制作は、この2つに集約されるんじゃないかと思うんです。
あ、自分はこんなとこにいたんだ。
社会人になったばかりの頃、仕事はきつかったですが(呉服屋だったので街中の家を訪問しまくってました)、刺激も感じていました。
先輩たちとの出会い、お客さんとの出会い、上達していくスキル、どれもがワクワクする体験の連続でした。
その後、呉服屋は倒産し、いくつもの転職を経てまったくの別業界でぼくは10年以上働いています。
新しい出会いは特になく、刺激も薄れ、トラブル対応が多い嵐のような日々をやり過ごす毎日です。
40代になると社内における自分の未来も見えてきますよね。
せいぜい部長止まりかな、それも早くて5年、遅くて10年後かな。でももしかしたら、あの人のように課長で終わるかもな。
自分の未来がうっすら見えるというのはそら恐ろしいもので、薄くなりかけた髪を見て絶望するのに近いです。
人生の終着地点が見えてきた。21歳の時には想像すらできなかった、あまりにも地味な未来が。
えぐられた自尊心と絶望が窓際社員を作るのだと思います。若い頃はやる気のないおっさんにイライラしてましたが、今では生暖かい眼差しに変わりました。
うんうん、わかるよ。わかる。やる気もなくすよね。
だって、あなたはいま50歳。あと5年で役職定年。役員はおろか部長にもなれずサラリーマン人生が終わる。
役職給は消え、給与はいままでの60%にまで減る。定年を迎えるその日まで、新人でもできる雑用をこなす毎日。どれだけ実績を積んでも昇給も昇進もない。
ただただ、生きる屍のように毎日を過ごすのみ。
わかるよ、わかる。そりゃ、やる気も起こんないよね。
与えられたパソコンを叩き、与えられたコーヒーを飲み、ペット用自動餌やり機から投げ出される餌のように降ってくる仕事をただこなすだけ。
面白くもなんともないよね。生きる理由だって失いそう。
ぼくだって10年後にはそうなる可能性がめちゃくちゃあります。
誰かが作った会社で、誰かが作った仕事を回していく。プラスチックの皿を棒の先端に乗せ、ひたすら回す作業のように。皿が落ちたら拾い上げ、また回し続ける。
「おつかれさん、もういいよ」
と、肩を叩かれるその日まで。
ぼくは倒産とクビをいくつも経験したので、余計にそう思うのかもしれません。
呉服屋は不祥事で倒産し(会長はシンガポールに高飛び)、その後に働いた会社では2回クビになっています。
会社という得体の知れない存在の都合で、簡単に人生が変わる。そんな刷り込みがされたのかなと。
ぼくには正気を失いそうになる日々をサバイブするために、自分という存在を知り、受け止める作業が必要だったのです。
ブログに思いを書き綴り、マイクに向かって喋り続け、自分という存在を削り出していく。
会社という皮に包まれた木材を削り、本来の自分の姿を削り出していく。ノコギリで切り、カンナで削り、サンドペーパーで磨き上げていく。
できあがったものをみて、こう思う。
ああ、こんなところに自分はいたんだ、と。
ぼくにとってブログと音声はそういったものでした。
自分自身の再発見。
本来の自分自身を見つける旅。誰かのためといいながら、実は自分自身を見つけるための道のりだったのかなと。
そして、クリエイティヴ制作におけるもう一つの真理。それが世界との接点です。
世界との接点
会社員としての人生フィールドはとても限られています。
日中は仕事に忙殺され、他のことを考える余裕はなく、仕事外の活動をするエネルギーなんて湧いてきません。
人との出会いもその業界内に限られますよね。
だけど、本当の世の中ってもっと広いですよね?
「所属する企業やその業界が世界のすべて」のように錯覚しがちですが、そんなことはないはずです。
ぼくはポッドキャストを始めたおかげで、活動フィールドがギュインと音を立てて広がりました。
心理士さん、起業家、社会活動家、それから夫婦の悩みを抱えるたくさんの人々。
ポッドキャストを始めなければ出会えなかった人ばかり。5年前のあの日、スマホに向かって喋り始めなければ、今頃ぼくはどこでどうしてるのか想像もできません。
こないだある方とお会いした時、名刺をいただいたんです。ぼくは本業の名刺しか持っていないので、それをお渡ししたんですが、ものすごい違和感を感じたんですね。
ああ、この名刺、ここでは何の意味もないなって。
なぜなら、その名刺は彼らにとってぼくを説明するものになっていないからです。
「夫婦関係学ラジオ パーソナリティ アツ」
彼らはその名前でぼくを認識してくれているからです。
ぼくにとって、世界とつながるときの名前は本業の会社名ではなく、ぼくの本名ですらなく「アツ」なのです。
この名前が、ぼくが世界と接するときの名前となった。
夫婦関係学ラジオはぼくに世界との接点を与えてくれた。もはや、ぼくにとっての世界は会社ではなく、「アツ」として関わるものへと変わったんです。
「アツ」として心理士さんと接することで臨床心理の世界に触れ、「アツ」として起業家と接することでパートナーシップ業界に触れ、「アツ」として相談者さんと接することで夫婦の深淵に触れられる。
「アツ」という名前によって、いくつもの世界の扉を開くことができる。
これこそがクリエイティヴ活動における真理であり醍醐味だなって、思うんです。
ふるりさん、かもめさん、ミワカモさんとの対談の公開は少し先になりますが、こんな記事を書かずにいられないくらい刺激的なお話でした。公開をもう少しお待ちください。
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