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「幸せの象徴」と「現実の幸せ」
「ねぇ、あっちゃんにとって幸せの象徴ってなに?」
布団に入り、夢の世界にまどろんでいると、隣から妻の声が聞こえてきた。
「し、しあわせのしょうちょう?」
「そう、幸せの象徴。これがあればしあわせーってやつ」
「美味しいタラコスパゲティをお腹いっぱい食べることかな。あと、アボカドとトマトと鶏肉とキノコにオリーブオイルと塩をかけた焼きスープかな」
夢の世界に体の半分が行っていたぼくは、寝ぼけながら妻にそう答えると、いつの間にか寝ていた。
「そうじゃないー...!」という妻の声がかすかに聞こえていた。
◇
「昨日の幸せの象徴の話だけどね」
翌日のお昼、妻が作ってくれたご飯を食べようとフォークを持ったとき、妻がぼくに話しかけてきた。
「うん」
その日、ぼくはテレワークで、妻は午後から出勤だった。
妻の仕事はいつも午後からのため、ぼくがテレワークの日で会議が長引かないときは、かならず二人でお昼ご飯を食べるようにしている。
「『恋する妻たち』ってドラマがアマプラであってね、そこに出てくる人がこう言うの」
IKEAのカラフルな黄色のプラカップに注がれた水を飲みながら、ぼくは妻の話に耳を傾けた。
黄色のカップは3歳の三男専用だけど、彼は今保育園に行っている。
「『あたし、犬を飼うのが幸せの象徴だったの』って、ある女の人が言うのね」
「え?犬を飼うのが?」と言いながら、白カビチーズと生ハム(先週末、妻とお酒を飲んだ時の残り。30%引きだった)とレタスのサラダをぼくはフォークでつついた。
「そう、犬を飼えば幸せになれるというか、犬を飼うっていう行為が『幸せ』そのものだと今まで思っていたんだって。
でも、犬を飼うのって思ってたのと違かったりするわけじゃない?世話も大変だしさ」
妻は子どもの頃、犬を飼っていて一緒に布団に入れるくらい可愛がっていたことをぼくは思い出した。
「うんうん。思ってたのと違う!ってなりそうだよね」
ぼくが言葉を返すと、妻は少し目を大きく開き、嬉しそうに話し始めた。
「そうなのよ!あたしにとっての『幸せの象徴』って、すっごく天気がいい日にベランダで洗濯物が干されていて、それが風に揺られているってイメージなの」
キッチンの裏にある浴室から、ゴトンゴトンとドラム式洗濯乾燥機が回る音がいつもより大きく聞こえてくる。
「え?でも、うちって洗濯物干したことほとんどないよね?」
ぼくがそう言うと、妻は我が意を得たりといった顔で話し始めた。
「そう!だからこれって、ただの象徴でしかなくて、本当に幸せを感じるものではないわけよ。
お日様に照らせている洗濯物がハタハタと風に揺られているのを見ると、『あぁ、素敵な家庭なのかなぁ』なんて思ってたけど、実際洗濯なんて大変なわけじゃない?
それに、わたしたちに子どもがいない頃は、公園で小さな子どもを遊ばせている親子を見ては『あぁ、子どもがいれば幸せになれるのかなぁ』なんて考えてたけど、実際、子育てってすっごい大変なわけじゃない?
これって、ある種の「刷り込み」なのよね。これがあれば幸せになれる!っていうね。
本当の幸せって、別のところにあるのよね。」
洗剤メーカーのCMみたいな真っ白いシーツが青空にはためいている様子を思い浮かべながら、ぼくは妻の話を聞いてうんうんうなずいた。
「確かにね、自分が『これがあれば幸せになれる!』って思うものと、本当に幸せを感じられるものって、別物なのかもしれないね」
「でしょ?というわけで、今日のランチはあなたが幸せの象徴といったタラコスパゲティです。タラコとバターだけで作ったけど、すっごい美味しいよ!」
ぼくらは妻の言葉に笑い、細長く刻まれた青紫蘇と白胡麻がたっぷり乗ったタラコスパゲティを、二人で一緒にお腹いっぱい食べたのでした。
(これだけは、幸せの象徴と現実の幸せがリンクしているな)と思いながら。
ふと、窓の外に目をやると、抜けるような秋空が広がり、となりの家の洗濯物が青空にはためいていた。
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