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「新しい生活様式」に感じた強い違和感

新型コロナウイルスの感染対策の長期化を見込み、政府の専門家会議から「新しい生活様式の実践例」という提言が出されました。

専門家会議によれば「新規感染者数が限定的となった地域であっても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していく必要がある。」のだそうです(参考)。

ただ、この提言を読んだとき、感染症予防のリスクのことしか考えておらず、他のリスクが無視されているような印象が否めないと感じました。

もっと言えば、そもそも専門家会議がこのように国民の生活をまったく変えてしまうようなこと(強い言い方をすれば「人権の制限」)を提言していい立場にあるのかについても疑問に思いました。

「新しい生活様式」の提言の構成

「新しい生活様式」の提言は次のように構成されています。

(1)一人ひとりの基本的感染対策
 ・感染防止の3つの基本
  ①身体的距離の確保
  ②マスクの着用
  ③手洗い
 ・移動に関する感染対策
(2)日常生活を営む上での基本的生活様式
(3)日常生活の各場面別の生活様式

 ・買い物
 ・娯楽、スポーツ等
 ・公共交通機関の利用
 ・食事
 ・冠婚葬祭などの親族行事
(4)働き方の新しいスタイル

提言の上で気になったところはたくさんありますが、自分が一番引っかかったのは(3)日常生活の各場面別の生活様式です。以下、気になったところを詳述していきたいと思います(思いついたままに書いています)。

「新しい生活様式」がもたらす別のリスク

○場面1:買い物

・通販も利用
・1人または少人数ですいた時間に
・電子決済の利用
・計画を立てて素早く済ます
・サンプルなど展示品への接触は控えめに
・レジに並ぶときは、前後にスペース

買い物の場面は「不要不急の外出」に含まれないという認識であり、外出を自粛している人にとってもリスクのある場面であると言えると思います。一人ひとりの心構えとして重要な指摘もあると思います。

ただ、例えば「通販も利用」という提言がいきなり出てきますが、運送業界の人手不足の問題を考えたとき、多くの国民が一斉に通販を使い出したらどうなるでしょうか。専門家会議の方が恐れている「医療崩壊」と似たような状況、いわば「運輸崩壊」が起こるのではないでしょうか。

電子決済の利用」というのも気になります。すべてのお店で電子決済が利用できるというわけではありません。対応していないお店は冷たい目にさらされる可能性があります。もっと言えば、電子決済にもデメリットはあります。トラブルの急増など起こらなければいいのですが......

○場面2:娯楽、スポーツ等

・公園はすいた時間、場所を選ぶ
・筋トレやヨガは自宅で動画を活用
・ジョギングは少人数で
・すれ違うときは距離をとるマナー
・予約制を利用してゆったりと
・狭い部屋での長居は無用
・歌や応援は、十分な距離かオンライン

外出自粛の中、娯楽やスポーツなどを生活の楽しみとする動きが盛んです。星野源さんの「うちで踊ろう」などが話題となるなど、多くのミュージシャンがいろいろな発信を試みています。音楽業界以外の動きも広がっているようです。娯楽やスポーツはこれからも大きな役割を果たすと思われます。

この場面の提言は他のリスクを高めるという観点からはそこまで気にならなかったのですが、一つだけ指摘しておくと「すれ違うときは距離をとるマナー」という文を読み、いつの間にか「人との(身体的)距離がマナーの問題になったのか」という印象をうけました。

これからは、恋人と手をつなぐこと等も「マナー違反」になるかもしれませんね。「マナー」は思わぬ方向にどんどん拡大されていくことが多い印象もありますし。そういえば、先日も「Zoomマナー」というのが話題になりました(参考)。「新たな生活様式」は新たなマナーも生むでしょうが、その第一歩が専門家会議の提言になるのかもしれません。

○場面3:公共交通機関の利用

・会話は控えめに
・混んでいる時間帯は避けて
・徒歩や自転車利用も併用する

「満員電車」の感染リスクの問題は感染の初期から多くの人が懸念してきました。最初は3密ではないという見解もありましたが、当然ながらリスクもある場所です。この提言はそんなことを意識しているように見えました。

会話は控えめに」というのは言いたいこととしては分かりますが、会話している人たちに注意してくる人(「自粛警察」ならぬ「会話警察」)みたいな人が出てきて、余計なトラブルを生むリスクは高まりそうです。また、痴漢行為があったときに声をあげにくくなる可能性や、スマホ依存を高める可能性(←会話の代替がスマホになる)もありそうです。

混んでいる時間帯は避けて」「徒歩や自転車利用も併用する」ことは、たとえば「自動車」利用が増加することで事故のリスクを高める可能性が大きいのではないかと危惧されます。ただ、「徒歩や自転車」の増加によって健康増進が起こるみたいな可能性も(もしかしたら)あるのかもしれません。

○場面4:食事

・持ち帰りや出前、デリバリーも
・屋外空間で気持ちよく
・大皿は避けて、料理は個々に
・対面ではなく横並びで座ろう
・料理に集中、おしゃべりは控えめに
・お酌、グラスやおちょこの回し飲みは避けて

正直なところ、今回の提言でいちばん気になったのが、この「食事」場面に関する提言でした。メディアの報道ではこの場面が大きく報道されている印象があります。

持ち帰りや出前、デリバリーも」という提言は、これまでに指摘した「運送業界の人手不足」「交通事故のリスク」という話題にそのまま関連します。例えば、最近流行している「UberEATS」については、労働問題がかねてから指摘されてきました。労災の問題などは多少是正されてきたと聞きますが、未だに深刻な問題があるといいます(参考)。こうしたサービスを国民が過度に利用することは「UberEATS」のもとで働かなければならない労働者をさらに苦しめる可能性があります。

対面ではなく横並びで座ろう」という提言は対面型のテーブルなどを使って営業している多くの飲食店を苦しめる可能性が高いのではないでしょうか。専門家会議がこのようなことを言えば、「横並びで座れるお店」を求める人が増えることは想像に難くありません。下手をすれば、座席が横並び型でないということがクレームになります。ただでさえ、閉店や赤字の危機にある飲食業界に対して、この「横並び」提言が与える負の影響は大きすぎるのではないでしょうか。

料理に集中、おしゃべりは控えめに」という提言も気になります。家庭内での食事において「おしゃべりを控えめ」にすることによる心理的な負担やストレスが大きくなる可能性は高いと思われます。また、会話を控えるという行動そのものが対人関係(家族関係など)に負の影響を及ぼす可能性もあるでしょう。「社会的つながり」感の剥奪の懸念が大きく、危なっかしい提言だという印象です。

○場面5:冠婚葬祭などの親族行事

・多人数での会食は避けて
・発熱やかぜの症状がある場合は参加しない

新型コロナ禍において「葬儀」の形が変わるという指摘はしばしば見てきました(参考)。日本はこうした行事を重んじる文化だったように思うので、親族行事も持続可能な形に変わっていく方向が模索されるのか、そもそも減っていくのか、今後の動向が気になるところです。この提言に関しては、ありきたりなことであり、他のリスクを高める可能性はあまり感じません。

専門家の責任と我々の人権

ところで、専門家会議とは別ですが、専門家有志の会が出していたnoteの記事で「#うちで治そう」というタグを撤回していたということがネット上で話題となりました。自宅待機を守っていた人の中に死者が出たという状況もあり、Twitterなどでは「専門家はどうやって責任をとるのか」といった声もありました。

ここで気になるのは、そもそも、なぜ専門家(会議)が「責任をとれ」と言われてしまうのかという問題です。専門家会議は本当に「責任」をとるべき立場なのでしょうか。

政治学者・牧原出は「本来、責任を負うべきは、専門家チームの提言を受けいれて政策を決定した内閣であり、首相」と指摘しています。

ただ、同時に「専門家たちが、あるときは天使、またあるときは悪魔とも呼ばれる、そんなぎりぎりの状況が続く。ある意味、『専門家支配』とでも言うべき政治状況」であり、「新型コロナ感染症の拡大当初から現在に至るまで、政権と専門家との関係があいまいなままになっている」から、このような状況になっていると指摘します。

牧原の記事では、専門家の責任を追及しようとする動きの根本を、安倍政権の対応の問題として捉えており、この見解には首肯します。ただ、今回の「新しい生活様式」の提言を見ていると、専門家会議の側も自分たちが果たすべき役割を問い直す必要があるのではないかと思ってしまうのです。

どれだけ政治の側が頼りなくても、専門家会議が果たすべき役割はあくまで「感染症対策」の観点から専門家として言えることを言うだけではないでしょうか。そして、そこには「新しい生活様式」を求めるということは含まれないのではないでしょうか。

これまでに提言されてきた「人との接触を減らす手段」と今回の「新しい生活様式への変更」とでは、中身に重複があると言っても、意味合いがまったく違うように思えます(少なくとも、そう伝わってしまう可能性が高い)。

専門家会議としては「社会経済活動との両立」を意識してこの提言を出したようですが、本稿で簡単に述べてきたように感染対策以外のさまざまなリスクは少なからず無視されています(と思われる)。つまり、専門家会議の考えが不十分であることは否めません。

そして何より、我々の生活様式というものは、我々の人権であるはずです。しかし、この提言は「新型コロナの感染を防止すべき」という絶対的な価値観を盾にしながら、「提言」を装って、われわれの人権に侵食しようとしてきているようにも見えます。

ジャーナリスト・津田大介は、医者の森田洋之による記事(参考)を引用しながら、次のように述べています。

医療者である森田が「医療は、これまで誰も持ち得なかった『国民の人権さえも制限できる巨大な力』を持ってしまった」と強い危機感で語ることの意味を我々は考える必要がある。

ここに書いてきたことは、あくまで個人の感想です。考えすぎだったらそれでいいと思います。ただ、自分の中には強烈な違和感が間違いなくありました。

休日も返上して感染対策に取り組んでくださっている専門家の方々には心から感謝しています。ただ、やはり自分には今回の提言から感じる危うさを無視することはできないと思いました。多くの意見が出る話題だとは思いますが、少なくとも無批判に受け入れず、よく吟味すべき話題だと思います。

(了)


以下は、思いついたことのダラダラとした追記です(長くなってしまったために本文からカットした内容をそのまま載せています)。

追記1:じゃあ、どうすべきなのか

あくまで個人的な意見ですが、感染症対策を目的として提言を出す際には、題を「感染防止につながる生活上のアドバイス」くらいにとどめるべきだと思うし、自分たちは「感染防止に役立つ Tips を示している」ということをもっと強調すべきだろうし、「できることから取り組もう」の一言くらい合ってもいいんじゃないかと思います。

また、パブリックコメントのようなものを求めるというのは一つの考え方ではないかと。リスク・コミュニケーションというものは民主主義的な価値観を背景としており、専門家と市民との間の「対等なコミュニケーション」が本来は求められます。いまの日本に必要なのがクライシス・コミュニケーションであるという指摘もあるでしょうが、「新しい生活様式」については感染の減ってきた地域についても考えていることを踏まえれば、民主主義的な価値観、すなわち専門家と市民との協働で作り上げていくという発想が重要だと思います。そして、その役割については、無理に専門家が担わなくてもいいのではないかと。マスメディアにだってできるかもしれない。本当は政府がすべきでしょうが。

初期の対応の中では、専門家会議の岡部信彦先生へのインタビュー記事などでも双方向的な発想が指摘されていたし、記事にもあるように西浦先生のアンケートなんかもありました。ただ、今回の「新しい生活様式」提言をめぐっては少なくとも自分はそういった話題を聞いていません。そういったものをもう一度やっていくことも一つの戦略ではないかと思います。

結局、「人権の制限」とは言うものの「対策に納得して(自発的に)行えるか」というところが、この議論では重要な意味を持つと思います。「人権」への配慮は肝心でしょうが、ある程度の制約は不可欠です。となったときに、それを堂々と制約する立場が、本来は責任をとる立場にない「専門家」であっていいのか、また「制約」の仕方はそれでいいのかというところが大きな問題になるでしょう。


追記2:自宅待機による死者の問題について

この問題に関して少しばかり自分の考えを補足しておきます。

そもそも「自宅待機を守っていた人の中に死者が出た」ことから「自宅待機を推奨したことが誤り」ということは断言できません。なぜなら、「自宅待機をしていた人の中で何人が亡くなったか」も分からないが、それ以上に「自宅待機をしていなかったら(みんなが入院などしていたら)何人が亡くなったか」が絶対に分からないからです。対策の正しさを判断できるのは、ずっと先の話になるでしょう。

また、感染の拡大状況が変われば対策だって変わる。いや、変えていく必要があると思います。そういう意味で「自宅待機を守っていた人の中に死者が出た」ことは今後の対応の判断材料にすべきです。ただ、現時点で「間違っていたことを認めて責任をとれ」と言うのには無理があるというのが自分の見解です。

また、こうした「専門家が責任をとれ」という風潮は、専門家が対策に対して保守的になったり、自分たちの誤りを認めにくい方向に進むことも促しかねないと危惧しています。もしも、そうなってしまえば「責任をとってほしい」と感じる人の願いとは逆方向に進んでいくと思います。間違いを責めるというのはそういうリスクをも持っていることには自覚的であるべきかと思います。

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